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無知の妊婦について。

私が最初にNICUという施設を知ったのは、多分ドラマや小説の中で、その時それはドラマのセットとか書き割りのような絵空事のような場所だった。存在は知っているけど、うんと遠い外国のような、一生縁はないかもしれない、そういう所というか。

それが、自分が実際に足を踏み入れてそこに触れる、至極リアルな場所になったのは、私が3番目の娘を妊娠して30週目の時のことだ。

「単心室症と言って、本来心室中隔という壁で左右に分かれている筈の心室が1つしかありません、他にも色々問題が見つかりました。出生後は検査の上即点滴等の処置をして、時期を待ってから1度目の手術が必要になるので、出産後即、NICUに入院という形になります」

妊娠21週目、最初に通院していた市民病院の産婦人科医の先生が見つけてくれた胎児の心臓の異常の全容が明らかになった30週目、胎児エコーを担当した転院先の大学病院の新生児医の先生は噛んで含めるようにして丁寧に、明らかに何も分かっていない顔の私に胎児の状態を説明してくれた。

その時初めて、この子は産まれてからすぐ、産婦人科病棟に留め置かれる母親の私とは別の場所のNICU、新生児集中治療室に即時搬送されるのだと、そう聞いても当時の私には

『NICUというのは、アレか、ドラマで見たあの赤ちゃんの部屋か』

その程度の認識しかなかった。この子の前に既に子どもを2人産んでいても私は、有難い事にその2人の息子と娘がとても健康だったお陰で、当時TBSで放映していたドラマ『コウノドリ』で主演していた綾野剛の姿しか頭に浮かんできていなかった。

馬鹿め、綾野剛は産婦人科医役だったというのに。

それで、NICU入りするような子なら私のお産は一体どういう形になるのだろうと、この時新生児科医の先生と同席していた産婦人科医、当時の主治医に

「あの、ということは、この子は帝王切開で産むんですよね?」

そう聞いた。何しろ1万人にひとりとかそういう難病らしい赤ちゃん、普通には産むことは難しいだろう。満を持しての予定帝王切開といかそういう感じなんですよね先生?私がそう聞くと、普段から飄々として、大抵の事では動じない感じの先生はこともなげに

「え、なんで?胎児は順調に大きくなってるし、お母さんも既往歴ナシの健康体だし、普通に産んで?」

と言われて、物凄く拍子抜けしたのを覚えている。主治医が言う通り、健康で頑丈だけが取り柄の私は、なまじ病院にご縁がなかっただけに、未知すぎるお腹の子の病気それ自体よりもまだこの時点では、自分にとっては未知の経験である帝王切開の方が少し怖かった。



『このままお腹の中で胎児が順調に成長し、特にトラブルも起きないのなら、出来るだけ胎内で大きく育てて、正期産で経腟分娩』

そう言われて、胎児の心臓の全容が大体解明された30週目からも、特に特別な何かがある訳ではなく、普通の妊婦さんとそう変わらない頻度で検診の為に病院に足を運び、私はまだ見ぬ難病の我が子について

「本当に心臓の病気の子が入ってるんだろうか…実は嘘ですとか先生が途中で言い出さないだろうか」

と半ば本気で考えていた。娘の疾患は胎児の状態で、肺呼吸をしていない時期には特に問題が起きないらしく、他の臓器にも大きな問題が見つからなかった娘は、胎児エコーで心臓の画像を見なければ本当に普通の赤ちゃんだったし、私はこの時もまだ全然難病児を産むなんて頭ではわかっていても、そんな経験もないし、そんな子を見た事もなかったし、何と言うか実感というものが付いて来ていなかった。

そのあくまで呑気な妊婦を引っ張ってくれたのは産婦人科病棟の看護師達だ。

この普通の妊婦と何も変わらない生活の中で、ひとつ普通の妊婦と違っていたのは、胎児の疾患が判明してから、私にサポートチームのような看護師が複数ついてくれた事。

産婦人科病棟看護師
産婦人科病棟助産師
NICU看護師それと、その時姿を見る事はできなかったけれど、地域提携室担当看護師

彼女達とは、大学病院転院後、外来ではなく産婦人科病棟に上がって胎児エコーを受けた際に初めて顔を合わせ、以後数回、面談という形で話をした。

産婦人科医と新生児科医とのカンファレンスの後、その時に使っていた面談室にぞろぞろとやって来た彼女達は、全員とても若くて元気で、そして皆笑顔で

「お母さん、頑張りましょうね!」

開口一番『お母さん気合入れて行こうぜ』と私に言った。

それでお産は3回目とは言え、病気の、しかもNICUに即日搬送なんていう子は初めて産むことになる、それを考えると実感こそなくても生まれたての小鹿の如くか細く震えるような心境でもあった私は

