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1年生に、なれるかな(6)

9月になったら、できるだけ早めに幼稚園に送迎し、お友達と触れ合って遊ぶ時間を増やしてまいりましょうというのが、1学期の終わりに「さあ年長児の2学期、一体どのようにしてウッチャンの小学校入学前の色々を準備してまいりましょうか」というウッチャンのクラス担任の先生との話し合いで決まったことだった。

現在5歳の年長児、おはようからおやすみまで医療用酸素と暮らす心疾患児で医療的ケア児のウッチャンは大体朝は7時頃、世にもかいらしい感じで布団からもそもそと起き出して、そうしてその場で「今日はチーズのパンが食べたい」だの「いややっぱり小さいお魚をのせたゴハンがいい」だの「というよりヨーグルトしかいらへんねん」などの面倒なオーダーを私に告げて食べたいものを用意させ、しかしその言うたものの半分も胃の腑に納めることなく「もういらんねん」と言い、それからいつものお薬を飲んであとはその辺でコロコロとする。

その間の私はと言えば、夫の朝食は朝の6時台に既に終わって、次にウッチャンの兄と姉の朝ごはんの用意。あとは水筒3本になみなみと麦茶を注ぎ、それからウッチャンの兄のお弁当、ついでに夕食の算段などしつつもトイレを掃除もやってベランダの植物に水をやる。朝というのは自分が3人いても手が足りない程忙しい。

その上この家族皆様の朝ごはんに食べるものというのが、それぞれ全然違うもので、いい加減

「うちはなんや、コメダとか、そういう店か…?」

など思う毎日。夫は味噌汁が飲みたいばかりに和食にしてほしいなど言うし、偏食で名高いウッチャンの兄は「パンに何かを挟んでおいてほしい」というけれどそれの縛りがまた難しい(野菜を殆ど食べず卵も大キライ)、ウッチャンの姉はというと、この子が一番偏食ではないし何を出しても文句がないというそれはええ子なのだけれど、なにしろ朝起きてくるのが遅くて、血圧でも低いのか起きても暫く頭が起動しないというタイプなもので、その起動待ち状態のぼんやりな意識下でも口に運べてかつもぐもぐ咀嚼して喉を通りやすいもの、となるとそれはおにぎり一択、毎日シソとかゴマとかちりめんじゃこを混ぜた小ぶりのおにぎりをふたつこの子のお皿に用意してある、それと兄のお弁当につめた卵焼きやらソーセージの残りなど。ウッチャンは前述の通り毎日その日の気分のバイオーダー。

それを終えたら掃除機を片手に家中を回り、なんでだか汚れを吸着しては毎朝妙に薄汚れてるビニールクロスの床の雑巾がけ、それで汗だくになった後にウッチャンの幼稚園の大荷物、幼稚園のカバン、おつかい袋(という名のレッスンバッグ)、最近サイズアップした2.0vの酸素ボンベなどをL.L.Beanの巨大ケヅメリクガメも入りそうに丈夫なキャンバストートにブッ込んで出かけるとなると、出発時間は9時半とかそれくらいになる。

そこから自転車をどう飛ばしても幼稚園まで15分かかって、到着は10時よりほんの少し前になる。実際、幼稚園というものの本来の保育時間は10時から14時を設定されているものだけれど、ウッチャンの幼稚園は所謂こども園であって、2号児3号児と呼ばれる保育園枠のお子達は7時台にお父さんもしくはお母さんに送られて登園しているし、1号児と呼ばれるウッチャンと同じ幼稚園児枠の子どもらだって市内のあちこちから幼稚園バスで輸送されてきているので到着の早い子は8時ちょっと過ぎ、遅くたって9時半までにはすべて登園して、それぞれが園庭で、もしくは室内で思い思いに元気いっぱい遊んでいる。そこで気持ちを盛り上げつつ10時頃、先生の号令で幼稚園の保育時間が開始になる。

そこの「気持ちを盛り上げつつ」の所にウッチャンはちっとも参加できていない、それでお友達みんなと「今日は一体どんな楽しいことがあるのかしらん」という気持ちになれないのが毎日毎日

「ママがいなくて寂しい…」

春の年少さんよろしく保育室の前でさめざめと泣いてしまう原因ではないでしょうかと言うのが、10年前ウッチャンの兄の担任でもあった信頼と実績の学年主任先生の意見だった。

