見出し画像

短編小説:こんにちは、赤ちゃん

「わたし、もうここには来ないと思います」

昼の面会の終りに担当看護師にそう伝えて、大学病院から半年前に購入した白いマンションに帰って来たわたしは、その次の日、本当に保冷バッグに冷凍した母乳を詰め込んで病院に行くということをやめた。

(もうあそこには行かないんだから、搾乳なんかやめよう)

そう思ったのに、わたしの気持ちを全く理解しないわたしの乳房は3時間毎に律儀に母乳を生成し、乳房の持ち主であるわたしがそれを無視していると、今度は限界まで満ちた母乳はわたしの両乳房を岩のように固くした。そうなると痛くてとても仰臥していられない、仕方がないので明け方ベッドから起き出して電動搾乳機で搾乳し、絞り出した白い体液を全てキッチンのシンクに捨てた。

白い液体が銀色のシンクにすーっと流れ、白い筋を作るのを見ていると、考える葦で、ホモサピエンスで、文化的生物であると思い上がっていたわたしは結局ただの動物なんだなあと、妙に感心した。


「まあ昔はさ、あんな風に小さく生まれた赤ん坊は、育てないで見棄てるもんだったんだろ、まだ産婆さんが家に来てお産してた時代とかは、小さすぎて育ちそうにない赤ん坊とか明らかに障害のあるって見た目の赤ん坊はその場で産婆さんがさぁ…」
「やめてよ」

25週目、本来ならまだお腹の中で育つべき赤ちゃんが、破水と共につるりとわたしの体外に滑り落ちてきてしまった日、どうにかそれを取り落とすことなくとり上げてくれた産科医、助産師、そして出産時、新生児搬送のためにLDRで立ち会っていた新生児科医の前で、昔の人間や野生動物は育つ見込みのない赤ん坊を見棄てた、それが自然の摂理なんだと話しはじめた孝太郎をわたしは消え入りそうな声で制した、こんな時にそんなこと言うのやめてよ。

「ご主人、色々なことが一度に起きてお気持ちがついていっていないのは僕にもよく分かるんですが、今一番頑張っているのは赤ちゃんで、今一番辛いのは奥さんなんですよ、そういうことは…」
「べつに僕、妻を責めてる訳じゃないですよ、一般論の話をしているだけです」
「だとしてもです」
「はぁ…」

数時間前、緊急のお産に立ち会った産科医が夫の孝太郎をたしなめるようにそう言ったものの、孝太郎は不思議そうな顔をするばかりだった。理知的で冷静で合理的でそういう点はいつもつい感情的になりやすいわたしにのパートナーとしては丁度いいのじゃないかと思っていた孝太郎が、実際は無感情で冷淡で自分本位なだけの男だということに気が付いたのは、妊娠が判った後のことだった。

赤ん坊の出生体重は550g、分娩の時にちらりと見たその子は片手に乗るほどの大きさだった。

分娩から半日後に出産後NICUで再度対面した赤ちゃんはまるで生まれたてのパンダの赤ちゃんのようにふにゃりとして小さく、皮膚がまだとても薄いせいで赤ちゃんという名前の通り赤黒い色をしていた。そして早く生まれ過ぎてしまったせいですべての器官が未熟で未完成で、そのために人工呼吸器に呼吸を助けられ、身体に絡まりそうな程のいくつもの管に繋がれてやっと細い生存の糸を保っていた。

「お母さん、赤ちゃん、こちらですよー」

NICUに案内してくれた看護師に「お母さん」と呼ばれ、それが誰のことかわからずぽかんとしていたわたしは今度は名前を呼ばれた

「高梨さん、ベビーちゃんこちらですよー」

それでやっと「はい」と返事はしたものの、わたしは赤ちゃんの小ささに衝撃を受け、その後はタオルの隙間に埋もれるように横たわる透明な箱の前でぼんやりと椅子に座っている以外何もできなかった、というよりも何もすることがなかった。時々アラームがピンコーンと鳴ってそのたびにどきりとし、ワンテンポ置いて看護師が「はーい、大丈夫ですよー」と言ってアラームの音を消しにくる、それと産科の授乳室の隅で搾乳したわたしのほんのわずかな母乳を、赤ちゃんの鼻に通した細い管から赤ちゃんの胃の中にほんの少し流し込む、目の前に起きる事と言えばそれくらい。

