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2学期のはじめ

今年の夏は地上に暮らす人間の手に余るほど暑く、きっと人類最後の日は遠くないのだなあと本気で思ったことだった。

今から20年程前に「39度のとろけそうな日」という歌い出しで始まる歌が流行ったことがあった。あれ、デートならデイゲームと歌っているので野球観戦に出かけた二人の歌なのかなあとは思うけれど、実際に39度を体験してみた身の上としては、観戦する方もプレイする方も39度ある屋外はちょっと野球どころじゃない、野球観戦は是非冷暖房完備のドーム型球場をお勧めします。

第一摂氏39度の屋外なんて、そこに数秒立っているだけで肌にまとわりついてくる空気が温風を遥かに通り越して熱波、噴き出してくる汗は止まらないし、それが衣服の中にダラダラと汗が流れていくのが気持ち悪いくらいにはっきりわかるし、私はこの夏、子どもの時以来の汗疹を作ってそれが現在進行形、お尻の辺りが今なお痒い。

よく猛暑日を評して「サウナみたい」なんて言うことがあるけれどこれはそれを更に上回って、サウナで蒸気をパタパタ扇ぐヒト(熱波士というのだっけ)が背後で熱波を景気よくじゃんじゃん送り続けている、そういう感じ。こんな陽気の昼間に本来なら不要不急の外出なんてするべきではないのだろうけれど、この日は通院日で、それはやはり要で急なもので、仕方なく家から数分の距離にある病院に行くのに5歳の娘の体のあちこちに保冷剤をぐるぐる巻きつけて、10秒毎に

「生きてる?大丈夫?」

生存確認をしながら真夏の街を走り抜けた記録的猛暑というか酷暑の日、すれ違った人は「なにごとよ?」って顔をしていた。娘は幸い熱中症にはならなかったけれど、茹でタコみたいな顔色になっていてそれは恐ろしく「大阪は人間の住むところじゃない、ウチはもう長野の山奥に住む」などと長野県に暮らす知人に訴えて

「そりゃあ大阪は暑いだろうが、長野だって暑い時は暑いだに、それに5歳の病院はどうするだ」

なんて言って叱られてしまった、そんな全国的猛暑の夏だった。ところで全然本筋とは関係ないですが長野県中部あたりの方言は、語尾に『だ』とか『に』がつくのがとても可愛いですね。

ともかくこの異様な暑さのせいでこの夏休み、5歳の体調はあんまりだった。お掃除のついでに換気をしようと一度クーラーを止めて、それで29℃くらいになった室内に転がしておいた5歳が「なんだかきもちがわるい」と言って食べたものを吐いてしまった日もあった、本当に暑さに弱い、この子のお魚によく似た形状の心臓は陸での生活にやはり向いてないのかとあらためてとても心配になった。

5歳は心臓の先天的な奇形で、お魚ととてもよく似た心臓をしている、それで陸では息ができない…という訳ではないのだけれど普段、医療用酸素を使って暮らしている。この夏、これまでそれの酸素流量(時間毎に流す酸素の量)が0.5ℓだったのが1ℓに増量になった。これは体がどんどん大きくなっているのに肺循環や心臓の周辺にある血管の抱えている問題が全く解決していないもので

「じゃあ、流量をふやそうか」

ということになったもの。洗剤とお菓子の「いまだけ増量!」は個人的にものすごく嬉しいけれど、この件についてはあんまりというか全然嬉しくない。これは良くなるどころか逆に…ということなのだし。

しかしこの5歳、瞬発的になら走ることも跳ぶこともジャングルジムを登ることだってできる上に落ち着きというものを私のハラの中にそっくり忘れてきた娘なもので、家の中でも外でもちっとも落ち着かずピョコピョコ野兎みたいに飛び回りそしてスグくたびれている。ちょっと近所のスーパーなんかに行くだけでもそう、売り場をぴょんぴょん飛び跳ねながら蛇行して歩き回り、さあレジでお会計をという段になって

「つかれた~」

と、あろうことかレジの商品を置く台の端に頭をごんと置いて突っ伏してしまう。これが普通の健康そうなお子さんなら「あらあら、疲れちゃったの?」で済むところが、この5歳は医療機器を装着しているもので

「…あの、大丈夫ですか?」

なんて、店員さんに心底心配そうな顔をされてしまう。これは実際に血中の酸素飽和度が一時的に下がっている状態、本人も「しんどいなぁ」という感覚に襲われているところなので、大丈夫じゃないと言えばそうだなのだけれど「大丈夫じゃないです」なんて答えてしまうと先方だってきっと困ってしまうので