確かにウッチャンは体力面の問題もあって、降園時間もお友達よりやや早め、今も時折通院や入院でぽこんとしばらく登園できない時もあり、これでは幼稚園に馴れる前に卒園してしまうんではないかと朝、保育室の扉の前で「ママがいい」と言って夏の終わりのセミの如く私の足に張り付いて泣くウッチャンに困り果てている私は思っていた。更には年少や年中の時はこんなではなかったになあとも思うのだけれど、よくよく考えればあの頃の入院と通院頻度が現在の比ではなかったし、コロナのこともあってそう毎日幼稚園には行かれなかったもので、ウッチャンは幼稚園を毎日行くものだとは思っていなかったのかもしれない。

しかし朝っぱらから「幼稚園が嫌だ」など言いながら顔を真っ赤にして泣いたりすると、それだけでウッチャンのHPはどんどん目減りしてしまう。赤ちゃんの頃なんて赤ちゃんであるのに「泣かすな」という嘘みたいなミッションをお医者さんから課せられていた子だ(ひどいチアノーゼで泣くことすら負担であると言われたもので)。

ほんでもなんでこの子はこんななの、新版K式発達検査でも、ついこの前受けたWISC-IVでも

『確かにすべてのスコアが平均か平均よりやや低めであるのと、全体の印象からしても年齢に対して発達は遅れ気味であるとは思われるけれど、心臓のこと以外で何かしらの障害があるという感じでもない』

というのが各方面の皆様からのご意見であって、ほしたらこの子は一体小学校に上がるにあたって、どういうとこに入れたらええのーんというのが、ここ半年ほどの私の最大の悩みだった。

不足している体力の補完というか補助のために電動車椅子を使うのは使うけれど別に歩けへんということはなく(実際心臓の負担を恐れなければ走ることもできる、けどやめとけとは言われている)、最近通い始めたプリントでお勉強をするようなお教室では、ちゃんと座って先生のお話しを聞くこともできている。でも同じ年のお友達と幼稚園で先生のお話しを聞いている時には「あ、いまちょっとよく分かってへんのやな」と感じることはとても多いし、実はおトイレがまだぜんぜんだ。

それでも長い長い夏休みが終われば、ウッチャンのように色々と準備をして配慮をしてもらわないと小学校には通えないのだよという子どもの親と市の教育委員会、略して市教との相談会、即ち就学相談の日はやってくる。そのために夏休みの直前に渡されたアンケート用紙には

「お子さんの就学先には以下のどちらをご希望されていますか」

などいう質問があってその「以下」というのには、通級、特別支援学級、特別支援学校の3つの選択肢が提示されていた。このアンケートを貰った時点でウッチャンは地域の公立小学校に就学の希望を出すつもりではいたものの、じゃあそこの通級と特別支援学級ではどちらをご希望になるのですかねと聞かれてしまうと、この子をあんまり特別扱いオブ特別扱いでこの先もずっと育ててゆくのはどうなのかと、非常に往生際の悪い私は最後の最後まで悩んでいたのだった。

そしてそういう往生際の悪さ際立つ私に、毎朝毎朝「ママと一緒がいいの」と言いながら私の足にしがみついて泣き、あげくクラスの同じ年のお友達に「大丈夫だからね」なんて頭を撫でられている子が、来年の春突然に年齢相当の発達と成熟を手に入れて、そんで循環機能の安定をも手に入れて、35人の教室の中のひとりをやれる可能性が万にひとつでもあるのだろうかねと優しく疑問を呈してくれたのは、ウッチャンとケア状態と疾患、その両方がとてもよく似ているお友達のママだった。

そのお友達というのはウッチャンよりちょっとだけお姉さんで、今日も元気に酸素ボンベをコロコロと転がして小学校に行っている子のなのだけれど、その子のママが「一体どうしてうちらの子のような疾患のある子の大体が『発達の遅れ』を指摘されてしまうのかを研究をした人があるよ」ということを資料とともに私に教えてくれたのだった。

世界にはあらゆることに疑問を呈して「よーし、これをみんなで研究してみよう」と考える人があって、そういう人々を私は心底尊敬しているのだけれど、その研究というのは大体の概要をおおまか過ぎる位におおまかに要約すると

『幼児期に何度も外科手術をしては長期入院する、大体がそういう育ちである重度から最重度の先天性の心疾患児はその多くに心身の発達の遅れが見受けられるが、その遅れは健康な小児を基準にすると大体2~3年分ほどの遅れであって、それは丁度当該の子ども達が生まれて手術をして入院し自宅で過ごすことができる状態に回復するまでの時間に相当するのではないか、そういう気持ちで育てるのがいいよ』

というものだった。勿論それはこの大体150文字の言葉の中に安直にまとめられるようなもんでは全くなくて、きちんと医療機関に協力を求めて研究に協力してくれる子どもらを集め、保護者に聞き取りをし、子どもらには発達検査を受けて貰い(新版K式発達検査だった)、それを検証し更にフィードバックする、それを6ヶ月ワンクール、そういうものだった。

