見出し画像

入院日記6。

「おともだち、びょうきでかわいそう」

これは、丁度退院するお友達の何人かあった週末の出来事のことを話していた4歳の口からするりと出て来た言葉。

「お友達はお家に帰ったんやで、パパがお迎えに来てたねえ、退院て言うんやで、嬉しそうやったねえ」

そういう会話の中で出て来たひとことで、私はこれに対して3度の聞き直しを余儀なくされた。

何が可哀相なん?誰が?どのように?

そもそも可哀相の言葉の意味を正しくとらえているのか4歳よ。今回のこの入院中も入院荷物の中に持参した『新明解国語辞典・第7版』の定義するところによるとそれは

『弱い立場や逆境にある者に対してできるなら何とか救ってやりたいと思う様子』

ということなのだが、その辺からしてまず大丈夫ですか。

その 『可哀相』という言葉が先週末に意気揚々、退院していったお友達のことを指しているならそれは相当な間違いです。だってあの子はたしかに難しい病気を抱えてはいたものの、処置室に行く際にはあらん限りの力で抵抗する言い出したらきかない系の物凄く気の強い、しかしママにはすこぶる甘えん坊の楽しい子だったのだし。何より長い手術とその術後に耐えて、その山と谷を見事に乗り越えたのだよ。

そもそもあの子を自分より『弱い立場』にある子だと『びょうきだからかわいそう』だと思っているのならそれもまた大きな間違いだ、だって君もまた指定難病、国の認めた難病児なのだから。

 私は『可哀相』という言葉を、文章上はともかくも普段の会話の中ではあまり使わない。せいぜい『おもしろ動物動画』のようなものでしょうもないイタズラをしようとしてゴミ箱のフタに頭を突っ込み、抜けなくなってしまった困り顔の猫ちゃんを見て

「うわあ、かわいそう!(アホな猫ちゃんやな!)」

程度のことでは使うだろうか、あとは不穏なニュースに対して。不可抗力の天災、火事、戦争、崖に取り残された小鹿…そう思うと結構使ってるかもしれない。

しかしですね、誰か個人を、それも病気や障害のある子に向って『可哀相』という言葉を使うことはまずない。それはこの4歳を産んでからずっとそうだ。とは言えこの4歳は既に普段自宅で過ごしている間は幼稚園に行っていて、病棟とはまた別の、元気なお友達ばかりのいる世界で過ごしているものでやはり世には

『お病気の子は可哀相』

という文化があるのだろうか。確かに風邪で高熱を出してうんと楽しみにしていた遠足をお休みすることになった子は純粋に確実に可哀相やもんな、そういう感覚なのかもしれない。

あとはやはり、4歳は普段の生活でも医療機器を常に装備していて、それがまた顔に装着するタイプのもので分かりやすく目立つもので、その辺を歩いていると言われるものなのですよね、それは特にお年寄りの人が多いかもしれない。

「あの子、あんなに小さいのに可哀相ねえ」

その言葉が自分達親子の前で発生した時、いつも私は周囲をぐるりと見渡してしまう。誰?誰が可哀相なん?もしかしてそのへんに件のゴミ箱のフタから首が抜けなくなった猫が?えっ?まさかこの子がですか?さっきまでダイソーで「スライムかってええ!」って床でひっくり返って暴れてた子ですが?

「4歳は!スライムを!髪の毛にくっつけて一部を刈り取ることになった前科があるから駄目なのッ!」※事実

そう叫んでいたのがこの人の親の私なのですが?

こういう時の『可哀相』は先方にはひとつも悪気はないのだろうし、私の方は私の方でこれは当事者の傲慢であると、そう言えるのかもしれないけれどやっぱり駄目だと思う。それはその子が医療機器をつけていても普通に街中を歩いて、お母さんらしき人と普通に買い物をしている、そこに至るまでの険しかった道のりのすべてを「なかったこと」にしてしまう言葉だからだと私は思うのだけれど、どうだろう。

おばあちゃんありがとう、でもねえこの子、こうなるまで生まれてから何度も入院して、3回、10時間越えの長い手術を乗り越えて、ICUで何度も死にかけて、お陰で頭にハゲはあるし、胸にもでかい傷があるし、今もリハビリ中で、この先の人生はどうなるかわからないけれど、それでも今日ダイソーでスライム買ってって泣いて暴れたのよ。

そういう、激闘の歴史のようなものを、可哀相という憐みの言葉ひとつで片付けてはいけないように思う。ちょっと特殊な医療機器を携えている子は、もしくは頭髪が妙に不ぞろいである子は、言葉と動きにやや不思議なところのある子は、どの子も皆、色々な「できたら無い方がよかったこと」を乗り越えて、もしくは現状維持でそれと一緒に、今日ここにあるのだから。

言葉は生き物であって、それには来歴というものがあり使われ方の変容があり、手触りとか温度というものすらあるもので『可哀相』にも、その時々に相応しい場所が、あると思うのよお母さんは。

とにかくあの退院したお友達は手術入院を立派に戦い抜いたのであって、それはひとつも可哀相なことではないよ、4歳も同じようなことをしてきたのだから。だからこのあと退院して、またいつもの暮らしに戻って、お母さんと2人で出かけた街中で、4歳のことをよく知らない誰かから