「えへへ、大丈夫です」

なんて曖昧に笑いつつ5歳(112㎝19㎏)を小脇に抱えて足早にその場を立ち去ることになる。この時私の背中には約3㎏の酸素ボンベと、そして片手のカートには山盛りの食品。毎日が筋トレの日々、私の上腕二頭筋はこうやって逞しく鍛え上げられたのではあるけれど、もう20㎏の大台に乗りそうな5歳を抱え続けるというのは、四捨五入したらもう50になってしまう私の足腰にはあまりに厳しく、この夏私は5歳に電動車椅子を購入する手続きをした。

購入すると言っても小児用の電動車いすは基本的にセミオーダーないしはフルカスタム、Amazonや楽天では売ってない。うちの場合はまず、市役所で必要書類を貰って、5歳を担当している理学療法士さんに紹介してもらった業者さんに見積りを出してもらうところから。一度デモ機に乗せてもらい、各パーツの採寸をして、業者分の見積もりを出してもらい、今は主治医の意見書待ち。それが出てから市役所の福祉課に電動車椅子購入の補助に関わる申請を出す。

5歳の持っている資格というか条件だと、電動車椅子購入には公の補助が頂けることになっている。それはとても有難いことなのだけれど、当然というか勿論というかまったくタダということにはならなくて、自己負担分はちゃんとある(どういう計算でそうなるのかはよく知らない)。その自己負担分というのがこの子の中3の兄の通う学習塾の夏休み講習の請求額とほぼ同額で、ついでに座って授業を受けるだけでも疲れてしまう5歳のために座位補助シートなるものの購入も検討しているけれど、それは多分全額自己負担でそのお値段がまた中3の兄の秋特訓などという特別講習のお値段とほぼ一緒。

(うちには今、双子の中3がおるんや…)

私は夏以降、次々出て来る各方面の請求書もしくは領収書あとは明細の類の数字を眺めながらそう思うことにした。もしくはお母さんちょっとインド洋でミナミマグロ捕まえてお金にしてくるわ。

こうなってくると、新一年生の装備としては結構高額だと思っていた(というか実際高額だ)ランドセルが入学準備用品の中では「まあ…大した値段とちゃうよな」という印象になってくるから怖い。でもそうやって今、思いつくかぎりの用意をして迎えたとして、来年の小学生生活は

「初手から週5連日登校するのは厳しいかもよ~」

というものらしい。これは5歳とはひとつ違いで、今年うちとは別の学区の公立小学校に入学した5歳とよく似た疾患の、ケア状態がやや違うお友達のママのお言葉。小学校はやっぱり保育園とは勝手が違うし、先生方が色々と気遣ってくださる支援級にいてすら風邪を何度も貰い、それをこじらせて入院になり、やっと退院したら今度は登校渋り、とにかく本当に本当に大変な1学期だったそう。

健康がデフォルト機能の人々の世界で、初期設定が全然違う、人間の体の中枢たる心臓と循環機能が初めから故障しているような状態でやっていくというのは、とても大変なことなんだなあと、今から既に気が遠くなってくる。循環器の脆弱さとそこから派生する暑さ寒さへの弱さ、感染症の重篤化傾向、持久力と体力の不足なんて「体を鍛える」ではどうにもならないし、鍛えようにもこの子たちにはハナから運動制限というものがある。

そういうことを考えながら、2学期の始めの就学相談の際に提出する予定の「相談シート」を書いていると、外の真っ白な積乱雲のぽっかり浮かぶ夏の青空とはあまりに対照的などんよりと陰鬱な気分になってくるのですごく困る。なにしろ前述のお友達は、小学校に常勤の学校看護師配置が間に合わず、医療的ケアのあるその子のためにママが1学期間はほとんど毎日親子登校をしたのだとか。そういうことは割とあると噂には聞いていたけどなんてこと。

それで「うちの子はね、医療的ケア児なもので学校に看護師がいないと絶対にやばいですよ、困るですよ、服薬もあるし、元気そうに見えますけれど下手すると心不全とか起こしますよ、走らせてはダメだし、泳がせてもダメだし、10分程度の歩行ですぐクタクタになるし、酸素ボンベつきでトイレに入るのですよ、WISC-Ⅳの結果は別紙にておしらせします」ということをせっせと用紙に書き込んでいたらなんだか更に陰鬱な気持ちになった。