そして確かにウッチャンが産まれる前から予定していた3度の手術の3度目を終えて無事に帰宅したのはウッチャンが3歳4ヶ月の春であって、あの日まであんな大変な山と谷を乗り越えて今日までなんとかやってこれたのに

「フツーの子と同じ教室でひとつの遅れも無く勉強してくれよう」

というのは流石に「お母さん、それは贅沢ですよ、焦らんほうがええ」なんて、この研究の筆頭者のセンセイからしたらこんこんと説教したくなるようなことであって、私はついこの前の夏休みの間、主治医や訪問の看護師さんやPTさんなんかとせっせと就学相談の準備をしていながら、やっぱりどこかウッチャンについて『フツーの子であれ』という最後の願望というのか野望を捨てきれへんかったんやなあと沈黙しつつ猛省した。

だってこの研究の通りウッチャンの発達の色々が実年齢マイナス2~3歳なのだと考えれば(実際それはとても頷ける点が多いのだけど)、ウッチャンが毎日登園を拒否してエンエン泣くのも、ママがいないと寂しくてしょうがないんだと私にしがみつくのも、やっと泣き止んだ後、運動会の練習でポンポンを持って踊らせるとお友達とはワンテンポずれてまったく左右逆の動きをしてしまうのも

「致し方なし」

ということなんやなというよりも、2学年か3学年分も発達に遅れがあるのに、実年齢どおりの年長クラスに在籍しているなんて相当頑張っている、ひところは冗談抜きで死にかけていた子であるというのにどえらい根性やと、私はウッチャンを褒めてやらねばならんのやわと自分の脳内で自分自身を振りかぶって思い切りどついたのだった。

それで私は決めた。就学相談当日、かの相談シートには『特別支援教室』に〇をした上で「就学希望先の○○小学校に病弱児・身体虚弱児学級の開設を希望致します」と書いてそれを提出した。しかし市教のたいへんに生真面目そうな職員の方は、その記述を見て「ではそうしましょう」とか、「私らにお任せください」などは言わず静かにひとことこう仰ったのだった。

「この件は、人事と予算の配分をフが行いますのでそのように申し伝えます」

「フ?フと言いますと?」

「あ、大阪府です」

「ああ、大阪府のフ…」

フというのは『府』であっていま現在私の住んでいるところの『大阪府』のことだそう。こういうことの予算人員分配はすべて府が決めることであるらしい。そしてこの就学相談の後は「それではこれからお母さんの方でもどんどん、就学予定の小学校に出向いて特別支援教室などを見学し、今後のことを教頭先生あたりと話し合っておいてください」ということで、やっぱり結局はお母さんが頑張れよということなのかと、やや茫洋とした気持ちになった。分かっていたことだけれども、この大変に個別性の高い『特別支援』というものはまず親が色々考えて、動かなあかんのよな。

いやまて、でも府が予算と人員をこっちに全然くれなかったら、例えば越境して別の遠くの小学校に行くとか、いやもう特別支援学校の方に行ってくださいよということになるのではないのですかねと思ってそれを私は聞いた。

普通の公立小より設備と人員が整っているのは百も承知の地域のふたつの特別支援学校というものは、ウッチャンにはあまり向かないのではないかというのがウッチャンの評価をしてくれた医療者、心理士の判断であったし、私としてもそのどちらの学校もウチからものすごく遠く、ゆえにもしもの時の緊急搬送先の大学病院からも遠く、だからこそすぐそこの公立小がいいと判断したというのに、自宅と病院と学校、この三角形がすべて自転車で15分圏内というこれがこの子にはベストな配置なんですよ、心不全とか起こしたらどうしますのん、あれは時間勝負なんですわと。

すると市教の方は私に、にこにことこう仰ったのだった。

「あ、それはですね、医療的ケアのあるお子さんでもそれ以外の何か特別な支援の必要なお子さんでも、そのお子さんのご家庭が地域の小学校に入学させたいとお決めになった場合、市の方でそのご意向を覆すということは原則、致しません」

ということなのだそうだ。そうか、そうなのか。

ともかく細かいは何もかもすべてこれからなのだけれど、就学する小学校と、それからそこの特別支援教室に入るのだよということだけは、なんとか決まった模様。

ウッチャン5歳9か月、9月の最初の木曜日のことだ。

資料:先天性心疾患術後患児の発達心理的研究 京都府立医科大学大学院研究科小児循環器・腎臓学 糸井利幸 他


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