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息子をよく怒っていた頃の話①

『僕が結婚生活で学んだ人生の秘密はこういうことである。まだ知らない方はよく覚えておいてください。女性は怒りたいことがあるから怒るのではなくて、怒りたいから怒っているのだ、そして怒りたいときに怒らせておかないと、先にいってもっとひどいことになるのだ。』
【遠い太鼓 村上春樹 1990年 講談社】

「そういうとこやぞ春樹。」

そう思えるのは私が今、この紀行文の登場人物のひとりである件の怒れる妻・村上陽子氏の当時の年齢を超えた41歳の主婦だからだ。しかしこれを初めて読んだ当時私は14歳で

14歳て。

あの頃私も若かった。

そう、私にも14歳の時代があった。プール水面に映える青空を美しいと見惚れ、夏の入道雲を追いかけ、ハルキムラカミの新刊にときめいた透明な14歳の頃が。

まさかその時は、我が子とプール遊びに興じる事を『めんどくさい…』と厭い、夏の暑さにのぼせ、ときめくものと言えば『国産 豚ヒレ肉 600g』に貼られた半額シールという41歳になってしまう日が来るとは夢にも思わなかった。

時の流れは残酷だ。

それでそんな14歳だった私はこの一説を読んだその時

「そうか、そういうものなのか」

そっくりそのまま、その一文を鵜呑みにし『女の人とは面倒なものだな、やれやれ』とか言ってダンキン・ドーナツをコーヒーに浸して食べたりはしないが、大体ウチの実家はド田舎すぎてミスドもいまだに無いやんけ、そんなオマエも女の人だろうそしてそんな訳あるかこの小娘め。まあ兎に角大人の女の人はよく怒って夫や子を叱責するものなのかそうなのかと思っていた。

しかしそんな筈は無い、理由なき怒りなどこの世界にそうそうないものだ、かく言う私も子持ちの主婦になって早10年、そしてもうすぐ11年、私が毎日怒っている事の大体は子供のことだ。

あの頃息子は酷かった。

当時小学4年生。

授業中は『授業がつまらん』と言って立ち歩き、次いで教室外に遁走。

当然授業中に仕上げる課題・プリント・図画工作は手付かず。

週末の持ちかえり学用品をまともに持ち帰る事皆無。

水筒と傘は何本スペアがあっても足りず。

学校からのお手紙、宿題、ドリル、教材その他は即紛失。

しかし何より、母である私がこたえたのはこの息子が3日に空けず同級生と何かしら諍いを起こし、私の携帯に担任教師から「息子君がこんなことを…」という報告というか注意というかそういう着信がある事で

大体はこの息子の珍奇な行動を面白がってちょっとふざけて揶揄した同級生の言動に、息子が本気の反撃に出たという流れのもので、よく学校の先生は「気にしない」とか「まず先生に言いに来なさい」と諭してはいたらしいが、そんなことでヤツが収まる筈も無い、何しろこの息子、思考と行動にタイムラグが無いというか、衝動と生きるパッションというか、一度脳内に浮かんでしまった事象を一瞬で即行動に移す、その事を、それが暴力だろうが暴言だろうが止めるという事ができない子で。

そして何よりやりすぎ感が凄い。

小学生男児、学校に行けば多少は同級生と喧嘩をすることもちょっとした小競り合いを起こすこともあるにはあるだろうが、同級生の揶揄とからかいを受けて、縦笛を振り回して応戦したりお習字セットを投げつけたりしたら、それはきっかけがどうあれ息子が有罪だ。

「暴力だけはやめて、お願いやから」

それをしてしまえばオマエには抗弁権が無くなるのじゃ息子よ、そう弁護士的雄弁で息子を説得してみても、冷静さを著しく欠く大声で恫喝してみても、本人の頭がニュートラルで平静なその時は母の説得を理解して

