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1年生日記(11日目)

1年生11日目。

小学校の掃除の時間をわたしはあまり好きではなかった。廊下や下駄箱の掃除担当になるとグラウンドからさらりさらりと流れて、もしくは子どもたちの足裏にくっついてやってきた砂がホウキで掃いても掃いても出てくるし、トイレや手洗い場の掃除は、地元が冬はしんと雪の降る北国だったせいもあって手指の感覚が無くなってしまうほど冷たくて辛いし。

広い教室の床を雑巾で拭くのも嫌だった、膝をつきつき雑巾をかけるから膝が汚れるし衣類も痛む。思えばうちの一番上の現15歳の小学校の頃に履いていたデニムやパンツの膝は、せっせとぴかぴかの新品を買い与えても、大体三日後には擦り切れ、穴があいていた。

あとは、掃除道具の争奪戦。

一般家庭ではあまりお見掛けしない1m程の長い柄に尖端部分は横に長く広がるあのホウキ(今調べたら自在ホウキというらしい)を巡る子ども同士の諍いが絶えず起きる。特にわたしが子どもだった頃なんかはそれが女子と男子の間で頻繁に起き、果ては教師も巻き込んだ大騒ぎになったりしてそれが本当に面倒だなあと思っていた。「せんせー、男子がホウキを貸してくれませーん」。

そんな『お掃除の時間』が、今日から始まった。

1年生の日課は段階的に増えてゆく、まずは1週目で授業、2週目で給食と宿題、それから3週目で5時間目授業が始まりお掃除の時間が追加投入される。一度に全部はできないから少しずつという考え方。

入学前に何度かあった就学前の教育委員会との面談で、この掃除の時間をどうするかは給食当番をどうするのかという問題と共に、何度か議題に上がっていた。

「酸素ボンベを片手で持ちながらですと、ホウキとか雑巾とかそういうもの扱うのは難しそうですねえ」

わたしはそれを言われるまで、酸素濃縮器の扱いや看護師の配置、それから緊急時対応、そして運動制限のあるウッチャンの体育の時間をどうするかということばかりを考えていた。

思えば学校というのは生活のあれこれを習う生活訓練の場所でもあるのだということを、別に忘れていたわけじゃないのだけれど。ただどちらかというと学校生活というひとりの児童がこなすべきタスクの細分化されている場所で起きる諸々をいちいち考えている暇がなかったのが正直な所で。

「まあ、できそうなことをやっていく、そういう方向で」

とりあえず大変にざっくりな生活指導方針が決定され入学、最初の授業が開始されてから数えて3週目。いざ迎えた『はじめてのおそうじ』は、まずその前座として午前中の『がっきゅうかつどう』の時間に担任の先生からお掃除についてのお話と、クラスの誰がどこの場所をお掃除するのか、担当場所の発表があった。

ホウキ、雑巾がけ、黒板消し、窓ふき、靴箱掃除、ロッカー整理、学級文庫の整理。

先生がそれぞれのお仕事を示したイラストをラミネート加工して裏にマグネットを貼ったのをペタペタ黒板に貼り、その下にそれを担当する子どもたちお名前を、これもまたひとつひとつプリントしてマグネットにしたのをペタペタ貼ってゆく。

子どもらが下校した後に、これを全部せっせと作っていたのだろうなあと思うと、教卓の前にいる先生の親みたいな気持ちになってほろりとする。先生の仕事は子どもらが帰ってからも忙しい。宿題プリントの採点、明日の授業の準備、学級通信の制作とその印刷、それから今日喧嘩したりお友達と揉めていた子のおうちへの電話入れ(むかし、放課後の電話をほぼ毎日もらっていたわたしにはわかるのだ)。

「ハイ!そしたら、教室にホウキがけをするのは~さん、~さん、~さん」
「イエー!俺ホウキ―!」
「それから、ホウキがけをしたあとの床を雑巾で吹く係が、~さん、~さん、~さん」
「エー!せんせー俺雑巾嫌やねんけどぉー」
「それは、また後から聞きます。はいそしたら、次に窓拭きのひとー」

先生はあいうえおの順に割り振られた掃除場所を順番に読み上げいったのだけれど、最後「わ」のつくお名前の子に辿り着くまで、ウッチャンの名前は呼ばれなかった。

(あれ、もしかして「お掃除は難しそうだから…」ということでこの子のお掃除当番はなしとしいうことになるのかしらん。そうなると「なんであたしはお掃除したらあかんの」とブンむくれるひとが発生するだろうし、外野から「ずるーい」コールが巻き起こらないだろうか)