気管に人工呼吸器のカテーテルを挿管された赤ちゃんはぴぃとも、にゃあとも言わない、細い喉を細い管が塞いでしまっているので泣き声が出てこないのだそうだ。

「こんなことされて、この子、苦しくないんですか」
「いやー、これが無いと逆に呼吸が苦しくなっちゃうんですよねー」

赤ちゃんに繋がれた管の先にあるシリンジポンプを確認にきた新生児科の医師にわたしは「こんなに色々繋がれて大丈夫なんですか」と聞いた。すると青いスクラブを着た若い先生はまるでお天気の話をするような軽さで「大丈夫ですよー」と言って爽やかに笑った。

550gで生まれてしまった赤ちゃんが今一体どういう状態で、そして今後どうなるのか、産科医、新生児科医、NICUの看護師同席のもと、もともとは一つの細長い部屋だったものを細かく仕切って作られた面談室で説明があった、退院の日の前日のことだった。

「体重が2000gに乗るまでは、退院のお話しはできないって状況なんですが、今はとにかくNで注意深く見ていきます」
「退院できる体重になるまで育てるって、一体どれくらい時間がかかるんですか?」
「それは、まあ赤ちゃんそれぞれではあるんですけれど、予定日は3月でしたよね、できれば桜の咲く頃までには…というのが今お伝えできる大まかな目標でしょうか」
「元気に、普通の子どもみたいになって退院できますよね?」
「高梨さんの赤ちゃんは身体の各器官ができあがって成熟する前に生まれています、ですから厳しいハナシ、今後目や肺や腸や脳、色々な臓器や器官に障害が出てくる可能性があります。それから感染症の心配もありますし、無事に退院となっても、その時の状態に合わせて、酸素とか、経管栄養とか、ご自宅でのケアは必要になる可能性が高いです」
「えっ」
「でもまあ、それはもう少し先の話ですから、まずは1日1日、みんなで乗り越えていきましょう」
「わたし、どうしたらいいですか」
「お母さんは、母乳を絞って赤ちゃんに届けて下さい。それから退院後も、身体に無理のない範囲でできるだけここに通って、お子さんに声をかけてあげてください、人工呼吸器を抜去できれば抱っこも沐浴だってできますし、ママやパパが傍にいてあげるだけでも赤ちゃんは安定しますから」

産後すぐの面談で産科医に『叱られた』と思いこんでいるらしい孝太郎はこの面談の間、終始不機嫌そうな顔をして、ひとことも言葉を発しなかった。そのくせその後に1階のスターバックスコーヒーでキャラメルフラペチーノを注文した孝太郎は、一重の目を更に眇めながらぺらぺらと医者への文句をまくし立てた。

「医者ってどいつもこいつもなんか偉そうだよなー、ここの医学部程度だったら俺だってフツー受かったけどさ。まあ俺は医者なんて労働力の薄利多売はしないけど、大体開業医ならまだしも勤務医なんかただの高知能の負け組だろ、勤務医って俺くらいのトシで年収2000万も行かないって言うじゃん、それなのに医学部6年、研修医2年、えーと専攻医2~3年だっけ?それで毎日当直と日勤のくり返しで家に碌に帰れなくてコンビニのメシばっかり食って、ほんとコスパもタイパも悪すぎだよなー」

何かに文句を言う時の孝太郎は本当に生き生きとして饒舌だ。孝太郎は他人にマウントをとることを建設的で活発なコミュニケーションと思い込んでいる節がある、これが本人にとっては楽しい他人との会話なのだ。普段ならそれに慣れっこで特に反応しないわたしも、この時ばかりは孝太郎の口から滑らかに流れて来る医者への文句を「やめて」と制した