「ごめんなさい」

とは言うものの、いったんコトが起これば元の木阿弥、息子の頭に血が上ったその時、彼の善悪倫理年齢相当の社会性というものは一切消失しているのだから意味が無い。

そしてその日は酷かった

何しろ武器が石だった。

投石だ投石、人類最古、原始の武器。

しかもこの石、何か理由があって投じられたものではなく、ちょっとやんちゃなお友達がふざけて投げていたものを、何を思ったのか通りすがりの息子もそれに便乗し、それが無関係の子に当ってしまったというもので、幸い大事には至らなかったがコトがコトだけに事情聴取の為に関係者は親子共々出頭せよという電話がかかってきたのが夕方17時過ぎ。

この事件のあらましを本人の口からではなく、息子の担任教諭からの電話で知った私は、またこの息子が学校で起こしたやばそうな事はすべて完黙するのだ、当然息子に

「息子ォ!どういう事や!」

担任の先生の電話で何が起きたのか事実関係はすでに掴んでいたが、それが『何故』なのかがわからない、何故面識のない他学年の子に投石をする必要があるのか、その理由が。その子に何か恨みでもあるのか、イヤ仮に私怨があったとしても投石とか、それはアカン、それだけはアカン。オマエはネアンデルタール人か、サルか、赤んぼか。

この母の怒髪天の激高を受けた息子は、それでもしばらく黙り込んで、そしてこう言った。

「…わかんない」

わかんない。

この息子はいつもこうだ、問題行動の理由はいつも本人にも不明。

なら出頭しても説明のしようがないではないか。

私は激怒しつつ同時に失望し、そしてこう思ったものだった。

もうイヤだ、死にたい。

この時。2018年6月末、我が家は荒れていた、もう沈没寸前、難破船。

その前の年の暮れに生まれた我が家の末っ子、ここでは娘②と呼ぶけれど、その子に重い心臓疾患があったが為に、翌年の4月まで入院そして手術、何とか命永らえて帰宅を果たした時、この娘②はちょっと普通の状態とは違っていた。

とりあえず身体を大きくして次の手術に臨むための姑息手術という、回りくど言い回しの手術を受けて帰宅した娘②は、普段から血中酸素濃度が低く、常に唇の色がちびまる子ちゃんの藤木君的色合いをしてるし、なんか浮腫んでるしで見た目からしてかなり心配だったが、何より、

鼻から経管栄養のチューブを垂らしていた。

娘②は医療的ケア児として帰宅したのだ。

娘②は治療の過程で、一旦経口でミルクを飲むのを止め、明治の粉ミルク・ほほえみを鼻のチューブから入れていたらあら不思議、口から何かを飲んだり食べたりするという機能が彼女の脳内からログアウトしたではありませんか、おいどうした哺乳類としての矜持を本能を思い出せ、そんな『鼻から牛乳』を地で行く状態になり。

嚥下や咀嚼の機能的には何も問題は無いけれど、自然な解決は期待できない、このままではずっとこの鼻のマーゲンチューブとトップ栄養カテーテルセットのお世話になりっぱなしの人生を歩んでしまうという事で言語聴覚士さんと訪問看護師さんが毎週通って嚥下の訓練をしていた。

が、この娘②、誰に似たのか超絶気が強い上にすこぶる頑固で、リハビリ開始2か月を過ぎたこの時期、一切哺乳瓶も、早めに始めた離乳食も兎に角一切を受け付けず、リハビリでは訪問看護師さんに離乳食を投げつける事数回。それでも栄養自体は鼻から入れて必要量摂取出来ているのだけれど、ものすごくよく吐いた。原因は不明。

お陰で私は今でも、マーライオン先生のお姿を拝すると親近感がわいて仕方がない。

その上、娘②のこの鼻から入れるミルクは生後6か月の当時で確か160mlを4時間毎、一度ミルクを鼻のチューブから胃に収めるのに点滴に似た器具を使って1時間、その間万が一チューブをこの子が自ら引っこ抜いたり、完全に抜けたならまだ入れなおせばいい、まあ入れなおすのもまた巧の技なんだけれど、しかしそれが変なところで止まって気管にミルクが入るというような事態に陥ると最悪死ぬ、だから終わる迄は徹底監視。それが深夜でも早朝でも。終わったら使用する器具は即消毒、その後干して乾かす。

