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入院日記4。

O・ヘンリ短編集の中に『最後の一葉』という物語がある。

重い肺炎を患った芸術家を志す若い娘が、窓の外の煉瓦の壁に這う蔦の葉を見て「あの葉が全て落ちたら自分は死んでしまう」と言い、それを聞いた老画家がその壁に本物と見紛う蔦の葉を描くとそういう話です、有名なアレです。

世界中で翻訳されている、名著であるというのは知っているし認めるのですけれど、この作品、このジョンシーという娘さんが時折、子どものような姿で描かれることもあって

「病気の女の子とはやや厭世的でわりと悲観的で、なにより大人しいものだ」

という間違った印象を世間に植え付けてはいないかと思うのですよね、題してジョンシー効果(ジョアンナ・ジョアナとも)。

たとえばそれが静脈麻酔その他麻酔鎮静下なんかであれば、さすがに大人しいというかそれは無意識の治外法権というか、とにかくよほど症状が重篤で活気0、意識レベル低下、血圧上が200、SpO2が70%とかそういう状態でなければ、特にうちの娘なんかは多少熱があろうと術後だろうと、ぜんぜん全くおとなしくなんかない。

それはたとえば別の、色々の障害のために座位が取れない子であろうと、自立歩行が困難な子であろうと、言葉で気持ちをつたえることの難しい子でも同じこと、ちゃんと自己主張というものをする

「たいくつや、なんとかせえ」

そんなですからね、ウチの4歳なんか昨日1万歩きましたよ病棟を。本当に毎日ピクミンブルームが捗ることといったらないし、テルモの輸液ポンプのバッテリーはしょっちゅうピーピーと

(このままでは滴下を調整できませんので、いち早くどこかのコンセントに繋いでください)

多分言語化したらこんなふうなことを、言いっぱなしだった。テルフィージョン輸液ポンプTE-1615には辛い職務を課してしまって本当に申し訳ない、臨床工学部門の皆様にお詫びしなくては。

まったく一体どこの何の病気の女の子が大人しいものか。

そんな4歳なもので、この入院、特に検査の前、だただた体の中にあるワーファリンの薬効を抜いて、ヘパリンをソリタT2号輸液と共に点滴している今、体調自体は万全、ご飯もおやつももりもり頂いて、気力も充実しているのだから朝かならずきらきらとした目でこう聞くのですよ

「きょうはなにするの?」

ええとね、今日はすることが、ないのやわ。

あるとしたら点滴の交換とか、シーツ交換とか、あとはお風呂…?それくらいのもので、特に小児専門病院でもない4歳のかかりつけ大学病院は、何が起きても複数の診療科の専門医が在籍していて、それで丁度1年前の心オペの術後痙攣をおこした時には小児脳外すらあるこの環境にとても助けられたのだけれど、それにしてもやや子どもの喜びそうなものが不足しているというか、ただ病棟を歩き回り、時折プレイルームで遊んで、少しだけ中庭のような場所に出てやっと半日を消費できる。そんな日々。

それでも4歳は退屈だし、その4歳の背後を酸素ボンベと点滴台を押して歩く私の足腰はやや限界です。

しかしなんですか界隈の、というか東京や神奈川にある某子ども専門病院なんかは、MRIやCTのある放射線科のお部屋は明るいイラストが部屋を飾り、子どもの遊ぶ場所なんかもふんだんにあって、そのうえ犬が、ワンちゃんまでいるとか。

それは病気の子ども達に元気と勇気を運ぶ『ファシリティドッグ』という特別に訓練された賢いワンちゃんなのだけれど、その存在を知った時には羨ましくて妬ましくて心のハンカチをギリギリとかみしめたものだった。

病棟の中をかしこ可愛いラブラドールとかゴールデンがにこにこと歩いている。

なんて素敵なことでしょう。

うちの4歳なら「せなかにのせろ」と言って大変にごねたことだろう。あと耳を引っ張ったりとか。そしてウチのとこの病院の放射線科というものは、そこにあるRTさんは職人技の高等技術で撮影は的確だし、トリクロを使おうがミダゾラムを注入しようがひとつも眠らずに泣き叫ぶ小児にも優しく忍耐強く接してくださる。私としてもソフト面に何ひとつ文句は無いのだけれど、いかんせんその場所が部屋が『地下検査室』『秘密結社』の趣というか、おどろおどろしい雰囲気が強すぎて大人でも怖い。あの巨大なCTの機会の隣に人ならぬ白い服の何かが立っていても私は驚かない、うそ、普通に驚くし怖い。

まあそんな放射線科には今回、カテーテル検査のその日まではお世話にならないのだけれど、それにしてもここまでやる事が無いと、いっそ脳シンチグフィ検査とか行かないかなとか思ってしまうし(全く必要ない、いかない)、1年ぶりでお会いできたリハビリ科の理学療法士の先生にも