「そういうの、今やめてくれない?」
「え、何で?だってそもそもあいつらが芽衣の早産の兆候に気が付いてたらこんなことにはならなかったんじゃないの、事前に管理入院とかしてさぁ」
「そういうものの予測は難しいんだって、今回入院になった時、最初に先生も言ってたじゃない」
「そうだっけ?でも言い訳だろそんなの、自分達の責任ですなんて認めたら訴訟になった時完全に負けじゃん、第一私立大学の医学部出身の医者なんてマトモに受験してんのかさえ怪しいしさ、もっと他の病院にしたらよかったのに」
「だからそれは」
「あ、芽衣が妊娠高血圧症になっちゃったからここになったんだっけ、ならしょうがないか」
「私のせいってこと?」
「別に俺、そんなこと言ってないよね、芽衣って子ども産んでからなんかすごい苛々してない?あ、それと明日の退院って俺は付き添わなくていいよね、俺仕事あるし、赤ん坊は春までNICUから出られないみたいだし、芽衣がひとりだけで退院するんでしょ」
「もういいよ…」
 
もううんざりだよ、わたしが絞り出すようにそう言った時、私達の席に5歳か6歳位の男の子がぴょこんと顔をのぞかせた、そして躊躇なく空いていたスツールに「よいしょ」とよじ登り、上手に座面に腰かけた。

「こんにちは!」
「こ…こんにちは」
「おじさん、何飲んでるの?」

丸いテーブルに頬杖をついて人懐こい笑顔をわたし達に向けるその子に、孝太郎は何も答えなかった。だからその子の質問にはわたしが代わりに答えた。

「キャラメルフラペチーノだよ、冷たくて甘いやつ。ボク、お家のひとは?ママとかパパは一緒じゃないの?」
「パパはいないよ!うちはママだけ!」
「あー…そうじゃなくて、この病院に誰と来たのかなって聞いたの」
「誰とも来てない」
「じゃあ、ひとりで来たの?」
「そういうのとも違う!」

男の子はそう言ってニコっと笑うと、ひらりとスツールから飛び降り、そのまま振り向きもせず駆け足で総合受付の人垣の中に消えていった。「あの子、なんだろうね、大丈夫かな、迷子じゃないよね」私がそう言うと孝太郎は吐き捨てるようにこう言った。

「放置子ってヤツじゃないの、パパはいないよって言ってただろ、母子家庭の子って大体あんな感じじゃん、やっぱり親になるのって資格試験制にするべきだよな、低能な連中ばっかり無計画に子どもをボンボン作るだろ、ホント最悪だよなー」

ウカツに子どもなんか作るもんじゃないね。

それが透明の箱の中でか細い命の糸を繋いでいるわたし達の赤ちゃんに向けられた言葉だったのか、さっきの不思議な男の子への孝太郎の感想だったのか、それはわたしにはわからなかった。でもわたしは激高した、あんたのそういうとこ本当に無理なんだけど。

実際わたし達だって結婚こそしていたものの今回のこれはまったく予定外の、思いがけない妊娠だったのだから。

そしてその日から孝太郎は私達の自宅であるマンションではなく、マンションから電車でふた駅先にある自分の実家に戻ってしまった。孝太郎からは一切連絡はなく、LINEも既読にならなかった。代わりにお義母さんからわたしに連絡があった。

「ごめんなさいねえ芽衣さん、あの子少し戸惑ってるみたいで」
「はあ」
「それとね、あの子と話したんだけれど、赤ちゃん550gしかないんですって?そんな小さく生まれて、将来障害が残るかもしれないってことなら、もうこのまま積極的に治療?とかそういうことはしなくてもいいんじゃないかしら、このまま自然に看取るっていうか、ねぇ?」
「あの…ちょっと、何言ってるかわかんないです」

電話の向こうで『障害児はこのまま死なせてやるのが妥当』いう言説を甘ったるい婉曲に包んでわたしに伝えてきた女に、お笑い芸人のような言葉を投げて、わたしは電話をブチッと切った。

孝太郎と連絡が取れないまま、わたしの赤ちゃんは細く脆い綱の上を歩いているような状態で、良くなり悪くなり、病院のすぐそばの公園に蝋梅が黄色い花をつけ始めた頃に新生児科医が心配していた感染症に罹患した、肺炎になったのだ。どんなに厳重に育てても、新生児科医が付きっ切りで管理しても、あちこちに針を刺されている赤ちゃんは常に感染症の危険と隣り合わせなのだそうだ。

