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わかりあえない

人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。
人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。
原始以来、神は幾億万人といふ人間を造つた。
けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかつた。人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。

『月に吠える』序文より 萩原朔太郎

『人と人とは永久に分かり合えない』

そう言い切ってしまうとミもフタもない、けれどそれは本当のことだから仕様がない。大体自分で産んで育てているはずの子どもとですら朝、ヨーグルトが食べたいと言われて、よしきたヨーグルトな、と冷蔵庫からチチヤスの毎日快調ヨーグルトを取り出すと怒られてなんで何これがヨーグルトやんかと言う違うと言ってさらに怒られる。

「だ・か・らぁ、ヨーグルト!」

「せやからこれがヨーグルトやないの、ね、食べなよ」

私が何をどう説明しようがずーっとそれに手をつけずになんだかハコフグみたいな顔をしているので話をよく聞いてみたらそれは実は『ヤクルト』のことでこの5歳児は牛乳から生成されるチチヤスの白い食べ物と、脱脂粉乳とLナントカ株を攪拌して色々したら出来上がる乳酸菌飲料の名前を混同してかつ同じように記憶しているのだからいくら私が母親とは言え彼女のその『ヨーグルト』が何を示唆しているのかなんてわかる訳がないのであって、いくら私から派生した彼女とは言え、産まれた時代も、生きている年月も、顔かたちも(うちの子ども達は皆私に全然似ていない)、体に持っている性質もそしてそれゆえに成育歴のようなものも全然違う彼女と私が

「同じ言語を与えました、ひとつ、これで隣人として互いに敬いあい助けあい素晴らしき共同体を形成なさいよ」

という神様の注文はすごく、難しいというかそれはきっとかなり乱暴な話だ。親子でもこうなのだから、いや親子だからこうなのか。ともかくも全く背景の違う人間同士であれば、すれ違いも勘違いもそれゆえの諍いだっていくらでも発生するだろうし、たとえ共通言語がそこに介在したとしてもそれだけで分かり合えというのは相当に乱暴な話だ。

それを思えば人生相談とかどなたかへの激励とかそういうものは何と難しいことだろう、それが法律で明確な答えの出る税務相談とか法律相談ならまだしも、お嫁さんとお姑さんとの諍いだとか、夫の風俗通いが止まらないとか、定年を迎えた六五歳、最近矢鱈と淋しく空しいとか、そのテの読売新聞的なものだと本当に大変だ。いくら回答者が各方面に知識豊富で見識豊かな賢者であるとしても見ていた景色も育った場所の違うひとたちの心の澱を一体どうやったら透き通った清水のようにしてあげられるものか、私には皆目わからない、人生相談には絶対向いてない。

誰かを励ますこともそう。うちには心臓疾患を抱えて、何度か死にかけたり長時間の手術を乗り越えたりして今も医療機器と一緒に暮らす五歳児がいるけれど、この子と同じような疾患の子どもを目にすることがあると本心から『頑張れ!』とは思うものの、聞かれなければ何か励ましのような言葉を私から送るような真似はまずしない。

すごく難しいからだ。

そもそもそれぞれの背景があまりにも違う。例えば五歳と全く同じ名前の疾患の子であったとしても、うちの五歳はその疾患に加えて肺高血圧が完治も緩和もしないまま術後経過が大変不良でとっくに卒業しているはずだった酸素を使い続けている。他の同疾患のお友達のうちひとりは術後経過こそ良好だけれど元々内臓にひとつないものがあって抵抗力が弱い、もうひとりは消化器の問題を併発している。

同じ疾患名でもそこにある風景というか背景は個々にぜんぜん違うものなので「うちはこうしたら大丈夫でしたよ」「きっと何とかなりますよ」ということはまず言わないし言えない。うちの子は大丈夫でも向こうが無理なこともあるし逆にうちの子は駄目で向こうは大丈夫ということも往々にしてあるのだから。みんなちがってみんなよくはない、ダメなんですよ、ほんとうに。

時折、スポーツ関係にはとんと疎い私に『心臓疾患を抱えていたけれどそれを乗り越えて大人になりスポーツ選手になった人』の存在を教えてくださる方もある。

素敵だと思う、その人の乗り越えてきたものを想像すると私はいつも鼻の奥がつーんとなる。特に五歳はとてもヤンチャで負けず嫌いで末っ子らしく五歳にして人の心の裏をかく、パパに買ってもらったアポロチョコを『にぃにとねぇねが食べちゃうデショー』と言って私のトートバッグに隠すなどしてなかなかしたたかだ、とてもアスリート向きの性格をしているので先方は余計にそれを思って「そんな未来もあるかもしれませんよ」と百%善意で話してくださっているのだ、優しい、でも五歳の病気は治る性質のものでは無いし、運動制限は一生モノ、一体なんて答えていいものか、私はいつも言葉に詰まってしまう。

だから五年前、まだ五歳が生まれて一ヶ月程、生まれたてほやほやの新生児で、心臓疾患児として大学病院のNICU(新生児集中治療室)でいつかくる最初の手術の日を待ち続けていた頃、バイタルが全然安定しなくて、泣き声はNICUで一番大きい爆音の癖にちょっと母乳をあげると即ゼーハーいうので経管栄養、鼻から通した細いチューブでミルクを直接胃に流し込むという生き様の新生児を見て三分に一回ため息をついている私に。