「まあ、可哀相ねえ」

と言われることがあったら

「かわいそうとちがうで」

笑顔でそう伝えてあげなさい。相手をただ弱い者だと思う『可哀相』はあまり使わない方がいいね、あの子と4歳はお友達だし、仲間だよ。

小さいものを慈しむ気持ちと、誰かを憐れむ心は、なんて言うのかなあ、少し違うのだよ。説明が難しいけれど、例えばその違いのひとつはそこに『愛』が介在しているかいないか。それって大きな違いだと思う。そういう事をこれよりもっとずっと優しいことばで話して諭して聞かせたものの、4歳は

(フーン、そうなん、しらんけど)

というあからさまに興味のない態度でカニュラを鼻から外してハナクソをほじっていた、器用な事するねえ。

まあそれでも4歳には『愛』について、私なんかよりずうっとよく分かっていて知っていて実践さえしていることがある。



今回の検査入院で、何しろぷりぷりに元気な4歳は部屋で1秒たりともじっとしていることが無くて、ひたすら点滴台と酸素ボンベと母親の私を携帯して病棟中をウロウロと歩いているのだけれど、そのお散歩コースの病棟のややはずれた場所にNICU・新生児集中治療室がある。

そこは当たり前やけれど4歳も私も入ることが赦されない、病棟の中でも強固な2重扉に仕切られた特別な聖域のような場所であって、私はいつも4歳に

「ここに小さな赤ちゃんが沢山いるのやで、みんなちょっと早くに生まれたり、お病気だったりする子やから、ここに入院してんねん」

そう教えている。それで自分だって赤ちゃんに毛の生えた程度の生き物である癖に、赤ちゃんがとても好きな4歳は、どうやらここには自分の好きなちびちゃん達が沢山いるのだと聞いていつも必ずそこに立ち寄るようになった。とは言えそれはドアの前までぽこぽこと歩いて行って

「ここにあかちゃんいるんよなー」

と言うだけ。赤ちゃんたちはまだ小さくて弱いもので、生まれたままの状態ではお家に帰る事はできないし、その姿は4歳や私のような完全に無関係な人間が垣間見ることもできない。そういうことをちゃんと理解していたのかどうか、今回の入院の開始数日後、4歳は突然NICUの扉の前で

「ちちとッ!ことッ!せいれいとのみなにおいてアーメン!」

という幼稚園で習ったお祈りの文言をでかい声で口にしたかと思うとこう続けたのだった。

「あかちゃんがッ!はやく!げんきでッ!おおきくなりますように!」

このNICUの卒業生で、中の赤ちゃんたちには4歳年上の先輩である4歳の唐突な祈りに私は驚いたけれど、4歳はふざけている訳ではなくていたって真剣で、これは多分幼稚園で神父様である園長先生に

「自分ではない、だれかのために祈りましょうね」

と教えられている故なのか、彼女の無辜の愛のようなものなのか、そんなに鼻息荒く祈ったら中の人々も驚くだろうに(聞こえへんやろうけど)とにかく神様も驚いて数人分くらいなら即日願いを聞き届けてくれそうな勢いでそう祈った。

そしてそれは以後毎日続いているのだからすごいと言うか怪しさ満点と言うか。

この人は言葉の、『可哀相』の使い方はまだまだ。人間としては5年目のほんの駆け出しであるので色々と経験を積んで分かっていかないといけない、道の途中ではあるのだけれど、愛については、その本質をちゃんと理解しているような気がする。じゃあその本質て何ですかと聞かれても私だって全然分からないのですがね。

ただどうにも心の曇りがちな大人の私よりもこの件については4歳児の方が私よりかなり上手であるような、そんな気がするのですよね。

それは子どもであるからなのか、もしかすると彼女の持つ気性、才能のようなものなのかもしれない。


さて、今日も1人、長い長い入院期間をここで過ごしていたお友達が退院する。この子はうちの4歳とは全然違う種類の疾患の、4歳よりずっと年上の子。

小児病棟というのはとても面白いところで、退院の日、誰もそこでの『再会の約束』というものをしない。例えばうちの4歳のようにどうしようもなく、いかんともしがたく「定期的な検査や、メンテナンス要」という身体を持っていようと、長い投薬治療中であと数ヶ月後には既に再入院の予定が決まっていようと、それでもその場所で共に過ごしたお友達との退院の時の別れの言葉は

「外来で会えるといいね」

であって、もし再会できるのであればそこは階下の小児科外来で。出来るだけ入院しないようにしようね、出来るだけ自宅で家族との時間を持とうね、元気でいようねと、そういう約束になる。

わたしたちは病棟では会わない方がいい。

しかし実のところ、この子と病棟で再会したのはこれが3度目であるので、何というかこれはご縁?運命?いや違うか。それ位、生まれて今日までの4歳の入院回数が多かったということなのだ。そしてなによりこの子の入院頻度とその入院期間。

最長は半年だそう。外科手術を受けて、それが思ったようにはいかなくて、再手術をして、また手術して。同じような事の起きていた今回の入院、長い長い冬を越えて春すらもう駆け足で過ぎようとしている今日、退院する子とママ。

身体自体は普通の子とは相当に違う、かなり複雑な構造をしているその子や4歳はその分それが脆くて壊れやすい。でもその体でこの先を少しでも長く生きるために、生まれた時から何度も体にメスを入れて来た、いわばファイターだ。

それって、可哀相だろうか。

いや、格好いいやろ。



サポートありがとうございます。頂いたサポートは今後の創作のために使わせていただきます。文学フリマに出るのが夢です!