でも、相談シートの「お子さんの得意なこと」の欄で私は少しだけ思い直す。

実は5歳には既に大人の私をすら凌駕している能力がある、それは身体の痛みとか辛さとか倦怠感への解像度がとても高いこと。そしてそれがどんなものかを把握しているために、5歳は同年齢のお友達に比べて病気やそれの検査に付随する痛みや不快感や倦怠感に対していつもとても冷静だ。

例えばついこの前、テレビを見ている時にどこかの病院のCT検査室が映った。あれは5歳もよく知ってるやつだねーと私が何の気なしに指さすと、5歳は

「CTはね、あのドーナツにはいるときにカーッとしてあついんだよねえ」

なんてちょっとよく分からないことを言った。この子はこれまで心臓とその周辺の血管を詳細に調べるためにCT検査をこれまで結構な回数受けているのだけれど、それはX線の吸収率の高い造影剤を静脈に流し込んで、血管や血流の多い組織を撮影するもので、その薬剤が体に入ると5歳曰く体の中がカーッと火照るような感覚があるのだそう。お医者さんをしているお友達からもよく似たことを聞いたことがある気がする。そして『あのドーナツ』というのはCT撮影のための大きな輪の形をした機械のこと。5歳はどうやら、その時の話をしているらしい。とても冷静に、かなり詳細に検査の色々を理解して記憶していたし、その上

「それからCTの時はみんなが『ねんねしてね~』って言うけど、あたしはあんまり眠たくならないから、寝たふりするねん、そうしたら早く終わるから」

小児の場合、CT検査を怖がって泣いたりもぞもぞと動いたりするもので、それを防ぐために、お薬で眠らせることが多いのだけれど、この5歳、直近で受けたCT検査の際にそのお薬、鎮静剤が実はひとつも効いていなくて、現場で薬を足されてそれが効くまで仰臥位で待たされたり、看護師さんに「ねんねしてね~」と宥められたりすることが煩わしいからと『狸寝入り』をキメていたらしい。

確かに今年の6月の直近の造影CTの時、それまではとにかく効きの悪かった鎮静が随分とすんなりいってびっくりした覚えはある。でもこの時はいつもの大学病院ではなくて別の専門病院での検査だったし、病院が違えば医師の処方も違うのだろうから、ここの先生の鎮静剤の処方がこの子には会ったのかなとばかり思っていた(実際明細を見たら検査で使った薬の種類が大学病院でいつも使うのとは違っていたし)。そんなことまでできるのか5歳。トイレはまだまだ失敗続きの癖になんでそこだけ妙にお姉さんなんだ。

でもそれは、この子が誕生から5年と数ヶ月の間、度重なる手術と入院の日々の中で培われて研ぎ澄まされてきた感覚であって、それが身についているのは幼稚園の他のお友達とは「鍛えてきた筋肉がちょっと違う」からなんだろうなあとも思う。5歳と同じように病気と一緒に成長している同じ年頃の子も、これとよく似たことはできそう。みんな病院の外で暮らすことが本来そう容易ではない身体を、何度も何度も手術をして、検査や処置のためにたくさん入院して、小学生になるための身体を作ってきた。

5歳も、暑さには滅法弱く、冬の寒さでは顔が土気色になり、走ることも長く歩くことも、実のところトイレも未だに年齢相当のことができないけれど、他の子にはない鋭敏な身体感覚と妙な度胸を携えて来年はランドセルを車椅子の背もたれに引っかけて新1年生になる。そのための就学相談は来週だ。そこには私が筆圧強めに書いた相談シートと、この子の看護師・理学療法士チームが気合を入れて書いてくれたサマリー(これまでの看護記録)を持って乗り込む予定。そして5歳が就学を予定している小学校の教頭先生には

「僕も頑張りますが、教委にはぜひお母さんからも看護師の配置を強く押してください!」

と言われているし私はこれまでの自分の人生で培ったものすべてを賭して頑張らなくてはならない。例え自分がどんなに私がタフな交渉ごとが苦手で、見た目に一切の迫力がなく、何なら時折自動ドアにも気づかれないタイプの影のごく薄いタイプの人間であるとしても(いや実際そうなんやが)。

来たる就学相談の日、教育委員会の先生に「どういうお子さんですか?」と聞かれたら、まずはうちの子は重い心臓病ですとか、そのせいで肺循環がかなり特殊ですとか、気候の変化に相当弱いですとか、それを言うよりもまず先に

「とにかく、普通の子とは度胸と根性が違いますね。母親の私とも全然、違います」

そう答えるつもり。


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