肺炎になった赤ちゃんは肌が普段よりもずっと赤黒く少し乾いているように見えた。ぴくりとも動かない赤ちゃんの前に立ち尽くすわたしに「こんなことになって申し訳ない、しかし最善を尽くしますから」と先生は言って頭を下げ、いつもとても言葉と物腰の柔らかいNICUの看護師は「赤ちゃん、頑張っていますからね」と、わたしの背中をうんと優しくさすってくれた。

わたしはただ辛いと思った、涙が出た。

「やっぱり…し、仕事で徹夜とか、していたのが悪かったんでしょうか、早産さえしなければこんなことにはならなかったんだし」
「違います、看護師なんて妊娠中でも夜勤とかしてますよ、それは関係ありません」
「妊娠の最初にわたし、お酒飲んでたんです、妊娠してたの、し、知らなくて」
「そんなことよっぽど計画的に妊娠してない限り誰だってやってますよ。高梨さん、早産は一体どうしてそれがおきたのか、その理由がわからないってことがほとんどなんです」
「でも原因があるからこんなことになってるんですよね」
「何かしらの原因があったとしても、それは偶発的な出来事の連続の中で起きたことで、お母さんのせいではないですよ」

多分わたしよりずっと若い看護師は言葉を尽くしてわたしのことを慰めてくれた、お母さんのせいじゃないです。それでもわたしはこの日、担当医師からおおまかな赤ちゃんの状態と治療方針を聞いた後、この若い看護師にひとことこう言って、NICUを後にした。

「わたし、もうここには来ないと思います」

その日から1週間ほど、わたしは赤ちゃんに本当に会いに行かなかった。

赤ちゃんが自分の手元にいない以上、産休なんか取っていても仕様がない、だったら仕事に復帰してしまおう、そう思って会社に出向いて事情を話し、総務と人事で産休育休を撤回する手続きをした。それからずっとさぼっていた自宅の掃除を、それこそ脱衣所の小窓の桟までピカピカに磨き、数日前に義理母から「孝太郎が春用の衣類が足りないから送ってほしいんですって」という業務連絡が来ていたので、孝太郎のシャツやジャケットなんかをダンボールに皺になるようにぎゅうぎゅうと詰め込んで着払いで送った。

翌日、孝太郎から「届いた」とだけメールがあり、追って離婚届がレターパックで送られてきた。きっと孝太郎の中で赤ちゃんのことはすべてリセットされてなかったことになっているのだろう、当然赤ちゃんが今どうしているのかなんてことは何ひとつ聞かれなかった。

(わたし、子どもなんか本当に産んだんだろうか)

もしかしたらあれはわたしが見た白昼夢だったのかもしれない。

わたしまでそんな風に思い始めた頃、仕事帰りのわたしの足は赤ちゃんのいる大学病院に向っていた。それは、自分の子があの透明な箱の中で父親にも母親にもないことにされてかけていることに申し訳なさを感じたとかそういうことではなく「これは悪い夢だったんだ」というわずかな期待、黒い希望があったためだった、それを確かめに行かなくてはとわたしは思ったのだ。

赤ちゃんのいるNICUへ行くには、病院の1階正面入り口から入り、そこから真っ直ぐ伸びている廊下を病棟用のエレベーターホールまで直進、そこにある病棟用エレベーターで5階に上がって右手にある自動扉の前でインターホンを押して、2重の扉を潜る。

思いがけず早い出産をして1ヶ月ほど、ひたすら搾乳をして通い続けたNICUへの順路をわたしはほとんど無意識に歩いた、すると病棟用のエレベーターホールの前で突然誰かに声をかけられた。

「ねえ、どこいくの?」
「あれっ、この前の…」
「ねえ、どこいくの?」

それはあの日、孝太郎に「何飲んでるの?」と声をかけたのに無視された男の子だった、わたしの記憶に間違いがなければ、男の子はあの日と全く同じ格好をしていた。

「あ、あの、こども病棟」
「おみまい?」
「そんなとこ、あ、ねえ、君こそなんでいつも病院にいるの?誰かが入院しているの?お母さんとか?」
「ちがうよ」
「わかった、じゃあ妹とか、弟とかが入院してて、お見舞いに来てるんだ」
「違うよー、ぼくに兄弟なんかいないよ」
「えーじゃあ、なんだろ」

