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どうにかなる日々

さて、今日という日がもう暮れて静かに終ろうとしているけれど、今日は大変やばかった。

ところでこの「やばい」を良い意味でも悪い意味でもあらゆる事象を強調する言葉として使い始めたのは多分わりと最近のこと、うちの高校生もこれを多様するけれど、彼はこれをいちいち5段活用する、未然形・連用形・終止形・連体形・仮定形。

ともかくも大変やばかった今日、ここ数日前から俄然やる気を発揮してきた夏が家中を蒸し器のような気温にして、暑くて眠くて本来なら7時前に自宅を出るはずの高校生も、8時前に家を出る予定の真ん中の中学生も全く起きてくれない、君らは一体何時に寝とるねんな。

電車に乗り遅れると遅刻必須の高校生の方は母自ら6時すぎに叩き起こし、中学生のことは6歳の末っ子に下請けに出した。下請けは姉の顔面に自身の尻を乗せるなど、割と手ひどいことをしていた模様。

その6歳の末っ子は今朝、大変に早起きだった。末っ子は今アサガオに夢中なのだ。つい先日学校から(私が)大変な思いをして持ち帰り、今は自宅の狭いベランダに鎮座する朝顔の鉢に毎朝張り付いている、お陰でどんなに早起きしてもなかなか着替えてくれない。毎朝アサガオはこんもりした緑の小山に赤紫色の花と青紫色の花を交互に咲かす。そんなアサガオに愛一筋の末っ子は、毎朝私に送られて8時過ぎに小学校へ向う。

一般に小学生は、特に公立小学校なら1年から6年の縦割り班での集団登校か、そうでなければ近所のお友達と誘い合わせて学校に行くのが一般的、でもうちの小1は疾患とそれ由来の体力不足と、あとは諸般の事情で私が毎日送り迎えをして下校の時もまた然り、登校班に名前はあるけれど参加はしていない。

そして、自分が尽き添い登校をしていると、意外に付き添い登校児童ってちらほらいるものだと分かる。うちの子のように体調に不安のある子、あんまり学校に積極的に行きたくないなって子、あとは朝どうしてもママやパパと離れがたい子。

立場が違うと見える景色は違って見えるものやなと感心するのは妊婦の時以来(妊娠中は周囲が妊婦で一杯だった)。私はこの春からこの個別的付き添い登校班に参加し始めたご新規さんだが、付き添い登校班の主にママ達は

(なんか、色々大変ですけど、ね)
(お互いに、ね)

このように互いは特に名乗りも喋りもしないけれど、何となく毎朝会釈程度の挨拶を交わす。

ところで小1は今日早退をした。それは月に一度の大学病院の受診がある故で、13時の外来予約のところ、患児本人を4時間目終了後の12時15分に迎えに行った。朝、出がけに「それは時間的にタイトなので、ひとつ3時間目で切り上げてくれまいか」と何度も言ったのだけれど、それは今カタカナの習得にやる気のみなぎる1年生が承服してくれなかった、故にギリギリ。小1の子は4時間目終了と同時に迎えに来た私に抱えられて自宅に戻り、5分後に今度は自転車に乗せられて私渾身の立ち漕ぎ、全速力で大学病院へ向かった。到着したのは予約時間の13時ちょうど。

これ、間に合ったとも言えるし、遅刻ともとれる。

そんな小1の6歳は生まれつきの疾患が「決して治りはしないが、しかし外科手術などでギリ限界まで何とか」という状況になってから早3年、いずれは緩やかにそして確実に下降してゆくと聞かされている心肺機能どころか全身状態が、現在はなんかもう絶好調の時期にあって、大学病院での受診もかつてのような「レントゲン撮って、エコーもして、心電図と、血液検査に、アッ、来月CTも撮るか一泊入院で」という案配だった頃に比べて格段に単調になった。

血液検査をして、検査結果を待って、主治医の診察を受けて、処方箋を出してもらって、お支払いをして、ハイおしまいという言葉通りの定期健診。

とは言えこれらぜんぶの接続が「なんかこう…上手くいかん」となると3時間越えとなる油断できないこの流れ。それなのに最近小1の体調がよく彼女の求めに応じて習い事を増やした私はやや調子に乗っていて、この日15時半からの習い事の予定を変えないまま病院に来ていた。中央検査室のシゴデキ検査技師さんが小1の検体を鬼早で検査してくれたらワンチャンあるやろ、いやいける。

(この曜日のこの時間は然程混雑していない)

大学病院に通い始めてもう7年目になる私の読みは当たり、竹の上を流しそうめんの流れるように、つるりするりと採血からの検査結果の開示からの診察は1時間ちょっと、逆にあまりの速さに

