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「なんでなん」

冬の冷たい風がふとぬるくなり春のような日差しが時折太陽のすきまから「こんにちは!」なんて勢いで下界に注ぐようになると、それは春の合図であって、春というものは、大人には役所手続きに、医療証の更新やとか、転勤やら転居やら、そうでなくとも春先というのはあまりに勢いがありすぎて、すっかり色々が弱くなってきた大人にはちょっとつよすぎる気もする。

私は春先になるとなんだかくよくよと落ち込んでしまって、ああどうしてこうおもんないことしか書けへんのやろかとか、落ち込みがちであるその隣で子ども達は絶好調。

幸いうちの子どもらは花粉症にも今のところご縁が無い様子、毎日できることの増えてゆく5歳児で一番末っ子のウッチャンはとりわけ絶好調であり、年中さんの後半からぐっと言葉数が増えて、ちょっとややこしい会話になると

「何を言うているのかわからんやんけ」

というつじつまの合わなさというものはまだまだあるものの、それでも言葉というのは人間の持ちうる一番強い文明の道具であって、ペンは剣より強いと言うか、世界を言葉でとらえることができるようになった時、ひとははじめて人となるのだよと言うたら、それはちょっと言いすぎやろか。
 
ともかくも今げんざい、ウッチャンの日々は
 
「なんでなん、どうしてなん」
 
ということに埋め尽くされていて、お母さんは嬉しいと言うか、大変というか、もう勘弁してほしいなっていうか、だってその質問のバリエーションというのが
 
「なんでお空は青いん?」
 
とか
 
「お魚さんはお水の中でなんで平気なん?」
 
などという、場合によっては「神様がおきめになったからやねん」と万物創造の主にえいやと丸投げして全部を終わらすことのできる質問以外に
 
「なんでお友達は、お喉に穴があいてるん?」
 
という極めて医療的かつ専門性の高い質問に話が波及することがあるものでそれが本当に困る、というか今日も困ってる。
 
例えば前述の「お喉に穴」というのは怪我とか装飾とか比喩的なことではなくて『気管カニューレ』というものを指していて、それは何かしらの、先天的に気管が閉じていたとか人工呼吸器を長期挿管していたとか色々の原因があって咽頭部分を切開して外科的に気道を確保し、更にそこが勝手に閉じてゆかないようにそこに差し込まれる医療器具のこと。
 
なんだけれども、なんでそんなことをたった5歳の子が母親に聞いているのかと言えば、この子自身が気管カニューレではないけれど鼻カニューレと言って、顔に装着するタイプの酸素の管をつけて生活している医療的ケア児で心臓疾患児だから。
 
そういう生まれ育ちであると、病院やデイサービスや、インターネットの中で出会った仲間たちにはそういったものを装着して生活しているお友達が何人もいて
 
(何やら自分と同じボンベを持っているけれどあの子はどうしてお鼻にカニューレをしてへんのかな)
 
など、それをすこし疑問に思っていた模様。
 
「あれはねえ、普通にしてると上手いこと呼吸ができやんから、お喉に穴をあけて管を通してそこからウッチャンと同じ酸素を送っているのやけれど、それがなんでなんかって理由はその子その子それぞれやから、一体誰のことを言うているのかで「なんで」の理由は違うのやけれど…」
 
「フーン…」
 
私のつたなく偏りがちな説明も一生懸命お目目を見て話してやると、時折はああそうですかと納得してくれることもあり、実はその大体はお母さんの説明が長すぎてややこしすぎて「うち、飽きてしもた」とかそういうことであったりなかったり。
 
ともかくも今、ウッチャンは世界にあるすべてのものが、目に飛び込んで来る色々が、どうしてそうであるのか知りたくて理解したくて仕方のない時期で、それがちょっとでも自分と関係のありそうな事柄であると食いつき方が違う。それやから迂闊にぼんやりニュースなんて見ているとほんとうに大変なことになる。
 
何しろ回答者であるところのお母さんは市井のイチ主婦であるので、なんで今遠い外国で戦争なんてことをしているのか、クジラさんが淀川にやってきたのはなぜなのか、桜はどうしてピンク色であるのかなんてもうなんて答えたらいいのか、5歳のウッチャンの成長を喜びつつも結構真剣に困っている。子ども電話相談室に毎日自分でお電話してほしい気持ち。
 
とりわけ、昨日は困った。
 
昨日の夕方、ああもうそろそろ洗濯物を畳んで片そうかという時間に流れていたニュースで、テレビ画面に映った笑顔のとても愛らしいお姉ちゃまがふと気になったウッチャンは、とつぜん私にむかって
 
「あのお姉ちゃんて、何年生なん」
 
「お名前はなんていうん」
 
「どうして、しんでしもたん?」
 
「ジコ?ジコってなに?どういうことなん?」
 
「おとうさんとおかあさんは、なんで泣いてんの?」
 
そういうことを矢継ぎ早に、ソファの上でウサギの子みたいにぴょんぴょん跳ねながら聞いてきて、それは普段なら夕方の嵐のような時間にはあまりテレビをつけていることのない私がテレビをつけてそれをじぃっと見つめていたものだから、それが余計に興味を引いたのだと思うのだけれど。
 
