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敗北主義(クララは5月の荒野に立つ4)

6月が来てしまった。

別に頼んでいないのに。

入園はしたものの、未だ1日も通えていない幼稚園、そこに私が勢いだけで作成した娘の資料を持参して、クレヨンでアンパンマンを描けとせがむ本人を横にプレゼンして、とにかく5月の末に一度実際に登園させてみようという事が決まったのは5月の中旬だった。

「一度、どんな感じに娘ちゃんがここでお友達と過ごせるのか、お母さんも一緒に登園して見てみましょう、5月末はどうですか?」

とにかく、やってみないと分からない。退院して直ぐの時期には、歩く事も覚束ない、フラフラと危なっかしい足取りで、自力で立ち上がる事すら難しかった上に、在宅酸素療法、普段持ち歩いている酸素ボンベからは一体いつ卒業できるのか、それが本気で分からなくなってしまった、幼稚園側からすれば

「お母さん、何か、最初に言ってたのと違いません?」

これじゃあ、お預かりするのは無理ですよ。そう言われても完全に仕方ない娘を、幼稚園は結構あっさりと「じゃあもう連れて来て下さい」と言ってくれた。え、本気で?いいの?

「実際に園の中で動いているのを見てそれで問題があったら、その時に対応を考えましょう。発達の遅れ?全然大丈夫ですよ、年少児ちゃんなんて、自分が男の子か女の子かなんてわかってない子が大半ですよ、平気平気!」

3歳児とは本来、人間未満の野生のいきものである』

と言う事を保育の現場の柔らかで温かな言葉で表現するとこうなるのかと、ちょっと感心した。先生は自分の性別も年齢も分かっていないし、何なら自分の名前も微妙に間違って記憶している娘の事を

『我々は子どもの専門職ですから』

堂々たる風情で、全然大丈夫と言ってくれた。それが大阪の夏の太陽並みに笑顔の眩しい娘の担任の先生と、このどこからどう見ても面倒でしかない娘の入園に際して、もう1年以上窓口になって対応をしてくれている主任の先生だった。

強い。

今回、娘の入園に際して私は娘の為に『緊急対応表』というものを作った。例えば怪我をしたら、急に顔色が悪くなったら、呼吸がおかしいと感じたら…そういう幼稚園での緊急事態に際して、幼稚園側にどう対応してほしいか、そのためのフローチャート形式の表だ。同じ心臓の疾患を持つ子どもを持つ先輩ママから譲り受けたフォーマットを、娘の主治医に数値や対応を指示を貰って作り直したもので、緊急搬送の際に指名してほしい主治医の名前も記載してある。それは世の、大抵の先天性の疾患児がそうであるようにこの娘も、緊急時

『この中にお医者様はいらっしゃいませんか!』

これがあまり通用しない子だからだ。娘は元々心臓の形が奇形なのと、出生後から今までの手術で心臓とその周辺を普通の人とはかなり違う感じに作り変えてしまっている。だから、それを通りすがりの親切なお医者様がカルテもなしに助けるという事はちょっと難しい。そのお医者様の心臓に悪い、多分。そもそも心臓が左側じゃなくてほぼ右側にあるし、本来ある筈の血管がいくつか無かったり、別に無くていい物が存在したりもする。

だから、このフローチャートにこの子の主治医の名前をしっかりと2人記した。もし指定医療機関に緊急搬送した場合、必ずこのどちらかをご指名くださいという意味で。

永久指名制度は医療の界隈にも存在する。

それでその永久指名のうちの1人が

「ここにお名前のある先生、この幼稚園の卒園生なんだそうです」

実は娘の先輩になる人だという事を、主任の先生に伝えた、ちょっとした小ネタのつもりで。そいうの、私は嬉しい方だから。そうしたら

「この子、私が担任してたんですよ、え?今、お医者さんなの?」

主治医が実は主任先生の教え子だった事が判明して、私はちょっと吃驚した。あと、多分もう30半ば位の年頃の、あの背の高い先生を『この子』って。

主任の先生は、当時はまだ幼児と少年の間だった男の子が、今は目の前で謎の何かをお絵描き帳に描いている子の命を守る小児科医になっているというこの事実をとても喜んでいた。私は特に何もしていないのだけど。何だろうこの自給自足で自家発電的な感じ、この幼稚園が創立史上初めて受け入れられる医療的ケア児の娘の主治医、その主治医が幼児期を過ごした場所がここ。