わたしは一瞬、不安になったけれど、先生は出席番号が一番最後の子の名前を読み上げてから

「今、お名前を呼ばれなかった~さんと、~さん(ウッチャン)は、どうしてもできないことがあるので、先生ができそうなことを決めました!」

そう言って、ウッチャンの名札ともうひとりの子の名札をさっと袋から取り出すと、ウッチャンを黒板係に、もうひとりのお友達を学級文庫の整理係に決めた。

ウッチャンは常に酸素のカートを片手で運んでいるので、移動しつつ両手も使うホウキがけとか雑巾がけなんかが難しいし、もうひとりのお友達には食品のアレルギーがあって、それでうっかり給食の食べこぼしを拭いた雑巾なんかを触ってしまうと良くないのだそう。

クラスの子ども達はこの所謂『合理的配慮』について、誰ひとり

「えーずるーい!」

などとは言わなかった。

『人にはさまざまな事情があり、その事情にいちいち他人が口を出すことは全くスマートなことではない』

そのように幼少期から叩き込まれているのが今の若者(児童)ということなんだろうか。思えば「きみのお影でまだ6歳の妹のスラング偏差値のまあ高いこと」と揶揄される超絶口の悪いうちの15歳の息子も「男だから女だから、若いから高齢だから、障がいがあるからないからという区分でずるいだの得だのと口にすることは阿呆の自己紹介である」と公言していた気がする。

それならきっとこの先の3学期にやってくる『持久走』のシーズンにひとりだけその責めを逃れることのできるウッチャンを「え、ずる」とクラスのお友達は口にしないのではないかなと思う。いや思うのは自由なんだけど、でもできたらあんまり本人の前では言わないで。うちのウッチャンは、同級生からのそのようなひとことに泣きはしないだろうけれど、高校生の兄直伝の口の悪さで

「なら、おまえもフォンタン循環※にしてやろうか」

くらいのことは言いかねない。

そうして「またあたらしいことがはじまるんだ!」という子ども達のきらきらした期待の眼差しの中、やってきたお掃除の時間、ひとクラス35人の子どもらが一斉に掃除に取り掛かる様子はなかなか壮観だった。

なにしろみんな1年生、ホウキや雑巾を使ったお掃除なんか大体は未経験、殆ど初めてのことで、まずは雑巾の絞り方、黒板消しの用途、ホウキの持ち方、それの説明から。お手伝いに来てくれた6年生のお兄ちゃんお姉ちゃんたちは、自分たちよりあたまふたつ分は小さい1年生に初めての自在ホウキの扱い方を一生懸命教えてはくれるのだけど

「ホウキは両手で持って…こう」
「こ…こう?」
「ちゃうねんて、こう!」
「えー…あ、こう?」

お兄ちゃんはちゃんと利き手を下にして持ち手をゆったり斜めに構えるのに対して、1年生は本気なのかふざけているのか、槍かなぎなたのかまえをして首をかしげたりする。そうかと思えばどうやらホウキ担当に対して子どもの人数がちょっと多いらしく、ホウキにあぶれてしまった子が廊下のごみを右から左に移動させている(集められてはない)子に「それ貸して!」と言ってちょっとした小競り合いが起きる。

その混沌の中でせっせと黒板を消し、ついでに今日の日付も消してしまうウッチャン含む3人の黒板消し係。ホウキの係がやっと集めた埃の小山の上を濡れた雑巾で通過する雑巾がけ係。

1年生の『はじめてのお掃除』は思った以上に混乱と混沌の嵐の中で、4月に付き添いが始まってからというもの、ずっと廊下のすみっこが定位置で、でかめのすみっこぐらしをひとり演じていたわたしはその定位置を失ってしまった。そして「そろそろ潮時なのかな」と思ったりもした。

潮時というのは付き添いを辞める…ということなら大変に有難いことなのだけれど、昼には空になるウッチャンの酸素ボンベの交換があるのでそうもいかない、それでこれからは

朝、ウッチャンを送って学校へ、1時間目の授業中はウッチャンの体調を目視で確認し、支援担当の先生にウッチャンを引き継いでいったん帰宅、それから昼に給食時間をめがけて再度学校へウッチャンのもう空になりかけている酸素ボンベを新しいものに取り換え、給食の食べっぷりを見て時折「あとちょっと!」なんて小声で励まし、食後の服薬を見届けて再度帰宅、5時間目の終りより少し前にウッチャンを迎えにまた学校へ。

という3往復形式になることになった。それをウッチャンに告げたところ、きっとちょっと前の幼稚園児だった頃のウッチャンであれば

「ママがいないとさびしい…」

などいってぽろりと涙のひとつぶも流したのだろうけれど、小学生になったウッチャンは違った。

「うんワカッタ、5時間目にまたきてねえー」

ということで、わたしの日課が学校と家を3往復ということになった。ウッチャンは今いつも一緒にいてくれる先生のことが大好きなのだそうだ。

「これ、余計大変なことになってないか」という点には、自分自身ちょっとまだ気づいていない、ということにします。

※上大静脈と下大静脈の両方を、下大静脈は人工血管を経由し直接肺動脈に繋ぐことで確立された特殊な肺循環のこと。ウッチャンが3歳で受けた手術の術式による。



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