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身体に傷痕があるという事、それでも美しいという事、そんな話。

◆1

うちの末娘、ここでは娘②と呼ぶけれど

娘②は美しい。

いや傍目にはごく普通の2歳児なんだけど。

だがしかし、だれと会っても

「ウチの従姉妹に似てる」

そう『なんか身内に一人はいる』と言われてしまう、AIが作った一般的なモブ顔の集合体みたいな扁平な顔面の母である私と、同じく可もなく不可もないが人に記憶されにくい地味かつ平坦な顔面の父である夫の遺伝子が最高に最大限頑張ったらこうなりましたという顔の作りをしている。

瞳が大きく、二重のアーモンド形の目、鼻も幼児にしてはそこそこ高い、形の良い唇。

娘②が産まれて、初めてその顔を見たとき私は嬉しかったものだ

「可愛い…」

娘②は、その心臓の作りが全く常人と異なり、所謂『先天性の心臓の奇形』で生まれている。

生命維持に最も重要な器官の心臓の深刻な異常。本来なら顔の皮一枚の事をとやかく言っている場合ではない

出生後は時間勝負でNICUに即搬送、そして精密詳細な検査の後の処置、数週間か数カ月待って最初の手術に着手。

そんな緊迫した状態の出産の最中、兎に角可愛い、相当可愛い、なんだこれ可愛いと何度も思った。

親バカ指数200%

◆2

娘②顔面を美しいと言ったけれども、赤ちゃんの、小さいあの生き物の体のフォルムというのは、どの子も何故あんなかくも小さく可愛らしく美しいのだろう。

出産の数時間後、改めて対面した娘②は、形よく作られた肩甲骨も小さな指に一つ一つちょこんとのせられた爪も新生児らしくまだあまり肉付きの良くない脚も

「心臓の周囲の血管数本不足、もしくは閉塞、あるべき場所にあるべきものは無く、そして何故か無くて良いものが余分にあります。あと心室の中隔がありません」

という奇形の心臓を内包している胸部もすべすべしていて、もうこの時には点滴3本のルートと経鼻栄養の為のマーゲンチューブを鼻に突っ込まれていたけれど、そしてそれはそれなりにショックではあったけれど娘②の体も顔もみな美しくて可愛らしくて、私は上の娘から6年ぶりの新生児である娘②に見入った。

なんて可愛いんだろう。

神様この可愛く美しく愛しい娘を私にありがとう。

しかし、そんな娘②の完璧なフォルムは、生後3か月、人の、小児心臓外科医の手により一部様相を変える。

一度目の心臓の手術。

「開胸手術」
「前胸部を縦に切開し、しかるのち、胸骨切開」

『長期生存の為には最低3回の手術を乗り越えなくてはいけない』

出産前から分かっていた事ではあるけれど、そしてその切開の後の人工心肺へ心臓の機能を一旦移す事や、心内に直接メスを入れる事、血管を離断し、修復し、一部を切除する事、いくつもの死に直結するかもしれない術式の持つ危険を考えると、そんなこといちいち気にしている場合ではなかったけれど

その11時間を越えた長い長い手術の後

娘②の胸には、鎖骨の中央のくぼみから下、腹部に向かって約15cmの傷が残った。

おまけに吸引のために胸骨と腹部の境目にドレーンを突き刺した痕が3か所。

11時間半待ち続けて使ってやっと術後ICUで再会した娘②は、その身体は、11時間半の長丁場を執刀医として共に走り抜けてくれた小児心臓外科医のドクターが

「僕が出来るだけ埋没法できれいに縫いました!」

笑顔でそう言ってはくれたが、

そして教授職にあるドクターが、術式の最後の縫合まで助手に任せる事無く自らの手で娘②の手術を仕上げてくれたという事実は本当はすごい事なんだけれど、体に掛けらた病衣から覗く傷口は痛々しくて、覚悟はしていたものの正視する事がためらわれた。

