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『朝のリレー』明けない夜に、藁を掴みにきた貴方に。

   カムチャッカの若者が
 きりんの夢を見ているとき
 メキシコの娘は
 朝もやの中でバスを待っている
 ニューヨークの少女が
 ほほえみながら寝がえりをうつとき
 ローマの少年は
 柱頭を染める朝陽にウインクする
 この地球では
 いつもどこかで朝がはじまっている
    ぼくらは朝をリレーするのだ
 経度から経度へと
 そうしていわば交換で地球を守る
 眠る前のひととき耳をすますと
 どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
 それはあなたの送った朝を
 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
                             『朝のリレー』谷川俊太郎

私がこの詩に国語の教科書で初めて出会った、まだ素肌も水はじく中学生の時、私はこの詩がとてもとても好きだった。

未だこの海の向こうの国をその目で見たことの無い田舎の中学生は、このユーラシア大陸の北東部にあるカムチャッカの若者がご当地には「いやそれは居てへんやろ」と思われるきりんの夢を見ているところから始まり、南に行ってメキシコ、次に北緯40度、意外に北のニューヨークから、ヨーロッパはローマ、そして多分読み手の私とあなたに朝が繋がっていくこの詩に世界地図を思い描きながら何度も目を通したものだった。

世界は広い。

私のいるこの小さな田舎町と見たことも行ったことも無い外国は繋がっていて、そして時間をリレーする。

私の夜は誰かの朝で、私の朝は誰かの夜なのだ。

地球の自転のなせる業よ、太陽の不思議よ。
世界はきっととても不思議で美しい。

そう思っていた13歳の自分。

ちょっとバカ。

世界には明けない夜というものがある。

それは眠らない子どもを持った母親の夜。

思えば不穏な赤子であった。

2009年の3月、今から11年前に私の第1子として生まれた息子は、誕生のその日から眉間に深く皺が刻まれている赤子だった。

「おめでとうございます!男の子ですよ~!」

産道を潜り抜けたその先はこの世。

世界よこんにちは、身体を拭き清められ体重身長頭囲諸々を計測された後に助産師さんの手から私の腕の中に渡されたその時、その子はどんなに可愛い新生児かと思っていたら

「ふ、不機嫌…!」

それが私が息子に初めてかけた言葉であった。他に言う事なかったんか。

そしてこの時、息子は生まれて即、助産師さんにオシッコを引っかけた、無礼者か、親の顔が見たいぜ。

何がそんなにご不満なのか、もしかしたら37週に入って即起きた陣痛によって始まったこのお産がお気に召さなかったのか、正期産だぞ贅沢言うな、それとも母親のご面相が思ってたんと違ったのかまあ兎に角。

その晩から、ぎりぎりまで仕事をしていて赤子の基礎知識と言えば某ベネッセの妊婦雑誌による座学のみ、おむつとは一体どのように替えたものかさえ皆目わからない、準備不足も甚だしい人生史上初の新生児育児に挑む私の傍らに寝かされた新生児は

全然眠らなかった。

というのは若干語弊があるかもしれない、何せ相手は世界を初めて体感した新生児、色々外界の刺激に対してとても過敏だ、しかし未だ3kg弱の体躯の新生児は体力が無い、ほんの少しの刺激で即泣きしつつも間に少しまどろんだ、かと思えば母親がうっかり立てた足音で跳ね起きて、イヤ自力で起き上がらない新生児は跳ね起きたりはしないが、その位の勢いで覚醒して爆音で泣く、どっちやねん、忙しいヤツめ静まり給え少しは落ち着つけ。