ずしんと重く暗い気持ちで正面入り口からずっとエレベーターホールに向って歩いてきたわたしは、男の子の人懐こい笑顔につい笑顔になって、そうしてあなたこそどうしていつも病院にいるのかと訊ねた。孝太郎はこの子を碌でもない親が放置している放置子だろうと言ったけれど、わたしには目の前の男の子の笑顔にそんな事情があるようには見えなかった。とても快活で天真爛漫な笑顔だ。

「僕、閉じ込められてるんだ」
「へ?」
「だから、ここから出たいんだけれど、出られないの、お母さんが来るのを待ってるんだよ僕」
「え、えーっと、入院してるってこと?君が?」
「ん-そうかもしれない、だから迎えに行ってあげてね!」

どういうこと?わたしが更に質問を繰り出そうとした時、その子の背後の病院内のコンビニの中から男の子を呼ぶ声がした。

「ノンちゃん、どこー?」
「あ、ママだ、来てくれたんだ!おーいここだよーいま行くー!」

ノンちゃんと呼ばれた男の子はくるりと踵を返すと、コンビニの中から顔をのぞかせてこちらに手を振る母親らしい人のもとに駆けて行った、なあんだママがいたんだ、迷子でも放置子でもないじゃない、ああ良かった。わたしは遠くに見える彼の母親らしき女性に会釈した、病院の白い通路の向こうの彼女はすこし笑っているように見えた。

なんだか不思議な感じの子だったけれど、きっとわたしのことをからって遊んでいたんだ、それかあの悪気も邪気もない感じは、発達とかにすこし問題のある子だったのかもしれない、定期的に外来受診している子なのかも、そうだ、だってここは病院なんだし。

わたしは何だか気抜けたような気持ちで、そのままエレベーターで5階に上がり、そして自動扉開錠用のインターホンを押した。

「はーい、NICUです」
「あの、高梨です」

インターホンに出た看護師の声はあの日、わたしの背中を優しくさすってくれた若い看護師のものだった。その人はわたしの声を聞いて、どうやらインターホン用の電話の受話器を取り落としたらしい、ガン、ゴン、ガタッという騒々しい音のあとに、掌から取り落として中空をぶらぶらしているらしい受話器を拾いながら叫んだ

「師長師長師長!ノンちゃんのママが来てくれました!」
「の、のんちゃん?」
「アッ今開けます!」

看護師は自分の子を1週間も放置して電話すらしなかったわたしを一切責めたりはしなかった。

「ノンちゃんねえ、あのあと驚異的なパワーで解熱したんですよ、ホント強い子です!」
「ノンちゃんのこと見たらお母さんびっくりしますよ、体重も増えてるし、呼吸器も抜管して、今はネイザルハイフロ―って、お鼻につける酸素になってるんです」
「あっ、だからノンちゃんの声が聞けるようになったんですよ、お母さん!」

とても興奮した様子でわたしにひたすら話しかけてくる看護師を、ナースステーションからやってきた師長が宥めた。

「有村さんあなた、高梨さんがびっくりしてますよ」
「スミマセン…わたし、ノンちゃんが初めての担当の子なのでつい…」
「いえ、ずっと来られなくてすみません、薄情ですよね、自分でも酷い親だなって思います」
「そんなことないです、こんなことになってお母さんが一番辛いですよね、でもノンちゃん凄く頑張ってますし、こうしてお母さんはまた来てくれたじゃないですか」
「あ、ノゾミってここで、ノンちゃんて呼ばれているんですね」
「そうなんです、お名前が高梨希望君じゃないですか、だからノンちゃんかなって、あっ、勝手にアダ名呼びしてすみません…」
「いいんです、いいんです、その、かわいがってくださってありがとうございます」

(そう言えばあの男の子もノンちゃんて呼ばれていたな)

