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vulnerable

ついこの前、うちの五歳児ことウッチャン(本人自称・本名とはかすりもしていない)を連れて、現在かかっている大学病院とはまた別の、国内最大級、最大規模、最新の医療機器がずらりと揃い、稀少な専門医がそこかしこにいると噂の病院に行ってきた。

最初それは、元々かかりつけの「ここで生まれまして、ここで育ちました、この病院こそがウッチャンの実家でございます」という大学病院で、ウッチャンの持病である心臓とそれに伴う肺の不調が、産まれてこの方足かけ五年ウッチャンを診てきた主治医をして

「ここの設備とぼくの技術では、これ以上どうもならん」

という結論となり、私が他所の病院の専門医に意見を仰ぐ、セカンド・オピニオン、略してセカオピを申し出たことに端を発したもの。ただそれだと自由診療なのでノット保険適応、オール自腹になってしまう、それで主治医から「それやったらもう紹介状書いたるし形式上転院ってことにしとけ」という指示があり、転院という形をとることになったもの。それのための諸々の書類を受け取った日に

「ぼくの技術ではこれが限界やった。ホントに申し訳ない」

私とウッチャンに深々と頭を下げて己の力不足(いやそんなことは全くない)を詫びてくれた主治医を、私は大変に立派な人だと思ったものだった。検査のオーダーを毎度毎度出し忘れ、時折、本当に時折、服用薬の処方を間違うおひとではあるのだけれど。

それでとりあえず、転院(仮)することにして出向いた病院は、数年前に以前のボロ…歴史ある建物からお引越しをして、完全新築リニューアルしたぴかぴかのほぼ新品だった。その白く四角い白亜の建物を電車の窓から見た時には

「線路の向こうに巨大なトウフが!」

という感想が頭の中だけではなくて口からぽろりとこぼれ出た。病院ってなんであんなに白くて四角いデザインが多いのだろう、いっそシンデレラ城みたいな外観してくれても、いやそれはそれで落ち着かへんか。

建物の中に入ると、そこは雪の降った朝の窓の外のような真っ白い空間で、高い天井に、駅直結の二階のエントランスから左右に幅の広い廊下が伸び、道なりにいくつもの診療科と検査室が無機質な明朝体の数字に割り振られてずらりと並んでいた。すごくSF、かつ近未来的、そして私と言えば

「近未来て、何?」

と人に聞かれると、なぜだかドラえもんの丸い姿がぽこんと頭に思い浮かぶ、なぜだろう、昭和生まれだから?ともかくそこは医療という目的のために無駄をすっきりきれいに省いたシンプルでミニマムな空間だった。

最先端の医療と治療を正しく管理、遂行するために無駄をすべて取り払った最先端の専門病院、そこは、いくつもの診療科を有するデパート的で総合病院的な大学病院とはまたぜんぜん違う雰囲気で、大学病院に行けば必ず遭遇する巨大な手提げを抱えて足早に廊下を行く医学生さんがいないし、群れからはぐれた子羊ちゃんのように病棟の隅で三人程の塊になっている看護学生さんもいない、ちょっとさびしい。そんな空間で私はどこの何を見ても

「ハー…」

とか

「ホ―…」

とか、おのぼりさん的ため息をつきながら

(ここはどこやねん、うちはここでなにをするねん、いっこもおもろないねんけど)

という顔をしているウッチャンと、ひとまず小児循環器科の初診外来の掲示板に初診受付で割り振られた番号がぴかりと点灯するのを静かに待っていた、そうしたら

「患児搬送です」

という全館放送が流れて私は驚き、ウッチャンはぽかんとしていた『なんなん?カンジハンソーて』という表情で。

毎月最低一回、多い時には三~四回は大学病院に通い、付き添い入院も年間平均三~四回、年中行事のように病院通いをこなしてきた私も、職員向け全館放送を聞いたのはこの時が初めてで、それははっきりと『患児』と発音していたし、何しろここは泣く子も黙る国内最高峰の専門病院だし、心停止か呼吸停止か、とんでもない状態の子が運ばれてきたのかもしれない。これが噂のコード・ブルーか、スタットコールというものがテレビドラマの中だけの、都市伝説的なものだと思っていた私は思わず音のする方向の、天井を見上げた。

でもそれは職員の緊急召集ではなくて、救急車の到着後、可及的速やかに患児を多分階上のPICUかICUないしはERに上げるので、職員用のエレベーターなどいくつかの職員用の設備は今使えません、というか使うな、使うたらしばくでという(そこまで言ってない)お知らせであって、目にも鮮やかな紺のドクタースクラブを着た山下智久似のドクターが真っ白い病院の真っ白い廊下を駆けてゆくということは当然、起こらなかった。

そしてその時、自分の座っていた場所の隣近所をふと見渡すと、私と同じように小さなお子さんを連れて外来に来ていたお父さんやお母さんが皆一様に音のする天井を見上げて、少し心配そうな、そして緊張したような顔をしていた。

多分、みんな一度は我が子を救急車に乗せた経験のある人達なのだと思う。

そこはそういう病院のそういうフロアだった。そこにあるのは皆、割と重めの心臓の病気のあるお子さんとその親御さん達。

心臓は人間の生存の要で中枢で、それがうっかり停止するとあら大変、仮に蘇生できてもその後に起こる体や脳へのダメージは計り知れない。その上、その作りが生まれつきいくつか欠けているとか機能自体がひどく脆弱とか色々と問題のある子どもというのはちょっと風邪をひいてもうっかり死にかけるし、とにかく普通の子どもよりも格段に弱い。