「産むこと自体は今回で3回目なので、とんでもないトラブルがあるとかそう言うんじゃなければそこまで不安ではないんです。でもNICUって初めてで、そこって一体どんな所なんでしょうか、生まれてすぐ子どもには会えるんですか、付き添いとかは?どれくらい入院すると思います?」

そういう事を聞いた。自身が健康で、過去に産んだ子どもも健康であれば、NICUなんて一体どんな所なのか映像資料を見た事があっても、実感としてはよく分からない。親はどうしたらいいのか、どの程度付き添えるのか、病棟みたいに子どもの横に寝たりしないですよね、あと綾野剛はいますか?

全く未知の世界、親の私はとても不安だった。

その気持ちだけは子鹿の私に看護師さん達は

「NICUは、勿論お母さんもお父さんも入室が可能です、出産後、多分お父さんを先にご案内する事になりますが、お母さんも産婦人科の先生が動いていいよって仰ったら面会時間に沢山来てあげてくださいね」

とか

「お部屋自体は、小児科病棟の中なんですが、産婦人科病棟と同じフロアで廊下で繋がっていますので、入院中も母乳を運んだり、可能なら直にあげられますよ、看護師が付き添いますからね」

とか

「赤ちゃんは点滴とかモニターをつける事になるのと、ちょっと機械音が沢山している場所のなので、最初はちょっとびっくりするかもしれませんけど、大丈夫ですよ。看護師の数も一般病棟よりずっと多いですし、何でも聞いてください、赤ちゃんの事は24時間しっかり見ていますから」

そういう事をひとつひとつ丁寧に説明してくれたし、ベビー服はNICUの子はお揃いですとか、オムツはNICUにあるものを使いますとか、沐浴は体の状態を見て、ちょっと先になるかもしれませんがNICUの看護師と一緒にしましょうねとかそんなことも丁寧に伝えてくれた。

大丈夫、大丈夫ですよ。

彼女たちは青天の霹靂的に突然難病児の親になる事になった母親を励まし、とにかく自分達がついているので、安心はできないかもしれないけれど、落ち着いてお産に臨んでほしいと、そう言った。

それで私は心から安心した。とはなかなかいかず、最後の最後まで心配の澱を心の底に溜めたまま、それでも月満ちた39週と1日目、無事に3154gの娘を出産した。

当日は、病棟でお産が立て込んでいる日で、2人の子を夫に任せて来た私は付き添いなしのソロ妊婦、そしてお産を介助する助産師は1人だけという立派な設備に反して結構簡素な状態で人生3回目の出産に挑んだけれど、その時、娘を冷静に取り上げ

「おめでとうございます!」

そう言ってくれたのは、あの小さな面談室で看護師・妊婦すし詰め状態のカンファレンスをした日に同席していた助産師さんだった。

あのカンファレンス以来、何度か面談で顔を会わせていた彼女が助産師として付き添っていなければ、私はもっとずっと固い気持ちで人生最後のお産に臨んでいたと思う。

その後のNICU搬送も安心してお任せした、と言うわけではないし、予想外の事も沢山起きたし、想定外の事態に泣いたりしたことも沢山あったけれど、あの30週目に、何もわかっていない難病児のプレ母に、NICUの事、病棟の事、お産の事、それぞれを説明しながら『大丈夫ですから』と力強く言ってくれた彼女達の言葉が有るか無いかでは、私のその時々の気持ちは全然違っていたんじゃないだろうか。



だから、医療者側に立つ人間が、妊婦に対して

「新生児医療の必要性も良く知らないで、華やかなオプションばかりに気を取られて分娩施設を選ぶなんてほんとうに馬鹿」

そんな事を言うのは、今、このコロナ禍にあって、手探りの中、一体どこで産むことがベストなのか、どういう施設に受け入れがあるのか、それを一生懸命考えて選択している妊婦の不安を煽る上に失礼千万で、新生児医療と産科医療の間で、妊産婦の為に力を尽くしているあのカンファレンスルームにいたスタッフのような心ある人達にとってもかなり失礼な事なるんじゃないかと思う。

そもそも今、分娩施設にはそう選ぶ幅というものが存在していない。

だから、医療者側にはせめてこれからの母親にきちんと届く形で、動揺を煽らないで、正しく情報を手渡ししてほしい。これから出産を迎える彼女達は、既に出産を終えた私よりも更に大変な時代に母親になるのだから。

そうやって、妊婦が少しでも安心してお産に臨むことが出来るように、仮にもし何かあったとしても搬送先のNICUから来た使者を信頼して我が子を手渡す事が出来るようにして欲しい。

私は、そう思っています。

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