こういう間接的な再会みたいなものを人から人へ運ぶ事が、人生にはたまにある。

そして、その使者に偶然が自分を指名してくれるのは割と嬉しい事だと思う、特に私にとっては。

「先生達、娘ちゃんが来るの楽しみに待ってるからね!」

主任先生と、担任の先生、それと入園後はほぼ娘の専従としてついてくれるらしい看護師さん、皆とハイタッチをしてその日は家に帰った。私も多分娘も、初登園の日がとても楽しみで、これからの幼稚園生活を夢見ながらこの日は眠った。そして翌日から

「結局行けなくなりましたって時に全部が無駄になったら本気で嫌だから」

という理由でずっと保留にしていた幼稚園のお道具の名前つけを細々始めた。その作業は、この3歳の娘の6つ上の姉がせっせと手伝ってくれた。

この姉も妹が自分の卒園した幼稚園に通うようになるのを、ずっと楽しみにしていた。



そして6月の第一週目の今、娘はまだ登園できていない。

「年少児ではないですが、RSウイルスで1クラス学級閉鎖になったんです。娘ちゃんのクラスも、みんながRSと診断されている訳ではないんですが、半分程お休みしているんです。お母さん、どうします…?」

今週いよいよ、初登園という5月末の月曜日の夕方、私の携帯にかかってきた幼稚園の電話で担任の先生が心苦しそうに私に告げた時

「そうきますか…」

私は嘆息をもらすというか、肩を落とすと言うか、もう呆れた。勿論先生に対してでは無くて。娘を普通の世界で普通に生活させることの難しさにだ。

RSウイルスは『一般には秋から冬に流行する風邪のウイルスの一種、免疫力が正常な人間が罹患した場合には、鼻水や咳程度、風邪のような症状ですむ事が殆ど』ちょっと調べると、大抵はそんな事が書いてある。

で、ウチの娘はそのRSに絶対かかるなと言われている。

RSウイルスは特定の先天性疾患児や、免疫不全、予定より早く出生した赤ちゃん、そういう子が罹患した場合に劇的に悪化してしまう事があるからだ。そして『それだけはマジで勘弁して』とはこの娘の主治医の言葉だ。2人いるウチの1人の方。私はわざわざ電話をかけて来てくださった先生に

「とりあえず今週の登園は見合わせます」

そう伝えてすべてをリスケする事をその場で即決した。

無理に登園して、万が一RSに罹患してしまえば娘は高確率で入院になる。そして、緊急入院の場合、娘の身柄を引き受けるかかりつけ病院は今、PCR検査をしてシロだと判明しなければ親は病棟に一歩も入れない。と言う事はその間、病棟に手負いの熊が単独で放たれる事になってしまう。

それは避けたい。

手術が終わって、年度末頃に手術の評価の為の検査を受け、それであとひとつ、娘の心臓の抱えている問題をクリアしたらあとは運動の制限とか、定期的な通院とか、毎日の服薬、そんなことに注意しながら普通に毎日幼稚園や学校に行けるものだと思って、むしろそちらの対応ばかり考えていた私は

『そもそも、幼稚園や学校、そういう場所に定期的かつ継続して通う事自体が難しい』

という大前提を思い切り忘れていた。

そもそも、今世界を席巻しているあのウィルスの終息はまだまだ先の事になるだろうし、それ以外にも今回のRSの流行、マイコプラズマ肺炎、季節性インフルエンザなんかもある。特に検査や処置で予定の入院が入る時期には、普段大体の事に鷹揚な主治医から