なにしろ日常的に酸素を使っているのに補助輪つきの自転車を乗り回し、身長と体重はほぼ標準、心臓と肺の機能の危うさはともかくも、一度大きな手術後に起きた重度の心不全のあおりを食って壊れかけた腎機能と肝機能は現在すこぶる快調で

『ゴリラのような頑健さ』

などと言われて久しいうちのウッチャンですら、救急車に乗ったことがあるのだから。

それは、ウッチャンがまだ一歳にもならない小さな赤ちゃんだったころの夏の朝、前の晩は姉と兄の後を追ってお部屋中をお尻でずりずりと這いずり回って遊んでいたのに、何の前触れも予兆もなく突然三十九度の高熱が出たことがあった。それで当時はまだ例の面倒くさい感染症が世界に蔓延するずっと以前だったものだから

「風邪やろか」

だったらと、かかりつけの大学病院ではない、ウッチャンの診療情報提供書を預けている近くの総合病院に歩いて出かけたら

「こんなの、ウチじゃ診られませんよ」

外来でウッチャンの常人と比べて酷く低い酸素飽和度と、雑音著しい心音、活気はないし、その上ほんの数ヶ月前に心臓の手術を受けていると聞いた若いドクターの顔色がみるみる青くなり、即座に救急車を手配してのかかりつけの大学病院へ病院間搬送することになったもの。私はその時、抱っこ紐の中でぼんやりとしている赤ちゃんのウッチャンがそんなに悪い状態には思えなかったのだけれど、お医者さんが「とにかく大学病院の方へ」と言うし、帰宅して自宅で養育できているとは言えこの子は重症の心疾患児であるのだし、うっかりこれで

「大変残念ですが…」

なんてことになったらどうしようと、普通の車よりもやや乗り心地が悪い、縦にも横にもガタゴト揺れる救急車の中で

(神様お願いです…エート…その、今この子を天国に連れ戻すような…イヤまてや、そんなことしてみい、バチボコにしたんで、その辺はオマエ、分かってんねやろな)

などと神様相手にライトな脅しをかけたりしたものが、結局赤色灯を回しつつ運ばれた大学病院で待ち構えていた主治医にいともあっさりと

「このくらいやったら家で寝かしといたら大丈夫や、時期的に突発かもなあ」

そう言われて、解熱剤だけ持たされてタクシーで自宅に帰ることになった。大学病院は普段からもっと体の状態の微妙なお子さんの重症疾患や急変を見慣れている戦場であるもので、たとえ相手がウッチャンのような重症心疾患児だろうとたかだか突発疹か風邪ごときでは病棟に上げてはくれないのだった。せっかく救急車で乗りつけたのだから一晩だけでも病棟に泊めてほしかった。でもあの時、がたごと揺れる救急車の車内で

『もし、この子がこのまま急変して儚くなってしまったら、その事実を私は一体どうやって受け止めたらいいのだろう』

と考えた数分間のことは、あれから五年近くたっているのに私の脳内にほぼ完璧な記憶として全編保存されているし、この先も多分消え去ることはないと思う。今も街中でサイレンを鳴らしながら通りを走る救急車を見ると、そこには誰が乗っているのか、子どもか、大人か、それは怪我か、急病か、まさかの急変かと、心臓のあたりがぎゅっとなる。そして同乗しているかもしれないその人の家族の胸中にぐるぐると渦巻いているだろう諸々を考えるし、周辺の車は速やかに道をあけいとも思う。

そして過去に患児として救急車に乗ったことは一切記憶にないものの、季節の変わり目には自分とよく似た病気のお友達が必ず一人は救急搬送されるウッチャンは、街中で救急車を見ると今まさに自分の大切なお友達がどこかの病院に運ばれているような気持ちになるらしい、大きな声で

「ガンバレー!」

と声援を送ることをいつも忘れない。

『患児搬送』の全館放送を一緒に聞いた小児循環器科の付き添いの親御さん達はあの放送をどんな気持ちで聞いたのだろう。そんなことをいちいち隣に行って「どうスか?」なんて聞いたりしたら相当やばい人なので絶対に聞かないけれど、定期的に大きな病院に通院させて時々入院させて、場合によっては救急車のお世話にもなる、そういう『弱い子』を育てている人達にはそれぞれ患児搬送という言葉に思う所があったのではないかなと、これは私の勝手な想像ではあるけれど。

世界には『弱いもの』と『それを守る人』になってみないと見えてこない風景が、聞こえてこない声ある、多分。

それは街中を走る救急車に乗る人への声援であったり、それを急ぎ走らせる人への畏敬であったり、治療をする人への感謝であったり、あの日病院に搬送された見ず知らずの子への無言の祈りだったりするのだけれど、そういう意味では弱いというのは実は力だなと私は思う。

弱いと、そしてそれに寄り添い守る立場にあると、弱いということにとても鋭敏になる、その弱さのゆえにこの世界から切り捨てられようとしている人のことをいつも想うようになる。

こういう弱さというのは、英語ではweakではなくてどちらかというとvulnerableと訳すらしいけれど、それはもしかしたら良い言葉なのかもしれない、少なくとも私の中では今、とても良い意味の言葉になっている。

その日私は真っ白い大きなトウフの中で『患児搬送』の全館放送を聞いて、そういうことを考えた、どうかあの子が無事でありますようにと。


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