「先生もうだめです、私こんな元気な状態で娘を入院させたことが無いし、当の本人も退屈しすぎて暴走してます、いっそリハビリを入れてください」

そう訴えて笑われた。笑いごとではないですよ先生。

でもこの日はひとつだけ予定があった。それは「採血」という4歳には恐怖のアレが。

それのどこが予定やといわれそうだけれど、この無味乾燥な予定の空白地帯ではそれもまた大切な1日の予定なのであって、もう手帳に書きこみたいくらい。でも4歳には最高に消し去りたいタイプの予定であるのは確か。

4歳児のステージに上がってからの4歳は、月1回通う小児外来での採血は、それこそ病院に行く数日前から

「さいけついやだーびょういんいかないー」

そんな感じにぐずぐずと言うものの、いざ現場に行って処置室の前に立つとそこは手練れの疾患児というか元々気の強い、気性のしっかりとした娘であるので

「ひとりでだいじょうぶ」

と言って私の手をするりとほどいて本当にひとりで、看護師さんに手を引かれて処置室に入っていく。我が娘ながらその後ろ姿は立派だと思う、それは逃げないと決めたひとりの人間の強い背中だ。

でもそれは多分かなり慣れた場所の、顔を見知った看護師さん達がそこにあるからというのも「ひとりでだいじょうぶ」を可能にしている理由なのであって、1年ぶりの病棟の処置室と、今回の入院で初めてお会いした担当医の先生ではどうだろう。

「あのさあ、今日採血あるねんて」

「さいけつやだ」

「でもほら、検査の前に絶対必要な採血やからな、頑張ろう」

「けんさやだ」

「多分、あの先生ゼッタイ採血上手いで、あの雰囲気はただモノではないて、一発で決めはるて思うねん」

「ヤダっていってるでショ!」

まあ全力拒否ですね、わかります。特に初見の先生だと緊張するのは大人も同じ。でもこの4歳の偉いところは、そうやって何度も「サイケツは必要な事なんやで」と私が言葉を尽くして繰り返していると、「わかった」とは絶対言わないのだけれど、段々と覚悟して最後、担当看護師さんが

「じゃあ行こうかー」

と呼びに来た時にはちゃあんと自分の足で、しかし涙ぐみながら処置室に入るところ。もう4歳になったこの人に誤魔化しは殆どきかないのでいつもできるだけ真実を伝えるようにしているのだけれど、その本当のことから泣きながらでも絶対に逃げない姿勢には43歳のこの母は本当に頭が下がるというか、我が子ながら強い子であるなと思う。

子どもに嘘をついてはいけない
「採血なんかいつもしてるでしょ」なんて彼女の気持ちを雑に扱ってはいけない
理解できないから無駄やと思わずに何度も丁寧に説明をしなくてはいけない

大体のことが大雑把で他者の心に対してとても鈍重であったこの私が『この手の場面では必ず子どもの恐怖に寄り添うべきである』というのかな、そういうのを理解できるようになったのは今、4歳のような先天性疾患の子どもがあるゆえのことだと思う。

ただ私この子の上に2人まだ子どもがあるもので、その子達には、まあその子らはここまで大仰な病気は抱えてはいないだけれど、インフォームドアセント(※子どもの理解度に応じてわかりやすく治療や処置について説明し、子ども 自身が発達に応じた理解をもって了承・合意すること)のようなことがこれまでに大変に雑で適当で誠にすまんことでしたとは思っています。ほんまにごめん。これは3人目にしてやっと身に着けた感覚と技術であることよ。

4歳は処置室から少し泣き声こそもれたものの、立派に、あれはスピッツ何本分の血液だったのか、目視して確認した時には5本はあったような、その結構な量の採血を終え、右手の甲にまん丸のバンソコを張ってもらって

「がんばったー」

と晴れ晴れとした笑顔で出て来た。いやもう我が子だけれど大変に立派。本当に私の産んだ子だろうか、たしか2017年のあの日、ここの病院の隣の病棟ではあと2人生まれていたはずだけれどその辺、大丈夫だろうか。実はヨソのお嬢さんを預かって育てているとかでは。

この日、実は4歳の幼稚園は新学期の進級式で、4歳は正式に年中組さんになった。昨年の入園式の時には絶賛術後入院中で出られなかった春の節目に今年も見事欠席となり、また病院からはそう遠くない幼稚園のある方向を

「ようちえんのおともだちげんきかなー」

と見つめる日々ではあるのですけれど、4歳は立派な年中さんになっていると母は思いますよ。入院5日目、やっと4歳は

「もうかえる」

とは言わなくなった。

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