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1年生に、なれるかな。(2)

4月がソメイヨシノの桜色で埋め尽くされる四季の中ではとりわけうつくしい季節だと、知ってはいたけれど、それと同時にとても疲れる季節だったということを私はすっかり忘れていたんですよね、特にこの3年程の間は。

これまでは春が巡ってきても、まるで冬眠中の熊のように静かで穏やかな自粛生活をおくっていたものが、今年の春からいよいよ

「まあコロナというものも一時期の最悪な状態からは脱したわけですし、経済のことなんかもありますし、ここはひとついままでどおりの世界を我々は生きてゆきましょう」

ということになりました(よね ?)。するとお花見も入学式も新学期も、少し前までのこれまで通りの春がまた戻ってきて、そうなると保護者懇談も参観もぜーんぶ今まで通り、するさらと春の小川の流れのように当たり前に全部が巡って来ることになってしまった。結果、家にはありとあらゆるサイズの、学校からのお手紙とお知らせがあふれかえることに。頼むから、用紙はA4かB5で統一して。

で、今げんざい我が家には、中3、小6、年長、3人の子ども達がいるもので、その子ども達の予定が書類が懇談が、おだんご状にぺったりとくっついて一気にやってきて、それが普段からあまり要領がいいとは言い難い私には完全なるオーバーフロー、そこにいつも家事と「こ仕事(仕事未満の仕事)」と通院と幼稚園の送迎もあって、毎日がなんだかもう、わけのわかんないことになってしまった。

お陰様で中3の懇談の席で小6の娘の名前を名乗り、小6の娘の内科検診の問診票に中3の息子の名前を書き、もう誰が何組で、誰が出席番号何番なのやら。この期間私は生協の発注を2回もし忘れた。これはウチとしてはたいへんな、もう死活問題です。

ともかく春は優しく美しくて、同時にとても疲れる季節だったというのを久しぶりに思い出した4月。うちの年長児のウッチャンの調子は、ちょっとこれまでにないくらい、最悪だった。

まず、年長さんになって最初の週の水曜日。

「おかあさんすみません、ウッチャン、なんだか元気がないんです…」

と幼稚園から連絡を貰って即、ウッチャンの身柄を引き取りにいったことを皮切りに、今週は月曜に登園して割とすぐに微熱でお迎え要請があり、それで慌ててお迎えに行き、ウッチャンの身柄を引き取り帰宅した。でもその後は熱も無くけろりとしていて、まあでも一応大事を取って火曜日はお休みにして水曜日、今日は微熱もないしサチュレーションも大丈夫、本人もすこぶる元気と思って登園させたらやっぱりというか、案の定

「ウッチャン、お熱が37.4℃あって、なんだかすごく元気がないんです…」

なんて連絡が私のスマホに入った。37.4℃と言えば幼児業界ではあるかなきかの微熱で、場合によっては時間を置いて再度計測したら「あら平熱だったわ」なんてこともある微妙な体温、であるとは言えウッチャンは心臓に病気のある子だし、幼稚園のちいちゃな椅子に腰かけたウッチャンがしょんぼりして「ママにあいたい…と言ってしくしく泣き出してしまっているんです」なんて連絡があっては、お迎えに行くしかない。元気がない、即ち『活気がない』という状態はウッチャンのような心臓の病気の子どもにとっては、とても恐ろしいことだから。それは稀に

突然の心不全
まさかの血管閉塞
恐怖の心膜炎

なんてことが、体の中で起きている前兆かもしれない。それを、お医者さんでも看護師さんでもない幼稚園の先生に向って「ちょっと様子見て大丈夫そうなら保育時間終了まであずかってくださーい」なんてこと言えようはずもない。その上この日、ウッチャンは午前中、どんなに促しても一度もおトイレにいかなかったらしい、ウッチャンのような疾患の子の尿が半日出ていないというのは、これもまた割に恐ろしいことだったりする。大体1日に3度、結構な量の利尿剤を服用しているはずなのに「なんも出てない」って何なの?腎臓は仕事をしなさいよ、仕事を。