それは5年前にウッチャンも住んでいる大阪の、そしてウッチャンが暮らしている所とは少し遠い生野区というところで起きた事故の裁判の判決のニュースで、お姉ちゃまは当時11歳、お名前は安優香ちゃん、安優香ちゃんはウッチャンがまだ赤ちゃんだった2018年のちょうど今頃、下校途中の歩道に重機って工事用の大きな車が突っ込んでそれで亡くなったのだけれど、安優香ちゃんはお耳が不自由で、それやから大きな音をたてて車道から歩道に突っ込んで来る重機が間近に迫るまで分からなかったし、もしかしたら周りの人が「あぶないよ!」って叫んでいたのとかも聞こえなかったのかもしれないね、それで亡くなったんよ。
 
「しんじゃったの?天国にいるの?お友達とおんなじ?」
 
「そうだね、きっと天国にいるのやろね」
 
ウッチャンは、幼稚園に入るまで、自分とよく似た病気のお友達しかいなくて、とても残念なことだけれど天国にお引越しをしたお友達を何人か知っている。それでその子たちの現在の所在地のことをとても身近な場所だと思っているのだ。それだから安優香ちゃんも天国にいるのやろとフツウに聞いてきたので、私も普通にそうだねって答えたのだけれど、次の質問が難しかった。
 
「お父さんとお母さんはどうして泣いてるの?」
 
それは安優香ちゃんのお父さんとお母さんが、とても辛い形で安優香ちゃんを亡くしてしまって、それで一体ぜんたいどうしてこんなことがおきたのかということを出来るだけよく知りたくて裁判ていうのをしたのやけれど、裁判ていうのは訴えられた人とか罪を犯してしまった人に「刑に服してください」とか「お金を払いなさい」ということを命令はできるのだけれど「心から反省して相手にごめんなさいと謝りなさい」とは言えないのだよね、それで安優香ちゃんのお父さんとお母さんは、損害賠償といって、謝ってもらう代わりにお金を払ってくださいってお願いしたのやけど、
 
「安優香ちゃんはお耳が不自由やったから、そういう子は大人になっても普通の人みたいに働けないやろってことになったんやわ、せやからそんなにたくさんのお金は払いませんてことな。どんなに賢くてちゃんとお勉強ができても、体が元気で、うんと早く走れたり縄跳びができたりして運動ができても、耳が聞こえへんのやったそれはアカンてことになったんよ」
 
「なんで」
 
なんでやろな、お母さんも全然わからへん。
 
 
 
ところで私はこの裁判の行方を、たまたまこの安優香ちゃんの通っていた学校にかかわりのある知人がいたことと、聴力にこそ問題は抱えていないけれど、ほしたらじゃあ将来普通のひとびとに立ち混じって仕事をするとして、体調とか体力面でいけます?大丈夫です?という点ではいささか心配のある子ども(ウッチャンのこと)を育てているもので、それを「どうなるのか」と気にしていたし、昨日の判決もご両親の言い分がすべて認められてというものを望んでいて、それだから普段あまり夕方見ないテレビをつけていた。
 
夕方17時頃に放映された判決とその後の記者会見では、そのご両親の望みと思いがすべて通じましたとはならなくて、お母さんはひどく泣いておられた。
 
普通の子とは違う、すこしばかりハンデを抱えた子を、それでも自分らはこの子より長生きはせんのやし、いずれ自分が死んでも自立して立派に生きていけるようにと、一生懸命育てて来たお嬢さんを「いやそうはならんやろ」と公に無下に否定されたかなしみというものは、うちの子は心臓疾患児やけれど、それをわかると言ってしまうと、おこがましいことかもしれない。
 
それでもほんの少し、世の中がこの子の苦手を手助けしてくれさえすれば、うちの子やったらそれはとにかく体力がなくてもしかしたら大人になった時も酸素ボンベをひきずっていて、階段を上がるとか長い距離を歩くとかは無理なんていろいろと制限がありますよという点やけれど、そこを何とか助けてくれたら、普通の、健康なひとたちと同じにお仕事をして自立ができて、そうやって「人生とは大変なことも多いけれど、透明のなかに彩りのあるもので、今日の春の陽光のようにほんまに美しいものなんやわ」って思って生きられるような世の中であってほしいというのは、贅沢な話なのですかね、やっぱり。
 
そういうことを思った昨日であって、5年前に亡くなった安優香ちゃんが、いま現在11歳であるウッチャンのねぇねと同じ年であることにかなり一方的な親近感を持ったウッチャンはさいごにぽつりと
 
「安優香ちゃんて、優しい子?」
 
と私に聞いてきたのだった。いま遠くにいて会うことのできないお友達の多いウッチャンは、仲良くなりたいなあって子のことを、その子が一体どういう子であるのか、お誕生日はいつで、どこの幼稚園に通っていて、どんな様子の子であるのかと、私に聞くのが大好きなもので。
 
きっと優しくて、賢くて、すごく素敵な子だったのだと思うよ。

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