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留守番乃記(Unexpected survivors番外)

母が来てしまった。

実家の母、御年70歳、持病は高血圧、性格は超絶心配性、完璧主義の料理上手で裁縫が趣味。

そして最近は物忘れが激しい事を少々悩みの種にしていて口癖が

「昨日の事はもう昔」

だと言う。本当に昨日の事が全然思い出せないのだそうだ、大丈夫なのか母。でもその文言は物凄く前向きに聞こえて私は好きだ。

明日は決して振り返らない。古希を越えた今日も母にあるのは未来だけ。

その母は、今回末娘が手術の為に入院して、術後の経過が予想を大きく外れて思わしくないと聞いた時から

「お母さんはいつそっちにお手伝いに言ったらいいの?明日?今日?今?」

何度も連絡をしてきてくれていた。それこそ今、電話片手に玄関で靴履いて待ってます位の勢いで。

勿論有難いと思う。実際一日数時間のICUもしくはPICU面会でも、特に末娘は術後心不全に腎不全と肝不全まで併発していて何なら

『補助循環装置から数日以内に離脱出来ない場合は覚悟してほしい』

そう執刀医の表情が物語っていた時期、末娘に明日が来ないのかもしれないと思っていた頃は私自身も完全に精神的心不全に陥っていて、通常運転の生活というものに意識と電波が飛ばないポンコツのWi-Fiみたいな状態になっていた。上の息子は小学校を卒業し、次いで真ん中の娘が終業式の日を間近に控えているというのに

「え?明日から学校ないの?ホントに?そうだっけ?」

「そうだよ、それに今日から給食も無いよ」

終業式の前日の娘に『今日のあたしのお昼はどうなるの』と言われて、マジか一体どうしたらと早朝の冷蔵庫に頭を突っ込んで自分の頭を冷却しながら絶望したりしていた。

春休み、入院期間と丸被り。

末娘の命の危機に気を取られてすっかり意識から抜け落ちていた春休みと言う危機、給食が無い、学校は休みでもいいから給食、貴方だけは世界に存在していて欲しかった。だからこの母の申し出は本来ならこの上なく有難い物だった。ただこの頃も今も世の中はCOVID-19が猛威を振るい、県境をそう易々と跨いでいいような世の中が未だ来ていない。

大体この末娘の入院手術にあたっては付き添い親の私まで検査の為に鼻に長い綿棒を突っ込まれた。結果は陰性、それは良かったけれど鼻の奥、咽頭まで突っ込まれた検体採取用の綿棒、アレは地味に痛かった。

実家は世界を席巻する疫病も然程届かぬ北陸の山奥、対して我が家は全国有数の感染者数を誇る大都市、その移動距離は新幹線と特急を乗り継いで5時間超。それを考えると、まだその時じゃない、一般市民にもワクチンを接種が行き届くとか、もう少し世情が落ち着いて状況が整うという時が来るまで待っていて欲しいと私は言った。

しかしそれはいつの事だ。

業を煮やした母はある日突然やって来た。それは付き添い入院突入2日前の事。玄関開けたらそこに母。私は驚いて

「お母さん、このご時世に不要不急の遠出はちょっと、大体お母さんもう70歳なんやで、高齢者なんやから」

「お母さんもう71歳よ。それにこれ以上の要で急なんかないやろ!」

母は、マスクを二重にし、出来るだけ人の少なそうな早朝の特急を狙って乗車し、極力周囲を触らず、トイレにもいかず。

「階段の手すりも触らなかった」

そういう精神的厳戒態勢の中、5時間超の時間を掛けて我が家に現れた。入院している孫の事がまずは気がかりだがそれと同時に家に兄妹2人で取り残されている孫の事を考えると居てもたってもいられなかったのだそうだ。孫ですか、娘じゃなくて。



母の突然の来訪に一番喜んだのは、この4月に小学4年生になった真ん中の娘だと思う。

上の兄が直情型の暴走特急、下の妹が性格だけは屈強で横暴な心臓疾患児と来て、我が家ではたったひとりの『普通の子』の真ん中。どうしても手薄になりがちなこの真ん中の娘を実家の母はとても気にしていて

「真ん中ちゃんはどうしてるの、お兄ちゃんは塾があって忙しい、パパは仕事で、アンタと末娘ちゃんは病院でしょう」

そう言ってこちらに来てからは、真ん中の娘を構いながら一緒に洗濯物を畳んだり、料理をしたりしてくれていた。そしてそんな風に息子と真ん中の娘と数日共に過ごした母から

「アンタ、お兄ちゃんも真ん中ちゃんにも全然家の事教えてないの?真ん中ちゃん電子レンジもつい最近まで使えなかったんでしょ?ガスコンロは?全然触らせていないの?そんなことで大丈夫なの?」

大変に痛い所を付かれた。




『ヤングケアラー』と言う言葉がある。

ヤングケアラー。家族内にケアを要する人がいる場合、本来大人が担うようなケア責任を引き受ける18歳未満の子供の事。法令の定義として明示されているものは無い。けれど厚生労働省のHPには簡単な概念の解説が記載されている。それに類するような言葉として『きょうだい児』という言葉もある。これは障害のあるきょうだいがいる事で起こるその子の生きづらさや親との関係性にスポットを当てた言葉。