とは言え凄いな君、ついさっきまで胎内では肺呼吸なんかしてなかったくせに、今そんなでかい声で泣くか、身体機能優秀かよ、堅強かよ、肺活量お化けかよ。

この時、健康だけが取り柄で、胎児も健康健常というありがたい身の上だった私は、普通の病院に入院してお産をしていて

最近はどうなのかちょっとわからないが11年前に息子を産んだ巷の産婦人科は少子化という世の現状からか、お産がイベント的に豪華なものになっていて、病室は全個室、そして豪華病院食、あとは退院プレゼント付きというちょっとディズニーランド的なもので、私の選んだ病院はそこまでのTDL的アミューズメント感はなかったが、関西で言うとひらかたパーク位の感じ、わからなかったら調べてくれみんな達そして岡田准一君を起用したポスターに刮目せよ、しかしそんなひらパー病院の入院生活を私はあまりよく覚えていない。

ちょっとは記憶に残せよ自分とは思うが、何しろ息子は昼夜を問わずに泣きわめくし、そして母乳育児を推奨というかそれ以外認めませんという空気を存分に醸すタイプのちょっとスパルタな産院だったが故に、助産師さんはさあ乳を出せ吸わせろ、何?出ない?そんな事は無い、出せ根性で、夜も3時間おきや、何?眠いから預かれだと?そんな根性でこの先どうするという苛烈さそして厳しさ、男児のパウダーブルーのベビー服の映えるサーモンピンクの壁紙が可愛らしい産院、その実態はインパール作戦日本軍、いつ入隊したんや私、招集された覚えも無いと言うのに、あとそれ最後に玉砕するやつや。

もう直近に迫った育児本番の玉砕覚悟の厳しさについてはこちらもうすうす感づいているのだから、産院にいる時位、初産婦にはもっと優しくしてくださいお願いします頼むから。

今なら、この状況を厳しいとも何とも思わないで、やったゴハンがお寿司、新生児の面倒見てあとは寝て暮らすとかここが天国か、お浄土が見えるわと思うに違いないそんな41歳の私。

だがしかし、この時初産の私30歳。数時間でも放置したら死ぬんちゃうのこの子大丈夫なん、で、なんで寝ないの、なんで乳吸わないの、やっぱ死ぬんちゃうという無限ループの中に放り込まれた初産婦というものは、これまで寝る時間食う時間そしてトイレの時間すべてを己の自己決定において行っていたというのに、突然体長47cm、体重2890gの生き物が自分の人生生活すべてを支配するのだ、私の人生に突然のクーデター、そしてこの赤子の生殺与奪はオマエの手にゆだねられたと言われて緊張しない人間なんかいるだろうかイヤいない、反語表現。

そんな訳で初産婦として入院した5泊6日、私は昼夜を問わず泣きわめく息子に翻弄された事と、半裸で必死に授乳させてもさせてもその後の哺乳量測定で、哺乳量測定とは母乳の子がどれだけ飲んでいるか目視できないので授乳前の体重を測定しておいて、授乳後再度体重を計りどれくらいの量を飲めているのか測定する超めんどくさいヤツなのだけれど、これがまた初産婦には断頭台で、息子の体重増加ほぼ0即ち授乳できてませんがという状態に泣いた事、あと血液検査で結構な数値のビリルビン値(※黄疸の数値)を叩き出し、ミカン星人や…という顔色になってしまったが為に実施された光線照射の治療で目隠しされて小さなプラスチックのケースに入って光を浴びる息子の姿に

「未来、来てるな…」

近未来を感じてしまった事位。

毎日が必死過ぎてこういう「辛い」と思った事意外本気でよく覚えていない、やはり産院が厳しかったのは息子のこの世ファーストインプレッションが「助産師にオシッコひっかける」だったのがまずかった為だろうか、猫だってしないもんそんなこと。

それで、めでたく退院したその日、私は、新品の真白いベビー服に包まれた我が子を抱えながら産後の結構な腰痛と相当な寝不足に泣いた。

その日、撮影された写真が手元に残っているが、その時の私の表情はとてもゾンビだ。

そんな息子を連れて帰って、始まった恐怖の新生児育児。

我が家にはバウンサー、赤ちゃんが眠るオルゴール、赤ちゃんが眠るCD、赤ちゃんが安心できるスリング、赤ちゃんが…もうええ。

兎に角赤ちゃんが安心できて眠れる各種商品が山盛り購入されてそしてそのすべてが自分の胎内からやって来た外界に対して過敏で過剰な息子を前に完全に敗退しゴミの山と化していた。