『娘②の体に消えないかもしれない傷がついた。』

しかもこの傷、少しずつ薄くなってくるだろう数カ月後に再度、次の血行動態を作るための手術が必要になる。

その手術についての事前説明で執刀医はにこにこと私にこう告げたものだった

「次の手術も同じ所を切ります!ここがベストなので!」

傷の上から再切開。

聞いただけでもう痛い。

母親の正直な感想としては、

「止めろ、マジで。」

この限りなく仕事が丁寧で、言葉の端々が極めて優しく、幼子のいのちに驚く程真摯な小児心臓外科医はこういう時ものすごくマッドだ。

娘②の長期生存がかかっている大一番、命の瀬戸際なのだから、傷がどうとか細かい事はいちいち構っていられないのは重々承知なのだけれども、娘②の胸のためらいなく真っ直ぐに切開された手術痕は、初回の手術の1カ月後無事退院を果たしたその後、薄くなりはしたものの当然消える事はなく、むしろその皮膚の下の一度切開した胸骨が船の底のように盛り上がってきてしまって、それも私を少し悲しくさせた。

◆3

その頃、我が家のパソコンと夫のスマホと、そして私のスマホには

「手術痕 消える いつ」
「前胸部正中切開 痕」
「傷 薄くするには」
「高須クリニック」

とかそういう検索履歴が連なった。

この手術痕はいつか何とかならないのだろうか。

私がこの娘に不完全な心臓を持たせたままこの世に送り出してしまった、その印のような手術の痕は。

まだ1歳にもならない娘②の体に真っ直ぐにひかれたこのメスの痕は。

せめて傷痕くらい、私の体のほうに引き取れませんかね、神よ。

ちなみに最後の『高須クリニック』の検索は私ではなくて夫だ。

これはちょっとだけ面白かった、この小噺みたいな夫婦の『娘②の傷痕』への懊悩。

そしてこれについてはある方法で高須医院長から直々にお返事を頂いた

「心臓の手術でしょうか
普通、傷痕は時間の経過とともに生々しさが消えていきます。
傷痕を目立たなくさせるのは美容整形ではなく形成外科です。
顔面の傷は新生児にも行いますが胸部の傷は急ぐ必要はないと思います。
一度診察させてくだされば最良のアドバイスをいたします。」

ある方法という回りくどい言い方はやめよう。

Twitterだ。

先生その説はありがとうございました。

その筋ではとても高名な医師からの返答には、まるで木が枝葉を伸ばすように沢山のコメントがついてきた。

多くは同じ心臓疾患児のママやパパからのとても実践的な助言で

「思春期以降に本人の意向を確認するべきですね」
「形成外科に行ってかなりきれいになりました」
「皮膚移植というものを勧められています」
「術後2年経過しましたが意外に目立ちません」
「胸骨は胸骨のプロテクターである程度矯正できますよ」

この沢山の言葉の連なりの中、どこにも

『オペで子どもの命が助かるんだから、傷口の一つや二つでガタガタ言うなんてアンタ甘いよ』

という強気の発言が只の一つもないところには

『病児を産んだ親の、子の手術を経験した親のその後の気持ちは皆同じ』

そういう心強さを感じた。

そして、連帯と愛。

あの胸部に真っ直ぐに傷のついた我が子への愛情と憐憫と自責の念みたいなもが絶妙に配合された形容しがたい親としての感情を皆、一度は持つものなんだ。

私だけが胸骨の不思議な隆起に打ちひしがれたり、着替えの度に、入浴の度に目にする娘の傷痕に申し訳ない気持ちを持っている訳ではないんだ。

その一方で、

心臓の度重なる手術を経験した後、無事成人を迎えた元心臓疾患児の人たちのコメントは意外なものだった。

「それほど気にしていません」
「私が頑張った証です」
「恥ずかしいと思った事はないです。小さいころからあるものなので」
「私は気にしていないです、むしろ周囲が憐れんでくる事が不快だった」