末娘を産んでその言葉を初めて知った時、私は当時まだ自力で栄養を摂る事の出来ない経管栄養児で、万年チアノーゼで常に顔色がおかしくて、日々のケアが今よりずっと煩雑だった末娘を1人で丸抱えした、季節外れの大型台風のような混乱の嵐の中、じゃあ上の子ども達に家の事や末娘の世話を手伝ってほしいというのは一体どこまでが本来大人が担うべきケアで、どこまでが普通の年長の兄と姉としてのお手伝いの範疇なのか、その線引きはどこなのか皆目わからなかった。そしてわからないまま今日に至っている、これは何が正解で何がアウトなのか、基準は?決まりは?アセスメントはどこですか。

特に一番上の息子は、興味関心事については3億年、悠久の時が流れその体が宇宙の塵となって消えても記憶に留めている鬼の記憶力の持ち主なのに、毛ほども興味の無い事柄については3歩歩くと雲散霧消するというよくわからない脳の構造をしている子なので

「火と刃物を使う台所仕事はさせない方が絶対に良い」

と思ってほとんど触らせていなかったし、真ん中の娘の方は末娘が生まれた3年前はまだ年長児、体躯は小さいし手元は危なっかしいし、母譲りの心配性の私の目には何をやらせても見ていてコワイ。そんな状況なら自分でやった方が早くないかと思って早3年、末娘の術後入院が春休みに被り、お昼に上の2人の食事を用意して長時間の留守番をしてもらう事になった今回初めて電子レンジの使い方を教えた。

過保護オブ過保護。

実際の所私の脳内では息子が電子レンジを使ったら爆発するかもしれないという可能性を捨てきれないでいた。だってそれ位やりかねないのだあの子なら。大体言葉を話す以前、幼児期から手近な機械類をことごとく破壊してきた男だ。そして真ん中の娘は性格が慎重すぎて電子レンジの前で考え考え傍から見ると固まって動かなくなっている人に見える。

ケアラー以前の問題かもしれない。

でも私は、この事を割と真面目に考えていた。末娘のケアの担い手は自宅では私になるけれど、入院中ですら保育と日々のケアの外注が難しい医療的ケア児という特殊な存在である末娘はハッキリ言って私1人の手に余る。家庭内にあって年長者として年若い人の世話をしたり、家事を手伝ったりする事、それがきょうだいならそれは何処まで許容されるものなのだろうか。

私は、今現在医療的ケア児の親で障害児の母、世間の最多数の反対、少数派の子の親として世の中にお願いしたり訴えたりする側であると同時に、子ども達をヤングケアラーやきょうだい児という『子ども時代の搾取』、その実行の担い手となる、所謂不当を与える側にもなり得ると言う立場の人間だと、それを自覚している、そう思って3人を育てている。一応、多分、と思う。文字にして書いているとだんだん自信が無くなって来るから困る。

物事には光と影のように表裏一体、オセロの白の裏は黒、ポケモンには金と銀、ダイヤモンドとパール、ルビーとサファイヤ。とにかく二面性がある、もしくは2つ同時販売。

結局私が普段、子ども達にひたすら言い続けているのはせいぜい

「片付けて、片付けなければ、片付けろ」

片付けの活用形くらい。そしてそれを子ども3人は聞いてくれたためしがない。足掛け12年やっていても子育ては難しい。解脱も免状も得られる気がしない。昨日だって夫と末娘の付き添いの交代をして駆け足で自宅に帰ると、末娘の兄と姉、2人が差し向かいで任天堂スイッチに興じていた。それはいいんだけど、息子の塾のプリントと真ん中の娘の趣味のアイロンビーズとぬいぐるみの散乱した子ども部屋でだ。カオスか。患児の母として病棟では『室内環境整備の鬼』と自ら名乗るこの母の遺伝子を一体何処にやったんや君らは。

ちょっとは片付けなさい。

私の帰宅に気づいた真ん中の娘は嬉しそうに祖母である母と作ったフエルトのマスコットを見せてくれた。うわあ可愛いねえ、可愛いけどその背後の糸くずなんかはどうしたらいいのかなあ。そして息子は

「ねえお母さん、俺、入学式って何着ていくん?」

彼には今週中学校の入学式がある。その日に何を着ていくべきなのか今更聞いてくるとか大丈夫か君は。制服この前買うたやん?全部2枚ずつ。それとも何かランドセル背負って普段着で中学校に行く気なのか。

むしろ2人とも子ども時代を満喫しすぎなのかも。

それは母から言わせると

「アンタ、そんな難しい事は置いといて、もう少し子ども達に家事でもなんでも何でもやらせないと、先々子ども達が困るじゃない、違うの?」

とのこと。その子育て人生を、母親と地方中小企業の正社員、二つの立場の兼業でやり遂げた母の言葉は厳しい。そしてド正論。

ほんまですねえと言いながら、不肖の娘である私は何度言っても記名してくれない息子の中学校用の上靴と運動靴に名前を書いた。末娘の幼稚園の用意も並行でやっている今、息子の学用品も含めてすべてを平仮名記名にしそうで危ない。というか自分でやらないなら平仮名で書いてやろうか、そう言ったら息子は