そのウッチャンと私の日常と言うか、毎日の送迎スケジュールは、大体9時半ごろに私が自転車でウッチャンと、ウッチャンの使う医療デバイスであるところの酸素ボンベを幼稚園のお教室まで届けて、そのまま自宅に引き返し、時折途中で片栗粉とか豚ひき肉とかその手の買いものなどをして、家に戻って洗濯機の中で洗い上がった洗濯物をベランダに干して、リビングのテーブルにお仕事用のパソコンをどしんと置いてそこに座ったら大体11時。そこから通常通りであれば13時半前後に、普通の子ども達よりほんの少しだけ早く引き取りに行く。

それだから11時から13時ちょっとまでは座って、このようにこつこつ文字を打ち続けたりすることは可能なんですけれど(ひるめし?なんだそれは?くえるのか?)、お昼前にお迎え要請が来てしまうとその2時間のうちに1時間がまるで春の朝靄のごとく消えてしまうし、その後の予定も全て通院とか経過観察に飲み込まれてきれいに瓦解して無くなってしまう。他に文字を書くことのできる時間は、朝の4時から6時前くらいまで。細切れの仕事時間だけを与えられる日々はかつての、細切れの睡眠時間しかとれなかった乳児のいる生活によく似た、結構しんどいことなんです。

でも、私よりもっとずっとしんどいのは、ウッチャンだ。

水曜日に早退し、木曜は体調を整えるためのインターバルのお休みをしてさあ金曜日の朝、朝食のチーズトーストのチーズ部分のみ(土台のパンはスタッフが美味しくいただきました)を食べて、バナナをひと口、あとはリンゴジュースを飲んで、最後にいつものお薬を3種類飲み

「ウッチャン、幼稚園の制服、着ておいてな」

私がそう言って、我が家では『腐海』と呼ばれているウッチャンのお兄ちゃん、即ち私の一番上の息子の部屋の床に落ちている大量のプリントテキスト衣類を全て机の上によいしょと詰み上げて掃除機をかけるために床をフラットにしている間(そうしないと床が見えない)、ウッチャンはスナップになっているブラウスのボタンの一番上がまだ上手く留められないので、いつもなら

「おかあぴーん(なんでだか最近私をこう呼ぶ)、一番うえのボタンとめてえー」

なんて言って私の所にとことこパンツ一丁でやってくるのが常であるのに、この日はいくら待ってもお兄ちゃんのお部屋に姿を見せなかった。それで、「さてはまだタブレットか折り紙で遊んでいるのか」と思ってリビングをそっと覗くと、ウッチャンは何をするワケでもなくぼんやりと突っ立っていて、それでなんだかとても神妙な、思いつめた顔をしているではないですか。
 
「どうしたん、ブラウスの一番上のボタン、おかーぴんが留めたげよか?」
 
私がそう言うと、ウッチャンは黙ってぽろぽろと両眼から涙を流しはじめた。
 
それを見た時、母親生活現在15年目の経験則と、文字読みとして文字書きとして数十年間こつこつと培ってきた強靭な妄想力と想像力、そういうものを全て総動員して私は、この場に最もふさわしい言葉を5秒くらいで脳みそから抽出した訳です。
 
「あの…今日、幼稚園お休みしようか、ね?」
 
するとウッチャンは私のところにぽこぽこ歩いてやって来て、私の膝にちょこんと座り、「ウン」と言って頷いてから涙をひとつぶ、目に溜めたままニコッとし、それから立ち上がると心底安心した顔で途中まで着ていた制服をぽいぽいと脱ぎすてたのでした。
 
正解だった。
 
小さい子どもというのは(まあ言うてもこれは自分の我儘ですけどね)っていうような感情と要望は、ちゃんとそれを『我儘』だと自覚していて、それでも(なんとなく嫌やねん、気乗りせえへんねん、行きたないねん)てことを主張したい時には
 