それが朝昼問わず4時間毎、一日6回、そしてその6回中4回は盛大に吐く。

その間に家事その他と上の子2人の育児。

当然それらは抜けだらけで、粗だらけになる、だって娘②の命が最優先事項になっているのだから。

あの頃、自分でまだ爪が切れなかった真ん中の娘、娘①の爪はいつも伸び放題だった。

その渦中にあって息子の「確実になんかあるんやろな」と思える行動の数々を、金切り声で叱責はしても、根本的に自体を改善に導くために専門の機関を受診している暇がなかった。病院は娘②の大学病院を決まった予定の通りに受診するだけでもうライフが0、お母さんもういっぱいいっぱいよ。

そしてそんな我が家の混乱に呼応するように、息子が学校でトラブルを起こす確率は跳ね上がった。

夕方に招集された学校の事情聴取では、こういった事情から、この息子に問題があるのはわかっているが、今、これ以上どうすることもできない、出来る限り自宅では注意はします。兎に角机に頭をぶつける勢いで誤り倒した。

その場に同席した先生方は苦笑いをして、そして

「今年度は支援対象児童という形で教育委員会に申請して」
「来年度からは支援クラスという形でどうでしょうか」

そう言った。

そうですよねえ、そうなりますよねえ。

そして自宅に置いてくる訳にもいかないので上の二人共々この場に連れてきていた娘②はご丁寧にこの場でも素敵なマーライオンっぷりを披露してくれた。

ミルクを注入している途中で出頭命令を受けたので、慌ててこの子の胃にミルクを流し込んだからだ。

人間、急ぐと碌なことが無い。

子ども3人を連れて学校からとぼとぼ帰宅したその時、時刻はもう19時近くなっていて、私は自宅に着いて即、今度は被害者の、息子が石を投げた相手のお宅にお詫びの電話を入れた。

「本当にすみません、遅くなりましたが、もしご迷惑でなければこれからお詫びに」

このころ、我が家にはこういう時の為に常時菓子折りがあった。色々やらかし放題の児童の自宅に常備してある伝説のアレ、ウチの常備品はアンリシャルパンティエの小さい焼き菓子だった。

先方に電話しながら最敬礼してお詫びに参上したい旨をお伝えしたが、先様はこちらの状況と息子の奇行というか普段の行状を何故かご存じで、もしかしたらそのころすでに息子の奇行の数々が校内に轟いていたのかもしれないが

「怪我をした訳ではないし、こちらは大丈夫ですから」

そう言って息子のしでかしたこの事件を不問に付すと仰って下さった。以後気をつけてくださるならと。

ありがとうございます。本当にすみませんでしたと、相手方の寛大と寛容に感謝しながら電話を切って、そしてその傍らの息子にもう一度聞いてみた

「なんで石なんか投げたん?」

「わかんない」

「わかんないってさ、わかんなくていちいち石投げたり、場合によっては人に怪我させたりしてたら、ママ毎回こうやって、よそのお母さんにお詫びしてさ、学校で謝ってさ、知らない子に痛い思いさせてさ!」

「わかんない…」

衝動に駆られて行動している息子に理由などないのだ、脳のバグみたいなものだ、息子の思考のフローチャートは常人のものときっと全く違う、お母さんには皆目わからん、でもその当時はその確証もなければ、対策も対処も無い、故に怒るしかない、でももう抑制も聞かない、そして援助者もいない。

そういう意味では、この時の息子はまだ未診断だったけれど、発達障害児は命に係わる先天疾患児より辛い側面があると思う、例えばこの息子の妹・娘②は出生前に心臓疾患の診断がついたが、胎児のその時から

産婦人科主治医
新生児科主治医
産科病棟ナース・助産師
NICUナース
地域提携部ナース
地域保健課
医療コーディネーター

分かっているだけでこれだけのチームが付いた、出生以後はここから産科関係が抜けて、その代わり小児循環器医と小児心臓外科医、支援コーディネーターに訪問看護と訪問リハビリのサポートがついてくれた。