「別にいいで!」

君は、色々構わなすぎや。

でもこの子の中学校の入学式に私は行けない。その時まだ付き添い入院中。それを彼はどう思うのだろう、3月の卒業式も出られなかったし、真ん中の娘の新学期の為の用意もギリギリのカツカツだ、せめてもと新学期用の140㎝の可愛い子供服をネットで何枚も買った。結構な出費。でもいい。それがいつか

「あの春は末娘が大変な事になってたけど、まあ無事に帰って来たし、入学式?そう言えばお父さんだけが来たよね、春休みはばぁばが来てくれてて結構楽しかった」

という思い出になるのか、それとも。

その結果と回答が出るのは、きっと数年後か数十年後。末娘の今回の心臓の手術と同じだ。長い年月を経た後に、末娘の体内に作り上げた無茶振りの循環機能が破綻せず持ちこたえてくれるのか、そして上の2人にはここ何年もその末娘の心臓を何とかするために普段の生活でも学校に関わる事柄でも結構な無茶振りをした結果が吉と出るのか凶と出るのか。此方が死ぬ気で一生懸命やったつもりでも、結局それは子どもの、受け取り手のものだ、全然分からない。



つい先日、これまで何度もあった検査入院や今回のオペの際にも当日手術室に付き添ってくれていた、末娘も私も大好きな看護師さんが久しぶりに担当についてくれた。その彼女が

「末娘ちゃんの担当になるの久しぶりです、最近ずっと向こうでリーダーとかしてて」

そうにこやかに言うではないか。何?リーダー?

初めて出会った頃にはまだ新人1年目で、気も癇も強い末娘の血圧を計ろうとして撥ねつけられ、やっと腕に血圧計を取り付けた所で、ありとあらゆる計測が大嫌いな末娘が足も腕も陸に上がった魚の如くビチビチ跳ねさせるので、血圧計が何度もエラーを起こし

「スミマセン!もう一回」

そう繰り返してほんのり泣きそうになっていた彼女が、フロアのチームを采配するリーダーになっている。そう言えばつい先日までPICUに居た時にも、主治医が末娘の状況を

「えーと、ミダゾラムはもう切ったし。それと抗生剤は2種類を1種類にしてて、血圧は下げすぎるとそれはそれでオペ後の循環が立ち行かんのやけど、ちょっと高すぎるから今一時的にニカルジピン入れてて…ウンそんなもんかな」

細々と説明し暮れている横にスッとやって来て小声で先生に何か言っているなあと思ったら

「せやった、一時的に貧血が酷くなってるから、少し輸血するんやった」

殿の隠密の如く説明事項の漏れをそっと耳打ちしたりしていた。

(先生アレ、ママに説明してあげてください)

それを笑顔で、そして何より小声で患児の母に聞こえないように配慮している所なんか、彼女の人柄が思われすぎて涙出る。血圧計のあの腕に巻き巻きする部分、マンシェットを末娘にはたかれて涙目で焦っていた1年目のあの子が、小柄で年より少し幼く見える面立ちも手伝って、ただただ可愛らしい子だなあと思っていた彼女が、いつの間にかこんなに立派になって。

一体何を食べさせて何をどうやったらこんなしっかりとした良い娘さんが育つのか、一度親御さんに聞いてみたい、そして今後の育児の参考にしたい。思えば今は丁度新年度、数日したら新入職員が入るらしいと人から聞いて、よく見ていたら今回の入院で初めて担当についてくれた際に

「1年目なんです」

と笑顔で名乗っていた『ひたむき』という言葉がフロアで1番に会う看護師さんの胸から1年目の印が消えていた。

光陰矢の如し、少年老い易く何とやら、もう立ち位置が完全に親。

時間は、物事を粛々と在るべき所に、その在り方がそこに在るように運ぶ。

末娘は今、その時間を完全に味方につけて日に日に回復に向かっている。まず3度のご飯をおなか一杯食べてエラく太った。最近の日課はベビーカーに乗って病棟の巡回、まだ疲れやすいし立つことも座る事も補助なしでは難しいけれど、日、一日と状態は前に進んでいる。

予定では祖母と一緒にのんびりとした毎日を過ごしている兄と姉の平穏な春休みの終わりと入れ替わるように末娘は自宅に帰ることになっている。退院のカンファレンス、主治医、担当看護師、地域保健師、病院PT,訪問PT,訪問看護師、医療ソーシャルワーカー、総勢7名、患児とその親を入れると計9名の退院打合せは今週末に予定が入れられた。

長い留守番の後、更に言うと、この子の最後の手術が終わるまでのこの3年ひたすら『お留守番』。家で待っていてくれた息子と真ん中の娘が、色々大変だったけど、良かったなあ妹が生きて無事に帰って来てくれてと思ってくれたなら、もう俺達はそれでいいよと言ってくれたなら、長いような短いようなこの時間が、あの子達の気持ちをそこに運んでいてくれていたのなら私は嬉しい。

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