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正月福、逃げる。

『なんて子だろうねえ、正月は駆けだすもんじゃない、福が逃げるよ』

向田邦子氏のエッセイの中のひとコマだったと思う。

氏がまだ少女の頃、お正月に晴着姿で友人宅から家路を急いでいる時に気が急いて駆け出して転び、それを通りすがりの見知らぬおあばさんに助け起こして貰った時に掛けられたことばであった気がする。それはいま3歩歩けば手に届く本棚のどれか1冊のなかにある筈なのだけれど、立ち上がるのがおっくうなので、まあそんなことなんです。これはさきの大戦前の東京の話であるので、おばあさんの言葉は完全なる江戸っ子のそれで再生してください。

私個人としてもお正月からいちいち急がないこと、それを年頭の目標として過ごしたいと思っているのに、この正月の私と言えば朝、枕から頭を離した瞬間から、夜、頭を枕に着けるその時まであくせく駆け回っていたもので、新年の私の福は掌中からはらはらと零れ落ちて睦月の空の向こうの遠くに散っていってしまったに違いない。

それで一体私はこんなに急いでいるのかなあと、そう思うとそれは多分、うちにはまだ手のかかる子どもが12歳をカシラに10歳4歳と3人あって、いつも何をするにも急いでいないと3人の子どもらは勝手にお菓子の袋をぱりぱりと開けて食べ始めて、結果3度のご飯をちゃんと食べてくれなくなるし、空になった菓子袋をいくら注意してもその辺にぽいと置き去りにして家は見る間に雑然とした空間になるからで、それに加えていずれ遠からぬ将来に大人になって自活して行かなくてはならないひとびとに、親である立場の人間は適宜その時々に必要な色々を用意してあげなくてはと、でもそれって何やったっけと、そういう気持ちでいつもくるくると動き回る羽目になるのであって、子育てとは実際のところ、子への愛情とか母性とか?そういう清くて美しくてあるんだかないんだか皆目わからない幻想を燃料になどしていない、何かしらの強迫観念の産物よなと思うのです。

お陰で、あの『π』のひとつ前の文字あるところのアレもじわじわと幅を利かせ始めていている上に、正月のお出かけ先として最有力候補であるはずの実家はやや遠くて今年のお正月は例年にない大雪に埋もれ、更にはうちにいる4歳はお泊り付きの長距離移動が結構大変で、それは在宅酸素療法というものをしていてそのための機械を全て運搬したり別途手配するとかそういうことが結構手間であるということなのだけれど、そんな諸々のために近所の神社に行く程度であとは何もない正月3が日、宿題や正月明けの塾のテストなどのある小中学生の息子と娘はまあ勉強しときなさいよと言えても、あとに残された幼稚園児の4歳を一体どうしてあげたらよいものか、その気持ちがじわじわと焦ることと言ったら。

それでも、4歳の通う幼稚園からは「いちにち1かいはおそとであそぼう」という

「先生、本気ですか、先生もそれ、お正月にやりますか?」

ちょっとそう聞いてみたくなるよう宿題もあり、健全な身体に健全な魂が宿るのだよと呪文のように唱えてここ数年は寒さで関節の痛い四十路も重い腰をよいしょと上げて、4歳にモンベルの激しくピンクのダウンを着せてさらに帽子もかぶせて屋外に赴くのだけれど、うちの4歳というのがこれがまたそもそもの前提条件として健全な肉体を保持してなどいない循環器系の病気もちであるので、風の冷たい屋外に出すと途端に顔色が薄紫になり、下肢の色なんかはもうどんなに厚着をさせていたとしても