「血液検査の結果が出るまで昼ごはん食べよっか!」

なんて意気揚々階下のコンビニで購入しポテトと、鮭いくらおにぎりを6歳児に秒で食べさせることになってしまった。三角形の手巻きおにぎりよりもやや大ぶりの鮭いくらおにぎりを相手に格闘する6歳児は

「食べれらへんかったら、お母さんが食べたげるよ?」

という親切な私の申し出を、「いいよッ!」と鼻息荒く断わって、掲示板にあと1人が終れば今度は自分の番というギリのところで、シマリスがどんぐりを食むような速さで全部食べ切った。味は、味はしたのかお高いヤツなのに。

そうして診察、からの後の会計の時、この日主治医に頼んだ書類の文書料が幾らなのか皆目わからんとか、やっとそれが判ってさあ計算をと思ったら「なんか○○ちゃん(※娘)のデータをどっかの誰かが開きっぱにしてる、会計処理ができへん、誰―ッ!」と事務のマダムが叫ぶとか(それで内線をかけまくっていらした)、その文書料が思っていた以上に高くて現金が財布に足らんとか(クレカでこと無きを得る)、まま色々あったが最後には自転車を飛ばして習い事のお教室に到着15時25分、小1は滑り込みで間に合った。

これで今日はほぼおしまい。あとはまた1時間後に小1を迎えに行き、そうしたらじきにお腹をすかせた中学生が御帰還になる、中学生は学習塾の日だから早めに夕飯を食べさせなくてはいけない、さすると朝もやの中を半目で出掛けていった高校生もお帰りになる。

日々、朝陽が昇り陽の沈むことのなんと早いこと。

ところで今日、私には主治医に渡すべき書類いくつかあった。それは学校看護師への指示書だとか、前回別の病院で受けた検査の結果とか、そういう類のものだったが、その中に

『小1の算数と国語のテスト』

という「なんそれ」的なものも入っていた、なんそれ。

それはつい先日小学校で繰り上がりのない足し算と繰り下がりのない引き算、いわば初歩にして初手の計算の仕上げテストと、国語の平仮名50音をひと通り終えて受けた仕上げテストで、大体の子が100点満点を取れるという類のごく簡単なものだったけれど、そこで同級生ら同様100点をもらった小1の娘は物凄く喜んで、それをパパに見せるでもなく、にぃにに自慢するでもなく、ねぇねに褒めてもらうのでもなく

「先生に見せるの」

と言ったのだ。この場合の『先生』は主治医のこと。それで病院受診用の諸々を入れて置くクリアケースに100点満点のテスト用紙を入れていた。

しかしこの6歳、先生のいない所では「だいすきやねんけどぉ」なんて言っている癖に、いざ病院で主治医に「学校、楽しいか?」と聞かれても、ぐねぐねにやにやして終いには私の後ろに隠れる始末、果たして主治医を目の前に「先生、あたし100点やってん!」と元気に伝えることはできるのかしらんと思っていたら、案の定

「…ママ、言って!」

と小声で私をつつくので、結局私が主治医に「あのう、これなんやねんてモンですが、うちの子の初めてのテストなんでよければ見てあげてください」と、診察室で主治医にそれを差し出した。主治医から「すごいやんか」とお褒めの言葉を貰った6歳は、相変わらずぐねぐねにやにやしていた。

「3年前の術後は色々あって、脳にも影響があるんちゃうかてずっと心配してたけど、大丈夫そうや」

生後2ヶ月から担当している患児が、未来を生きてゆくために何度も手術をして入院もしてカテ室にも行きワイヤーを鼠径部から心臓に突き刺すなどいう蛮行に近い処置を十数回経験して、その上3年前の術後は酷く難渋して三途の川に肩まで浸かったはずの子が、小学校に進学して、プールに入って日焼けもして「あたし100てんやで」と言いに来たというのはもしかしたらかなり嬉しいことなのではないのということは、帰宅してから気が付いた。

その主治医も確かそろそろ還暦を迎えるはずで、だからそう遠くない将来うちの子を診てくれなくなるだなあというのが、最近の私の心配ごと(なにしろ専門医の少ない業界で)、でも私が主治医に「先生、うちの子がもうちょっと大きくなるまで先生が診てくださいね」と言うと、大抵笑って

「さあ、俺その頃生きてるんかなァ」

と仰るので、それは多分「生きてる限りは診たる」という意味だよなと私は勝手に思っている。

とにかく今日はやばいくらい忙しかった。色々どうにかなって本当によかった。まあまあなんとかなる日々。

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