勿論、全員がこれと同じ気持ちで胸部の傷を保持したまま成人した訳ではないだろう、多分それをコンプレックスに感じて大人になったひとも沢山いるとは思うが、私に言葉をかけに来てくれた元心臓疾患児の言葉は、まとめると

『傷痕は、これを持っていて初めて私が完成するので、このままでいい。』

『傷痕を憐れまないでほしい、だってこれが私なのだから。』

そういう事だった。

とは言えその時の私は、まだ心臓の手術の切開の痕が赤く生々しくて、偶に隙間から糸さえ出てくる娘②のそれを、将来大人になったこの子が勲章のごとく扱う、そんな日が来る事を考えるなんて、小指の先の更に爪の先ほどもできなかった。

そして、ただただ、手術室の扉を何度も潜り、そしてその度に生還を果たして来た娘②の先達であるひとびとの精神の屈強さに嘆息を漏らした。

サバイバー達はその傷痕をみずからに内包して

ひとによっては「傷さえ愛しい」と言いながら

普通に生きていた。

◆4

今、2歳の娘②の体には、2度の手術を経てよりその幅が広くなったように見える前胸部正中切開の痕と、そして3か所のドレーンの痕がしっかりと残っている。

そして次に3歳で予定されている手術でも同じ個所を切開するので、それはやはりいつか自然に消えたりするものではないだろう。

そんな娘②は、あの新生児だった頃から少しも変わらず、美しくて愛らしい。

結局、初回の手術の後、あの時あれほど気に病んで、親の自責の念の象徴だと悲しんだあの娘②の傷は、今、彼女の美しさと愛しさの何をも阻害していない。

それどころか、娘②が産まれてこの方、一緒に乗り越えてきた2度の手術の証である傷を、私は僅かに愛しいとすら思うようになった。

そしてほんの少しだけ、あの娘②の先輩たちの「だってこれが私なのだから」という気持ちを、本当にほんの少しだけわかるような気がしている。

綺麗というのは、傷痕がない事ではない。

美しいというのは欠損がない事ではない。

娘②が私のもとに産まれてくれたことで、私が得たものはとても多いが、この傷痕のある『綺麗』と、欠損のある『美しさ』、その風景を見せてくれた事は私の人生にとってとても大きい。

娘②の傍らにいつも付き添っているだけでも、娘②の預かり先、病院、その他関係各所で、体に手術や処置の傷のある子、体に生存の為の器具を付けるための孔を人工的に拵えた子、生まれつき四肢のどこかが無い子、体に硬直のある子、色々な子と出会う事が出来る。

その子供たちの、その表情とその身体は

それぞれに皆美しくて愛しいと私は思う。

それは、その子達それぞれの体にある欠損と傷とそして障害が、今日ここまで生きてきた戦歴の証でもあるからだ。

そしてそれを内包したからこそ生まれる強さとか美しさというものはこの世界に確かにある。

あの日、初めての手術で胸部に真っ直ぐな傷を作った娘②を見た私は、その入り口に立ったばかりで、それを知る由もなかったけれど。

娘②が大人になって

この胸の傷がたまらなく嫌だし、辛いし、どうしても何をしても消し去りたいと言ったら、私は形成整形美容整形すべての方面を回って、大枚を叩いてでも綺麗に消してあげたいと思う。

いやその時そんなに大枚があるかどうかは極めて怪しいのだけれど。

でももし、

あの力強く

「憐れんでくれなくて良い」

そう言ったサバイバーのひと達のように。

『この傷を持って自分は完成するのだから良いんだ』という思いに至って、自分はこのままで良いと言ったら

それはそれで良しとしたい。

私は今、娘②の胸部に真っ直ぐ引かれたメスの痕を厭わなくなった。

そして、今日も娘②の事をとても可愛いと、美しいと思っている。

傍目には本当に普通の2歳児なんだけれども。

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