「えっ…死…?」

予備知識のない人が見たらかなり驚きのスゴイ色になる。この4歳は特殊な肺循環をしているせいなのか上半身の酸素飽和度よりも下半身の酸素飽和度の方が著しく低くて低温下であるとそれがより顕著になってしまうのです、そしてそれが皮膚に透けて見える。ハイ、中止中止。お外が駄目なら家で何をさせてやろう、タブレットを与えて一日中その辺に無為に転がしておく訳にもいかないし、それでウチには矢鱈と絵本であるとか絵合わせカードであるとか簡易なボードゲームとかその手の

『なんか、ようわからんけれども子どもの発達とか知育によさそうな何か』

があふれかえる事になる。

この4歳にためになる事を、この先の健全な成長の一助になることを、いつも常に何かしていてあげないと。

この、母親である私に茫洋とした状態をひとときも許さないこの日々の焦りは一体何なのだろうと、それはもう一番上の息子の幼児の頃から考えている事で、その一番上の息子、現在12歳の彼が3歳前後の頃の私は今よりもずっともっと日々を焦っていた。だってこの息子というものが、3歳になる前から平仮名カタカナ数字などのほとんどを解読できていたものでまだ親としては幼稚園児レベルであった私に「天才か?」と思わせておきながら会話は4歳をすぎても殆どままならず一方通行の平行線、スーパーの売り場でひとたび目を離せば店内の警報ボタンを躊躇なくワンプッシュし、駐車場で車から降ろした瞬間に隣の車に体当たり、雨上がりの午後、公園に巨大で空の色を映しているしかし泥水の水たまりを見つけるとそこに躊躇なく飛び込んで水泳をするという結構とんでもないタマで、末の妹である現4歳とは違いピチピチに健康であるというのにいちいち自分から死にむかって突進して行くタイプというか、こちらの命がいくつあっても足りないというか、とにかく育てにくさ満載、奇行の宝庫、そのテの幼児であって、それは後々この人の場合は発達特性によるものであるのだと判明するのだけれど、そういう息子を抱えていた私は


『この子をひとかどのひとなみのニンゲンに育て上げるのには一体どうしたらいいのだ』


そういう事に焦り続け、子どもが可愛いとか子どもと一緒にある日常が楽しいとかその手の煌々しいものの含有量の大変に少ない、というよりは一体どうやってこの子の命を守っていけば良いものか、流石にどこかおかしくはないかと、それだけを考えていた日々であって、何なら当時のことは息子のやらかした数多の事件のあらましとそれの謝罪回数しか覚えていない。

そして今、幼児育児3度目の、前回と前々回のそれよりももう少しだけハードルの高い育児のステージで、同じようにして毎日を焦っているのはこれ、どういう永劫回帰なの。

いわゆる障害児であるこの子を、この決して弱いものに優しくない世界でひとりでも生きられるような、そういう子に育て上げるにはどうしたらいいのか。

何をしたら有効なのか、何をするべきなのか、その手の焦りと共に4歳は今、前述のように24時間装着の在宅酸素療法というものがあって、この手の在宅酸素療法であるとか、気管切開とそれに伴う吸痰、人工呼吸器、あとは胃ろうや経鼻栄養、ストーマや導尿などの排泄のケア、そういう特別のことを必要とする子ども達の事を医療的ケア児というのだけれど、その状態がこのまま続いて行く場合には、就学通知のやってくる1年以上前に『就学相談』という名のカチコミがある。

この子の小学校はどうなりますか普通の公立小学校が進学先だとしてそこに看護師は配置できますか支援クラスですか学校の環境整備はどうなっていますか医療機器の管理は誰がしますか、その辺どないなってますかどうしますかと、その手の相談と交渉を仕切るのは基本的に親、この場合うちでは4歳の主たる養育者である