息子無双。

息子は眠らない上、抱かれていないと泣きわめく恐怖の赤ん坊だった。

しかも抱かれていても泣き止まない時しばしば、その時の姿勢がものすごくイナバウアー、私がこのイナバウアーを引用する時読み手のみんな達は荒川静香女史を思い浮かべて欲しい2006年冬季五輪ゴールドメダリストを、あのポーズのキープが恐ろしく長く確かな感じ、羽生結弦君のあの羽のようにそしてあなた妖精ですねそうですねという位軽いそれではないのだ、キープの匠、そして重い。

だれか助けて。

生後4カ月を迎え、季節が新緑もまぶしい初夏を迎える頃には、この息子は昼も夜も1時間か下手したら30分ごとに覚醒し、そして母乳を飲んでいるのかいないのか、ひたすら人の乳にぶら下がり、私の睡眠不足は慢性化、半泣きで相談した地域の保健師さんも、我が家の狭い居室の半分を埋め尽くす『あかちゃん安眠グッズ』の残骸とノー化粧、部屋着、寝ぐせを直すこともできないそんな私の惨状を見て

「なんていうか…過敏な子なんでしょうね」
「日中頼れる身内の方はいないですか」

気の毒そうにそう言った、そう、この時私はたいていの保健師さんのアドバイスのひと通りの事をやりつくしていた、もうお手上げ、全面降伏。

そしてその質問にお答えしよう。

いない。

結局この手の健康だけど兎に角育てにくくてお母さんのライフを素手で殴り倒して0にしていくタイプの赤ん坊を迎えうつには人海戦術しかない、そして母親が母親であるというこだわりを一切捨てて誰かに丸投げする時間を作らないとこの、睡眠不足、いつ泣くの、いつ寝るの、いつ私ゴハン食べていいのという緊張から解かれる事が無いのだ、しかし私には私の代打を務めてくれる人がいなかった。

夫がいるやんけ、シングルちゃうやろ昔も今もという突っ込み待ちのこの話、夫は今でこそ3児の父、休みの日の午後は今2歳の娘②をいそいそと寝かしつけてその横で一緒に昼寝をすることを一番の楽しみにしているが、この時の夫と言えば、昼夜を問わずに一日中泣きわめく息子を抱き続けていよいよ酷い頭痛とめまいを起こし、もうご飯作れない、パパ今日は早く帰って来てと、勤務中の夫に電話で泣きを入れるた私に

「ウン!わかった待ってて!」

万障繰り合わせて、帰宅してくれた、優しいかよ。

「ゴハンは心配しなくていいよ、俺の分買ってきたから」

と言って『俺の分』の寿司折は買ってきた、私のが無いやんけ、鬼かよ。

そう、この時の夫は無自覚に酷い男だった。そして料理は出来ない、家事能力皆無、MP/0、育児においても、泣きわめく息子を『抱いても泣き止まない』と抱いて5分でリタイア宣言する。今もし育児系サイトにその所業を投稿されたら絶対フルボッコにされるタイプの男だった。

無論、寝かしつけなどできようはずも無い。

致し方ない、時代だ。

悪い人ではない。育ちが良くて勤勉な働き者だ、一応夫の名誉の為。

でもこの時、この瞬間の私には、確実に夫への殺意が芽生えていたと思う。

慢性疲労と睡眠不足は人を犯罪に駆り立てる、でも安心して殺してないし死んでないから。

それももう10年以上前の話、忘れようと思うが、寿司折を見ると絶対思い出すので、これをもし生後間もない乳児を抱えた若いパパが、若くなくてもいいけど、そんなひとが読んでいたら是非これを反面教師にしてほしい、心当たりのある貴方、今、背後に気をつけろ。

