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8月9日の壁と卵

長崎市が明日の平和祈念式典にイスラエルを招待しなかったら、アメリカ駐日大使が呼びかけて日本以外のG7、6ヵ国の代表が「われもわれも」とそこに追従したのだとか。

長崎市の鈴木市長は、イスラエルの代表を式典に招待しなかったことを「あくまで混乱を避けるための判断であり政治的な意図ではない」と主張し、対してアメリカ駐日大使はこれを「政治的判断」であると主張しています。妙な行き違いを孕みながら結局、79回目を迎える長崎原爆の平和祈念式典に出席しない、というのは8月9日の朝を迎えた今も変わらぬ事実ということで良いのですかね、「あ、やっぱいく」とかにはならないのですかね。(今、ニュースを見たら代理の方が出席されるようです)

でもたしか8月6日の広島の記念式典にイスラエルの代表の方は出席していた筈で、政治的意図はさておいて、警備の問題や無用の混乱の回避、高齢化の進む被爆者や遺族への配慮等、様々に理由があるだろうこの問題は、なんとはなしに広島が世界で最初に原子爆弾が落とされた街で、かの緑かがやくデルタの街が未来永劫、大量殺戮兵器を市民に投下した悲惨さと非人道性を広く世界に訴える責務をもつことと、対して長崎は人類が原子爆弾を市民に向けて投下した最後の地であって、あのうつくしい天主堂を抱く海辺の街が未来永劫、人類の平和の砦でありつづけなくてはいけないという、そういう立ち位置の違いでもあるのかなと、勝手に考えたりもしたのでした。

世間にもこのニュースへの評価や意見は賛否両論、喧々諤々、色々ある模様。戦前に生まれ、第二次世界大戦に青春をスポイルされて育った祖父母を持ち、結果「どうあっても戦争はあかん」という戦後教育のエッセンスを当事者からほんのり浴びて育った世代の私は、「流石にアメリカが出席しないのはないんじゃないの」とは、思ったりするのですが。

それから、このニュースを見ていて思い出したことがもうひとつ。

それは2009年の2月に小説家の村上春樹氏がエルサレム賞(※エルサレム国際ブックフェアにおいて授与される文学賞、人間の自由、社会、政治、政府というテーマを扱う作家が授賞対象となる)を受賞した際の受賞スピーチで、私は今回のニュースを見て「そういえば」と、このスピーチの全文が収録されている『村上春樹 雑文集』を本棚から引っ張り出したのでした。

氏は2009年にエルサレム賞を受賞した際、授賞式のためにイスラエルに招待されています。国際文学賞の授与と授賞式への招待、特に問題のない文化的な出来事であろうそれは当時、招待に応じて現地に赴くことにも、受賞を受ける事自体にも、国内外から相当な批判の声があったらしく、氏に近しい人達も「行くべきではないと思う」と氏を止めたのだとか。

本人をして「正直言って僕としても受賞を断わった方が楽だった」と言わせているのだから、結構な状況だったのではと思われる当時、氏はこの状況の原因を文章の中で

『当時のガザの騒乱に対するイスラエル政府の姿勢に非難が集中していた』

と述べています。これは授賞式のあった2009年の2月のほんの数ヶ月前、2008年の12月から翌2009年の1月にかけての22日間、その前年の2007年に完全封鎖が完了し、もはや逃げ場のない監獄となったガザ地区の住民をイスラエルが攻撃したことを示唆しています。以下は氏の文章ではなく、当時ガザ地区に居住していたパレスチナ人男性の日記ですが、当時の状況をこのように記録しています。

1月13日11時14分
血まみれの夜だった。昨晩また、イスラエルの地上攻撃があった。深夜1時半に始まり、6時45分まで続いた。またも、うちの地区だ。戦車やヘリコプターに加えて、彼等は白燐弾も使った。地区全体が白燐弾で煌々と照らされた。

『ガザに地下鉄が走る日』より  

『白燐弾』が全く初見の言葉だった私は、この文章を読んだ後に「白燐弾てなに?」と気軽に画像検索して戦慄したものでした。白燐弾に使われるのは文字通り燐で、燐は大気中で自然発火、空気に触れている限り鎮火することはありません。故にそれがひとたび人体に付着すると骨に達するまで皮膚と肉を焼くし、吸い込んでしまうと肺を内側から焼くと、そういう恐ろしいものでした。そもそも兵器が人道的なのかはさておいて、非人道的兵器です。

その非人道的兵器を大量投入し、居住地区を封鎖され逃げ場のない市民を街ごと焼き尽くした出来事の翌月、氏は受賞を受けてイスラエルに渡り、そうして選考委員とか来賓のイスラエル市長なんかを前に、まずは周囲から散々この場に立つことを止められたこと、それでも行かないよりは行った方が、何も見ないよりは見た方が、そうして何も伝えないよりは伝えた方がいいと思ってこの場に来たことを伝え、これは個人的なメッセージだけれどと前置きして、こんなことを話しました。

「もし、ここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定する事です。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう」

『村上春樹・雑文集」より

壁と卵。

それらの示すものはある場合とても単純です、壁は戦車や白燐弾であって、卵はそれによって潰されて焼かれた市民であると、そういうことになるのでしょうが、同時に脆く弱く壊れやすい我々人間は皆卵みたいなものですよとも取ることができる訳で、そうなると壁はきっと卵ひとりひとりを人間ではなく、命を非道な兵器で焼き尽くしていい、さもつまらない卑小な存在であると捉える思考と構造であると取れるのかもしれません。

氏はそれを「システム」と呼びました。

「我々のひとりひとりには手に取ることのできる、生きた魂があります。システムにはそれはありません。システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです」

『村上春樹・雑文集』より

「君たちのやっていることは、やっぱりちょっとおかしくないか」

氏はそういうことを小説家らしい暗喩と婉曲に包み、わざわざ周囲の反対を押し切ってイスラエルまで行って、あえて現地の人々の前で伝えました。それはさぞ勇気のいることだっただろうと私は思いましたし、また別の文章で氏が「文学というのはしょせん切った張ったの世界だ」と言っていたことを思い出したりもしたものです。

言葉を生業とする人は、ペンをもって戦う者は、時に命を賭して自身の言葉を伝えなくてはいけない。

厳しいことだなと思います。

さて、卵の中でもとりわけ小さく、社会的な立場のない、言うべき言葉を然程持たない私は今日、8月9日長崎の日、巨大な壁に取り込まれることなく、構造の一部になることなく、ひとりの卵としてただ平和を祈念できることに感謝し、幼稚園の卒園記念品であるロザリオを握りしめ式典を待つ末娘と、平和と鎮魂の祈りを捧げます。

そして結局あの2008年から未だ完全閉鎖が解かれず、その後も絶え間ない攻撃に脅かされ、生まれた日から今日までずっと命の危機の渦中にあるガザの子ども達に一日も早く平和と安寧がもたらされることを、同じように祈ります。


【参考資料】
『村上春樹 雑文集』村上春樹著 新潮社 平成27年
『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』岡真理著 大和書房 2023年
『ガザに地下鉄が走る日』 岡真理著 みずず書房 2018年 

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