「幼稚園行きたくなぁーい!」
 
と分かりやすく叫んで、制服の靴下をぽいと放り投げ、リビングの床に大の字になってぐるぐると大回転したりするものなんです。それで親に「もう!いい加減にしなさいッ!」って怒られてしぶしぶ脱ぎ捨てた靴下を履いて登園するって案配で(当社比)。

でもそうじゃなくて、何を主張する訳でもなく何も言わず叫ばず、ほろほろと涙をただ流して立ち止まってしまう時というのは、たぶん本当に辛い時。
 
きっと皆が楽しくお遊戯をしたり、近くの公園にお散歩に行ったり、運動会のための準備の色々をしている時に自分だけが、急に足がずしんと重くて上がらず、息がはあはあ荒くなり、倦怠感が背中に覆いかぶさって身動きが取れなくなることが、5歳のウッチャンにとってすごく怖くて、嫌なことなんだろうなあ。そしてそれは今のところ、まだ5歳のウッチャンにはなかなか予測が難しいことなんだよね、同じことをしていても、ずっと元気な日もあるし。
 
でも今は普通の、ぴちぴちに健康な私ですらへとへとの、瀕死状態の4月。そんな季節に酸素の補助があっても普通の人の酸素飽和度10~20%オフで、それなのに幼稚園のお友達とほぼ同じことをして生きているウッチャンが大変じゃない訳ないってことを、迂闊な私はすっかり忘れていた。
 


ウッチャンの進学先には、今のところ家から歩いて5分の、公立小学校を希望している。

そこはウッチャンのお姉ちゃんであるところの真ん中の娘が今6年生として在籍しているので、今年の秋の就学相談に先立って去年、学校見学という名目で小学校を散歩のついでに訪ね、それこそ今中3の息子の頃からお世話になっている教頭先生と、支援コーディネーターの先生にご挨拶をして、ついこの前新しくいらした校長先生にも、この4月、お姉ちゃんの参観日に廊下を巡回している所を呼び止めて「来年お世話になります」と、ご挨拶を済ませていた。
 
ただ何しろ、本当に入学することになれば、ウッチャンはこの小規模の公立小には開校以来初めての医療的ケア児、そこに体育に参加するとかしないとか以前にまず週5日、ちゃんと登校できるかわからないっていう脆弱な体の持ち主であるウッチャンを一体どういう形で受け入れてもらうのが正解なのか、そもそもまだ治療半ばのこの子の体調や状態があと1年でどんな風に変化するのか、WISC(子どもの知能などを測定するための臨床検査)も運動負荷テストも予定はしているけれど、それじゃあこの子の状態をどういう評価指標でどう伝えることがベストなのか、そもそもこちらは医者でもなければ心理士でもない、ズブの素人であるのでよくわからない。そしてここに来ての体調不良続き、私は物凄く不安になり

(もっとこう…ウッチャンを任せて安心、学校も「慣れてますから大丈夫!」のような学校はこの世のどこかにないものかね!)

そう考えて、考えあぐねてつい、主治医ともPTさんとも訪問看護師さんとも保健師さんとも、とにかく各方面と皆様と相談して「この子は支援ありで地域の公立小学校に行くのがベスト」と結論を出していた癖に、支援学校の中には『肢体不自由』と『知的障害』と『視覚障害』と『聴覚障害』、それぞれのお友達のための学校の他にもうひとつ、『病弱特別支援学校』というカテゴリーがあると知って、この時精神的に震度7くらい、盛大にぐらついていた私は
 