『私』がやるのですよ。

それって相手は何なの、教育委員会なの、学校なの、誰を帯同するのがいちばん有効なの、訪問看護師なの、保健師なの、いっそ主治医なの。そういう未知で未踏の山にさあ登りなさいと、これは誰から言われているのだろうか、世の中?とにかくそう言われているし、そもそも現状でも体力はないものの社会経験が同じ歳の子にくらべて極めて少ないこの子が直近の未来に普通の小学校で学ぶということを鑑みると、現状週4行かせている幼稚園を平日の全週5日いかせてやりたい、しかしそれで体調は大丈夫なのか、帯同してくれている看護師さんや先生の配置はどうなのか、来年度の年中組さんからは専門の体育の先生が入っての体育指導があるけれど、この子が普通の子ども達と運動をするとして今はどの辺が限界点なのか、大体跳び箱ってできるの?主治医が書いた書類の運動可否項目にあったそんなの?いっそのこと一度国立某センターに持ち込んで負荷試験とやらを受けさせてみた方が良くはないのか。

そういうのを有識者に聞きもって判断するのは大体すべて私なのだから、この4歳の将来に焦りつつも、私って一体何をしているのやろうと思う毎日なのであって、しかしだからと言ってこれを全てよその誰かに丸投げして

「もうしらんやん、生きてさえいればいいやん、6歳まで家に置いとけ、それで就学通知が来たら地域の小学校に知らん顔して入れたったらええやん、義務教育なんやから学校は受け入れ拒否はできへんのやろ」

とは言えないのがこの界隈の辛い所で、この4歳のように、大人になるための大きな手術と治療に耐えて乗り越えて中長期的な命の糸を繋いだ後に、今度はどんなにメスを入れようとこれ以上はどうしようもなく体の造りが人より脆弱でかついろいろの機能が不足していて、長い入院と自粛生活とあと未知の要因により起きている諸々の発達の遅れ、そういうものをフォローしながら様子を見ながらその子の居場所を見つけてあげることが壮絶に大変な道なのだと最近知って、その道のりの果てしなさに私は眩暈がしている新春ですが、界隈の皆さまはご無事ですか、お元気ですか。

そんなことで私はこの正月の3日間も、子どもの発達、体力、将来という三題噺みたいなお題の中でいつものように焦っていました。ついでこの4歳は、オムツだっていまだにはずれていないものだから「いやだよー」と言って逃げ回る4歳を相手に

「おトイレに行かないと年中さんになれないよッ!」

通りすがりの息子に背後から「お母さん嘘はアカン」と言われてしまう脅し文句でもって4歳を追いかけまわしていたではあるけれど、本当のところ私はこの焦りの源泉の正体を知っているのですよ、知っていてどうしようもできないでいるのだけれど、その正体というのは

『親たるもの、限界まで子どものために身を投じ、できうる限りをしてやって当たり前』

という世間にふわふわと流布する空気のようなものであって、それってまあ産んだからにはそうするべきかもしれないし、確かに「親の献身」というものは美しい話ではあるとは思うのだけれど、普通の育児の知識と知恵と経験を越えた、療育とか医療とか福祉の範疇にそれが関わって来る場合にはとても辛い茨の道になると思うのですよね。命のかかわることの判断を常に親が家庭で行い、そして将来の子どもの幸福が今この私の判断ひとつに委ねられるのかもしれないと思う瞬間の重たさよ。

そしてその「親の献身」と「子への虐待」は表裏一体というか紙一重のものであると、私は思うのですよ正月早々たいへんろくでもない事ですが。そういうものを自覚して『私』が消えてしまわないように生きなければいけないというのも、子に張り付いていなければ、色々と扱いの難しいその子の命が危ないと、それが定石であるこの界隈ではまた、難しいことなのだけれど。

「あなたは出来る限りのことをしました、お子さんの為に最善を尽くしました」

だから、もういいんですよ、頑張りましたね。という言葉をどこかの誰かから貰う事のできる日は一体いつのことになるのか、誰かがそう言わないと終わらないのかこれは、と思いながら、今年それぞれひとつ年を取ると13歳、11歳、5歳になる子を育てることになりそうです。まあ、あんまり焦って急がないことだけは心がけようかなと、だって、福が逃げるらしいし。

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