凄い人数、凄い顔ぶれ、アベンジャーズか。

対して息子は

以上1名がサポートで責任者、イエス、ド素人。

この壮大な無理ゲー。

確かに発達障害では命は持っていかれないが、このまま行けばこの子は社会的に早晩死ぬ。そして母の私のメンタルは今まさに死にかけ。

もう息子の事は怒り疲れた。

怒りの最終形態、それは絶望。

ひとは明日を儚んでは死なない、今日に絶望して死ぬのだ。

そうだ、死のう。

『そうだ、京都いこう』みたいに言うな。

それを息子に聞いてみた

「もうお母さんと死のうか、息子と、娘①と、娘②で」

あろうことか、この母はこの件については全く無関係の娘①と、つい最近大手術を経て生きる方向に大きく舵を切ることに成功、長期入院から帰宅した娘②を巻き込んで死のうかと問うた。

だって子どもは全員残していけないと思ったんだもの。にんげんだもの。

9歳の子に何を聞くねん。

それに対して息子は、ほんの少し驚いたような顔をして、そしてちょっと考えてこう言った

「えぇ~」

だが、断る。

息子は母の「それ言うたらあかんやつ」な暴言というか妄言を冗談だと思ったらしい。

こんな時冗談言うとか思うかな普通。

でもあの一瞬、私は結構本気だった。

私の脆弱な突発的希死念慮はジャンプ作品のあの名台詞により駆逐された、というかアホらしくて何もする気が無くなった、ありがとう荒木飛呂彦先生。

ひとは意外なところで意外なものに救われるものだ、というか良く知ってたなあの台詞。

やる気が無さ過ぎてこの日はみんなでレトルトカレーを食べた。

それで私は考えた、一体どうしたらいいのか。

そして私は決めた、学校行くのやめようぜ。

この極論オブ極論。

息子が問題行動を起こすのは学校生活の中においてのみ。自宅では突然世界の危険生物、ヒョウモンダコとかカツオノエボシについてアツく語りだしたりすることはあっても、特に何か珍奇な行動をとって親を、私を困らせるような事は無かった、何回言ってもズボンとパンツと靴下を三位一体論的に一緒くたに脱ぎ捨てるという事はあっても。

それは、ただ単に私が息子に慣れてしまっているからだけかもしれないが。

息子はこの母の下手すると児相に通報されかねない、自主的登校拒否の決定を

「え、いいよ」

あっさり了承した。

オマエ、ものはよく考えてから返事をしろよ。

息子は息子で、学校が担任が支援クラスがどうというよりは、この常態的に脳がざわざわして身体が落ち着かなくて授業中は放浪の旅に出たくなるという山下清画伯的状況を自分自身でも少々持て余していて、だったら母親の言うように自宅に暫く居て、好きな時に好きな本を読み、ゲームをして、妹の娘②の世話でも手伝った方がいいやと思ったらしい。

私は私で、兎に角この状況が多少なりとも改善を見るまでは、それが対処療法的なものだったとしても、この危険な息子を野に放つ訳にはいかない、それで学校で何かしらやらかしては人様に迷惑をかけてその挙句毎回呼び出されていたら、こっちの心臓が持たない、そして現実にこの日の騒ぎで『一日三回服用絶対』の娘②の利尿剤その他心臓のお薬を娘②に注入する事を忘れそうになった。

これではリアルに娘②の心臓が危ない。

それで翌朝、その旨を連絡帳に書いて、娘①に持たせた。

小学校の欠席連絡、それは児童による伝書鳩方式。

この日、連絡帳を渡した娘①の爪はきれいに切りそろえられていた、もうしばらく息子を学校に行かせなくて良くて、その学校からの着信にメンタルを心不全にされなくていいのだと思うとなんだか落ち着いてしまって、前の晩、娘①を膝にのせてきれいに切ってあげられたのだ。

当然学校からは即連絡がきた

どれくらいお休みするんでしょうか
お休みの間はどう過ごされるんですか

担任の先生には多分かなりアレな親だと思われた事だろう。間違いない。ホンマすいません。

それで私はこう伝えた

「専門医を探します、受診の目途が立つまで登校させません。」

②に続く

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