「うちの子、重度に該当する心臓疾患児で、医療的ケア児なんですけど、うちの子みたいなのは、こういう学校には、該当しないもんなんです…か?」
 
とその学校に直接聞いてみたんですよ電話して。そこは病院に併設されている支援学校で、あるひとつの病気の子ども達に特化した支援学校だったけれど、身体機能の脆弱さの点では…同じとは全く言えないけれど(だいたい疾患自体が全く違う)少し位は共通する部分があるのじゃないかと思って。そうしたらそこは
 
「ああ、うちはその…一般に言う『院内学級』なんですよ、入院しているお子さんのための学校なんです」
 
とのこと。それだから併設の病院に入院してない子は入ることができないのだそう。「学校」って記載されているものだから、普通に校舎のある独立した学校なんだとばかり思っていた。あまねく世にはまだまだ私の知らないことが本当に沢山あるものだ。
 
とは言え、それはよくよくHPを読めばわかることで、何というか説明書きはよく読めという話だった。そんな風にバカまる出しだった私は

「私、本当にもの知らずで…お仕事中に本当にすみませんでした先生」

と電話口で平謝りしたことでした。でも『知らんことはなんでも聞いてみよう、直接当たってみよう』というバカを超越した私のチャレンジ精神はこの時、ひとつ良いものを貰った、転んでもタダでは起きないとはこういうことかもしれない。
 
「いえいえ、色々と分からないことが多くてご心配でしょう、そういうことでしたら、医療機器の導線であるとか、運動機能の評価であるとか、こちらからご助言できることは沢山あります。お子さんの進学の詳細が決まりましたら、お母様からでも、もしくはお住いの地域の教育委員からでもご質問はお受けできますし、お話しも必要ならさせていただきますよ」
 
なんて言う、ありがたいお約束をいただいた。お忙しいはずなのに、なんていい人なんだろう、しかもこの人がまさかの校長先生だった。

『あなたが知りたいことは大体3人、人を介すと見つかる』

という言葉を誰かから聞いたことがあるけれど(曲がり角を3度曲がれば目的地に着く、だったかも)、自分の無知のお影でこの日、助言を貰える人を1人見つけることができた。


 
ひとまず来週、月曜日の幼稚園は、ウッチャンが「おかーぴんがいないと怖い」と言うもので、先生にお願いして教室の隅にお庭番のごとく、もしくは舞台の上の黒子のごとく控えさせてもらうことにした。
 
「それやったら、黒い服着ていったらいーい?」
 
と私がふざけて聞いたらウッチャンは「そんなのヘんだよ」と言って笑う。幼稚園がイヤな訳じゃないんだよね、突然、どうしようもなく体調が悪くなることが怖いんだよね。

しかし「おかーぴんがいたら安心」というこの子の理屈というか理論は一体何なんだろう、心臓疾患児の急な体調不良なら経験豊富な小児循環器医が横にいるのが一番安心て話なんだけど、ウッチャンはいつ「おかーぴんがいたところで医学的には一切、何も頼みにできない」という事実に気が付くのだろうね。ウッチャンの体調不良の時におかーぴんができるのは、せいぜいくたくたに煮た卵とじうどんを作ることくらいなんやで。

ともあれウッチャンの生活は、これまでずっと微調整につぐ微調整の連続だった。それが突然、小学校に入るからって急に変わるわけじゃないのだ、それどころか3歳でひとまず終えた『試合に勝って勝負に負けた』らしい手術後の状態が改善しないまま、体だけがどんどん育っているのだから体のポテンシャルはむしろ落ちている。もともと無茶な造りの循環や内臓の機能が、それでも育ってゆく体の自重に耐えかねてじわじわと悪くなっていくというのは、この手の疾患のある子の、避けられない運命だ。未だ受け入れがたいけれど、これはもう仕方がない。

ひととは少し違う、とても疲れやすくてひどく脆弱な体を持って生きるって本当に大変なことだね、普通とは少し違う身体で普通の世界に生きていくことがこんなに大変なことだなんて。そういうことを、恥ずかしながらおかーぴんは40歳半ばになるまで、ひとつも知らなかったです。
 


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