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家族旅行

小さな子どもを連れて出かける家族旅行というものは徒労。

という点に、私もとくに異論はありません。

まだ言葉も碌に解さない子どもを連れて出かける旅行は、準備の段階から、例えばそれが帯同するのが子どもひとりだけだとしても、そして1泊だけの近場の小さな旅行だとしても、オムツだの、着替えだの、本人がどうしてももってゆくと言って聞かない戦隊ヒーローの剣だの、E6系新幹線だの、妙に嵩張るぬいぐるみだの、とにかく大人だけで出かける旅行では考えられない、夜逃げ級の大荷物を作り上げてもってゆくことになるもので。

そして行けば行ったで、車での移動中はチャイルドシートを嫌がって暴れるし、サービスエリア食事をするにも、まずはちょろちょろと動き回る幼児の素早い動きを封じなくてはならず、その上地元の名産品とか山海の珍味を幼児はそれほど喜ばないし、折角の広いお風呂だって嫌がって逃げ惑う始末、風船とガーランドの躍るテーマパークにひとつも興味を示さず、動物園にいる珍しくて可愛らしい動物たちには一瞥もくれずにハナクソをほじり、着ぐるみを怖がって遁走、季節の花の美しく咲いている花壇に侵入しようと試み、結局はその辺の小石を拾って遊ぶ。

そんな感じ。

それは勿論、世界のどこかには大人しやかで聞き分けのよい幼児もいて、旅行先の海でも山でも、幼児には相当にハードルが高いと言われ美術館でもちゃんといろいろを鑑賞してまりましたという、おりこうな子はいるのでしょうけれど、うちにはいなかった。

と言うよりも私の息子が本当にこういう

「いやーこの子と旅行に行ったけど何しに行ったんか全然わからへんかった!」

と、苦笑いしてしまうタイプの幼児だったんですよね。もう本当に冗談抜きで旅行が苦行。

それは昔々、息子がまだ2歳になる前の、私に子どもはこの子一人しかいない頃。当時、まだ30代になったばかりの比較的若い母親だった私と、夫にいたっては私より3つ年下なものでまだ20代だった若い父親、夫婦は言葉は遅いけれど歩き始めはとても早く、そして1秒たりともじっとしてない程多動…もとい活発で、晴れていれば夏でも冬でも一日の大半を屋外で過ごしているひとり息子を、普段過ごしている街の申し訳程度に作られた公園や広場ではない、本物の海や山や、広い広い草原に連れ出してあげたらどんなに喜ぶでしょうと、思ったのでした。それで旅行に行こうと決めたのです。

というより息子が1歳になるまで、夫が単身赴任のようなことをして長く家を空けていて同居をしていなかった私達家族は、ただ単純に家族旅行がしたかったのだと思います。それで、自宅のある大阪からアクセスの良い観光地を選び出かけることにしたのでした、場所は淡路島。

あれはたしか夏の終わり、秋の入り口の頃のこと、息子にとっての初めての家族旅行、初めての動物園、初めてのじいじばあばのお家以外の場所へのお泊り、初めて間近に眺める海、その初めての色々を親である私がちゃんと手渡してあげないとと、真剣に厳選したその旅行先で息子は

ひとつも喜びませんでしたね。

当時の息子はとても過敏で多動で偏食、言葉も遅くて扱いにくさはA5ランク、ある種の傾向のはっきりと透けて見える子だったもので、泊りがけの旅行というものが、時期尚早だったのかもしれません。

まずは移動中、短距離ならともかく、長時間車のチャイルドシートに固定されることを泣いて嫌がり、さりとてそれを外してやる事は安全面から許容できないと移動中は必至でご機嫌を取り、道中の食事では偏食な上に、知らない場所をとても怖がる子だったものでどこに行っても食事を嫌がり、結局持参したかっぱえびせんしか食べなかった。それでもなんとか現地に辿り着いて、さあこれが海だよと眼前に広がる瀬戸内海を指さした時

(で?)
 
という表情だったことはちょっと忘れがたい。こんなん水たまりのデッカイやつやんけ、とはまだ碌に喋れない子だったから言葉には出さなかったけれど、絶対思っていたに違いない。
 
そうして、島に秋のはじめを告げにやって来た秋桜にも当然、1mmも興味を示さなかったし、折角入園料を支払って入園したテーマパークも、ふれあい動物コーナーの動物とは断固ふれあいを拒否し、目玉のコアラのコーナーでは皆が「カワイイ」と歓声を上げている中でひとりそっぽを向いてハナクソをほじり、キレイに手入れされた秋の花の咲く庭園の前で寝っ転がって、すっかり高くなった秋の空を仰いでいた。

唯一喜んだのはそこの庭園に敷かれた白い砂利の石だけ。それをビニール袋いっぱいに持って帰ると聞かなかったので私は大変だった「これは、ここのモンやから持って帰ったら泥棒になるのやで」と説得すること1時間。

その日、撮った写真にはまだ2歳になる前の息子が、これ以上ないくらいの仏頂面をして写っていて

(俺、こんなとこ来たなかってんけどな…)

という感情がL版の光沢紙からにじみ出ている。にこりともしていない口元、眉間の皺。

その仏頂面の彼は今、13歳となり、当時まだ比較的若かった母親の私も今や40も半ばに差し掛かろうとしているのですが、じゃああの時どんなに

「ほらーコアラ可愛いやん」

と言ってユーカリの木の上で

(フン、人間のコドモか、おもんないわ)

という顔をしている仏頂面の珍獣を、ホラ見てごらんと指さしても

(あんな灰色のクマのちっこいのなんかおもんないわ)

という顔をしていた息子の仏頂面ばかりが記憶に残っている旅行が『楽しくなかったか』と聞かれると、そうでもないのだから人間ておもしろいなあと思うのです。だってあの初めての家族旅行を思い出す時だいたい私は、

「イヤー大変やった、アンタちっとも喜ばへんかった、いいかげんおもろかった、楽しかったなあ」

と思うのだから人間の脳って一体てどうなっているのでしょう。当時は確かに

(あー失敗した、もう旅行なんか当分ええわ、大変なだけやんけ)

と思ったんですけどね。そうして息子は当然当時のことは殆ど何も覚えていないのだけれど、今あの日の仏頂面日本一の自分の写真を見ると

「やべーな、なんやコイツ、ちょっとは笑えや」

と言ってゲラゲラ笑うのです。俺って相当大変なやつやんけと。


小さな子どもを連れて出かける家族旅行というものは徒労。

という点に、私もとくに異論はありません。

でもすごく意味はあると思うんですよね。

小さな子どもを連れて旅行に出かけて結局その時に得たものは疲労困憊、私は一体なにを見て来たんだろう、そもそもこんな小さな子にとって旅行って楽しいものだったのかなって、割と結構な数の人はそう思うでしょう、私も思いました。

でもそれ10年後にもう一度、見直したらすごく笑える良い思い出に熟成されていることがあるんですよ。私は大体のことがいつもそう、その出来事に価値とか意味が巡って来るのにすごいタイムラグが生じてしまう。

その時はすごく大変でただの徒労、まったく意味のないことに思えるのですけれど、ほんとうに、ねえ。


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