そんなことを少しだけ思い出したけれど、1週間ぶりにノンちゃんの顔を見た瞬間そんなことはすべて忘れてしまった。ノンちゃんもついこの前まで自分が肺炎だったことなんてすっかり忘れているような様子で、顔は少しふっくらとし、僕の喉にはもう遮蔽物がないんだぞという風に「にゃー」と猫のような声で泣いた。

それからわたしは「もうここにはこないと思います」なんて言ったことなんかすっかり忘れ、毎日毎日搾乳した母乳を小さな保冷バックに詰め込んでNICUに通った。ノンちゃんは大きく伸びをして気持ちよさそうにすやすや眠っている日もあったし、なんだか怒っているようにずっと機嫌の悪い日もあった。クベースから出て沐浴ができるようになった日は看護師の有村さんと一緒にぼろぼろ泣き、心臓の動脈管という本来なら出生後に消え去るらしい血管が閉じてくれず、手術をすることも決まった。

「それで、手術にはご両親の同意を頂きたいのですが」

新生児科医にそう言われて、わたしは手術の同意と一緒にノンちゃんを一体どうするのか、養育費や共同名義になっているマンションはどっちが取るのか、細かなことをはっきりさせようと離婚届を送りつけておいて、その後はだんまりを決め込んでいる孝太郎に何度も連絡をしたけれど、孝太郎は「そっちで適当にやっておいてよ」と言うばかりだった。

仕方なく2月の日曜の午後、わたしは孝太郎の実家を訪ねた。しかし結婚の挨拶以来のあまり足を向けることのなかった古い戸建ての2階で、孝太郎は趣味の模型作りに没頭しているらしい、義理母が降りてくるように何度か促したが、孝太郎は日曜日は休みたいと言うばかりで、結局最後まで階下のリビングに降りてこなかった。

「ごめんなさいねぇ、ひっぱってくるわけにもいかないし」

(いや、首に縄付けて連れてこいよ)

そうは思ったものの流石に口には出さず、結局わたしは義母を相手に離婚後の不動産と共有の財産の分配について説明をし、義母からその合意と同意を貰うという形で、いともあっさりと離婚を成立させた。

義母は孫であるノンちゃんの様子を一度も訊ねることなく、いくつかの書類に判を押した後は一方的に丹精している庭の花壇の花と、飼っている愛想の悪いシーズー犬の話をした。そのどうでもいい話を聞きながらわたしはぬるい紅茶を飲んだ、この人の淹れるお茶はいつもどうしてだか全部ぬるくてびっくりするくらい不味い、でももうこれを二度と飲むこともないのかと思うと少しだけ、感慨深かった。

「じゃああのマンションはわたしがもらうってことでいいのね」

帰り際、階段の下から孝太郎の部屋に向ってそう言ったけれど、孝太郎からはなんの返答もなかった、養育費も面会の扶養もぜんぶ文書で回答して解決たんだからもういいじゃん、そう思っているのかもしれない。それか離婚してノンちゃんの親権を渡したところで、既に身体にいくつかの障害が発覚しているノンちゃんの父親であることに変わりはないという事実を、受け入れたくないのかもしれない、だいたい妊娠が判った日

「障害児だってわかってて産むとか神経がどうかしてるよな、その子に問題があったら即堕ろしてよ」

そう言ってその場で、NIPT(新型出生前診断)を受けられる病院を検索し、夫婦カウンセリングも受けずに検査予約をした人だ。

自室に引きこもったままの孝太郎は、この時のわたしにはまるでクベース、保育器の中から出られないまま大きくなった人間のように思えた。クベースに自主的に閉じこもってせっせと飛行機の模型を作る孝太郎の姿を想像したらなんだかそれが妙におかしくて、夕方、人と人とが行き交う駅の中で大声を出して笑った。夫婦らしいおじいさんとおばあさんが少し不思議そうな顔をして私を振り返る。

もういいや、わたしには可愛いノンちゃんがいるのだし。


あの日、コンビニからひょっこりと顔をのぞかせたあの子のママの姿が、自分にとてもよく似ていたなということに気が付いたのは、2300gになったノンちゃんを家に連れて帰ってしばらくした4月の優しい晩のことだ。

サポートありがとうございます。頂いたサポートは今後の創作のために使わせていただきます。文学フリマに出るのが夢です!