育児中の恨みはマリアナ海溝より深く、エベレストより高く、ナイル川より長く尾を引くことになる。

お寿司食べたかった。

そしてこのネタを持ち出すと今、夫はよくスーパーでパック寿司を買ってきてくれる。

それで、ここで泣いて抗議した私が夫ととことん話合い、互いの不足を愛情を認め合い、手に手を取って育児を進めていけたら、それはたまごクラブひよこクラブ的良い話なのだろうが、目の前にひきつけを起こす位泣きわめく乳児がいる状況で呑気に話し合いなどできる筈もなく、毎日対処療法、何で泣き止むのか、何が刺激になって起きるのか、何がそんなにつらいのか、わからないまま毎日夜中に泣いて暴れる息子を羽交い絞めにして乳をやり、1時間毎に起き出すその隙に座位のまま眠り、気づくと朝だった。

私の不眠不休の夜と朝は一体誰にリレーされているのだろう。

というかリレーできてないやんけ。

赤ちゃんて、子育てって辛いなあ。

息子が乳児から幼児の間そう思っていたし、実は今でも割と思っている。

その辛いだけのオチの無い話をどうして今詳細に文字にするのか

『育児のお悩みこれで一挙解決!』

みたいな痛快お役立ち情報が無いのなら何も書くなと自分でも思うが、それは自分のちょっとしたエッセイや記事に「息子寝なかった」「息子育てにくかった」「乳児期の記憶が無い」としつこくで書いていたら、偶にツイッターの弊アカウントにDMで

「ウチの子は今新生児なのですが、本当に寝ません、育てにくいです、これはどうしたらいいのでしょうか」

と聞いてくる若いママがやって来るからだ。

大変なのだろうなあ、藁をもつかむ気持ちなんだろうなあと思う、彼女たちはかつて同じ窮地に追い詰められた人に話を聞いてもらいたいのだ。

わかる。

どうも、藁です。

でもこの藁、本気でお役に立てないのだ、結局この息子の過敏の理由が分かったのはその後10年近くの時を経た息子小学4年生の時

息子は発達障害だった、主治医曰く『典型的なADHD児、衝動性強い方』。

世界の捉え方が少しひとと違うのだ、脳への情報の伝達方法が若干特異というか、でもそんな事を言うと、若いママ達は絶対余計不安になってしまう。

「ウチの子もそうなんでしょうか。」

どうだろう。

それはわからない。

でもそれは息子の在りようで、今更脳の機能や状態は変えられないし、不器用ながらその性質と折り合いをつけてこの先、大人になろうと今日も親子手探りでやっている。

ただ世界に対して過敏で過剰な事は悪い事ばかりではない

と思う、思いたい、そうでなければやってられないんですわ。

この息子はとてもやさしい、妹が泣いたら30㎏の体躯で11kgの妹をおんぶして、更にこの妹、諸事情で酸素を24時間吸入しているんだけれどそのボンベまで下げて外にあやしに行こうとする感じ、斜め上の方向で、やめて絶対無理だから。

健康にも身体機能にも何も問題が無いと言われているのに育てにくさ満載、お母さんが先に倒れるわというタイプの赤ちゃんはその原因がどうあれ、外界から作用して対処する事があまりできない。

と経験的に思う。

だからせめて、今、初めてママになって嬉しい筈なのに、自ら望んだ筈なのに、こんな筈じゃなかった、赤ちゃんが可愛くない、育児辛いというママには私の過去の話をリレーしたい。

そして見ず知らずの中年主婦に「育児辛い」と言って来る人は実は根本的な解決を求めていないと思う。

解決の可能性を全てやり尽くして燃え尽きてくたびれ果てたその話を知らない誰かに聞いてほしいのだと私は思っているけどこれ正解ですか。

貴方がもう後先考えたくなくなるくらい辛いのは凄くとてもよくわかる。

ウチ今日餃子だけど半分くらい届けてあげたい。

大丈夫ですか、今世界一頑張っている貴方、今日はせめて4時間くらい貴方の赤ちゃんが眠ってくれますように。

何も出来ない主婦は貴方に共感だけはリレーできる、いえ、したいと思います。


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