「僕、ファロー四徴症※なんですよ」

自分もまた、この子と同じ先天性心疾患なのだと言った男性看護師の言葉を、私は「だから、きっと大丈夫ですよ」という意味だと受け取った。あの看護師さんは当時で三年目か二年目と言っていたから、二十四か二十五、駆け出しでいつも駆け足の男の子。

はじめ、お母さんと赤ちゃんのお部屋だとばかり思っていたNICUに男性看護師がいることに私は驚いた、昔ほどは珍しくないとは言えそれでも女性が多勢の看護師業界で男性はマイノリティだ。でも彼は授乳指導と搾乳室への入室ができないだけで、あとは普通にNICUの戦力として活躍していた。

そして男性の看護師さんというものは私が知っている範囲ではびっくりするくらい物腰が柔らかくて優しい人が多い。思えばその後何度か五歳が入院したICU(集中治療室)にも男性の看護師さんが複数いらして、その人たちは何故か全員なかやまきんに君みたいな気のいいマッスル達だったけれど、物腰が柔らかすぎて五歳がICUでお世話になった生後四ヶ月、それと一歳半、あと三歳二ヶ月のすべてにおいて完全に彼女に舐められていた。

それでその時、自分があまりに暗いもので、その優しい看護師さんに「俺はいま何か言わなくてはこの暗くて深い沼の底に沈んでしまって這いあがれそうにないひとに」と思わせてしまったのだろうと、それだけは年の功で分かった私は軽くはない疾患を乗り越えてそして立派に看護師として大学病院のような稀少疾患の多い、その分戦場のように忙しい職場で働いている彼に

「いや、でもうちの子TOF(ファロー四徴症)と違うし」

と思ってしまったのだから、ダークサイドに堕ちた自分の感情の面倒くさいことよ、掃除婦を名乗ってハウルの城に入り込んだソフィーが掃除をするのに棚の薬品をちょっと動かしたら美しいブロンドが赤毛になってしまってドロドロのずるずるになったハウルより始末に負えない(©ハウルの動く城)。

あの頃の五歳は姑息手術(二回目、三回目の手術を受けるためのつなぎの手術)を受けられるかどうかも分からない状態だったし、一方の彼は疾患を乗り越えて普通の小学校中学校高校、それから大学か専門学校で普通の子と同じように教育を受け、看護師の国家試験をパスしたこの先の将来が楽しみな推定二十五歳の青年。本来は胎児期を終えれば消えて無くなるはずの細い血管を二十四時間点滴で無理に拡張させて命を繋いでいる新生児が二十五年後にどんな姿になるのかなんて、心臓疾患児の母親になったばかりの私には想像すらできなかった。

私と彼の間には共通の言葉はあったけれど、共通の背景というものが存在していなかったのだ。

つまり、あの日の彼の言葉がどういう意図で出てきたものなのかを正しく受信するためには、私の容量がぜんぜん足りていなかったということだ。

そして今、生涯を通してその子の人生を支配するような疾患を持っている子を五年間育ててやっと想像することができるようになったことは、例えば十何時間もかかる手術を何度も受けて、そのたび命の瀬戸際を乗り越えて、山を越えて谷を下り、そうやってあと数年の命の安定が約束されても、まだまだ戦う相手はいくらでもいるということと

「普通の人たちの中で、普通とは違う身体で、それでも普通と同じポテンシャルを求められるのってすっごく大変だね」

ということ。つまりある程度体が何とかなって学校に通えても将来自活できるような仕事を得ることができても、それでも疾患児、もしくは元疾患児としての旅はずっと続くのだよということで、あの彼だってああやって看護師として立派に働いてはいたけれど

「僧帽弁が漏れてきてるので近々直すんです」

と言っていたはず。でもその時は彼が『自分、自転車屋にパンク直しに行くんスよ』くらいの軽さで話していたのと、聞いている方の私に心臓疾患とその治療の基礎知識というものが全くなかったものでほぼ何にもわかっていなかった。彼が二十五歳のあの時もそうして戦っていたのだなあってことも、彼の人生が病気からすっかり解放されているなんてことは全く無いのだってことも、今なら全部わかるというのに。

あの時彼が言った

「僕、ファロー四徴症なんですよ」

あの言葉は

『自分は大丈夫だったからこの子も大丈夫ですよ』なんてことは絶対に言えないし、この先もしあなたの子が無事に何度かの手術を乗り越えて幼稚園や保育園に通って小学校に通えて中学に進学し高校生になったとしても、持って生まれた体の不足を完全に補うことは出来ないので苦労もします、教育委員会は面倒くさいし、今も毎月通う病院は面倒臭いし、仕事も結構大変なんですよ、でも

ようこそ世界へ、僕の後輩。

そういうことだったのだと思う。自分とよく似た人生を歩むかもしれない子が無事に生まれてここで生きていることへの祝福。大丈夫とも頑張れとも言えないけれど、とにかくお子さんが無事に生まれてきてくれて本当によかった。

五年もかかりましたけど今、受信しました。

たしかに人間は分かり合えないけれど、時折、凄いタイムラグでずっと昔のたった一言の意図を理解することは、たまにある。

≪脚注≫
※ファロー四徴症:一般に心室中隔欠損、右室流出路狭窄、大動脈騎乗、右室肥大を呈する先天性心疾患。


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