「絶対に風邪、ひかさんといてな」

という幼児を育てる者にとってはかなり高難度の指令が出る。これをこの子を産んでから初めて聞いた日、私は本気で絶望した。

「乳幼児に風邪を…ひかせない…やて…?」

私は12年前に1人目の子を産んでからこれまで子どもを3人産んで今も育てているけれど、風邪をひかせるなという問題ついては

「そんな方法あったらこっちが聞きてえよ」

という回答しか持ち合わせていない、解なし。勿論そんな事を主治医に言った事は無い。

多分、その手の事情で幼稚園にも休み休み行くことになるんだろうなあ、こういうのは何て言うんだっけ、背水の陣?負け戦?

いや、敗北主義だ。

【敗北主義 はいぼくしゅぎ】
勝利・成功の手だてを念頭におかず、初めから敗北・失敗するだろうと考えて事にあたる考え方や態度。

もう初めから上手くいかないものとして、やっていくしかない。



そうして、意外に落ち込んで微妙に飲みすぎていた体が堅強で精神の脆弱な母親をよそに、人より脆弱な循環機能を持ちながらメンタルが羆並みに堅強と思われる娘は今日も元気だ。娘は全然がっかりしていない、そもそも外の世界を全然知らないのだから当然と言えば当然なのだけれど。

そんな中、幼稚園でのRSの流行が静かに終わるまで、週に3日我が家に来てくれているリハビリの先生方は

「幼稚園ちょっと先になっちゃって残念だったねえ」

と言って、それならばと娘を屋外でリハビリさせることを提案してくれた。これは娘の楽しみのためと、体力回復のためと、それから広い場所で娘を歩かせてみてどのくらいの時間、娘の体の状態が正常に保てるのか、それを見るためだと言う。

「現状、普通の幼稚園で健常な子と動く事が本当に可能かどうか、今の内にちゃんと見極めましょう」

そういう事らしい。先生方は術後から今までの間にかなり回復していてほぼ本調子に戻りつつある娘の体力が、そもそも常人には全く追い付いていない循環の中でどこまでいけるのかを見ておきましょうと、少し真夏を思わせる日差しの今日、娘を外に連れ出した。

それを娘はとてもとても喜んだ。

「タンポポツム!」

その辺に大量に生えている綿毛のタンポポを大量に抜いて綿毛を吹きまくり

「ムスメチャン、オハナヤサンネ、500エンデース!」

自宅の近くの公園のベンチにひからびたタンポポとアカツメクサとハルジオンを並べ、そのカラカラの雑草を500円という法外な値段で親と理学療法士さんに売りつけ

「カクレンボシヨウ!センセイ、オニ!」

そもそも24時間酸素ボンベに繋がれているせいで、屋外ではそのボンベを持つために常に横に大人を、この場合私を帯同しているのに、かくれんぼをしようとして私もろとも狭い建物の隙間に潜り込もうとした。やめて、アナタは良くても私の縦幅と横幅が。

この日、娘の顔色と、脈拍、呼吸数、SpO2を計測しながら敢行した外遊びの30分。娘は流石に息が上がっていたけれど、数値がそこまで上昇しすぎる、もしくは下降しすぎるという事態には至らなかった。流石に午後は自宅のソファで眠りこけていたけど。

「この気温で30分外遊びができるなら、普通に園生活は大丈夫じゃないかな」

理学療法士さんは、そう結論づけた。

言いましたね。

この先生の一言を受けて、私は実のところ

「ああ、もうこんな事なら、無理なんかしないで最初から2年保育にしておけばよかった」

と思っていた事を少し、思い直した。

そしてついさっき、敗北主義者の私は負け戦の予定をもう一度組み直して次の予定を幼稚園に電話をして決めた。

娘、幼稚園に行こう。

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