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Queen Angio 4

  40年超生きているのに、未だに自分がよくわからないというか、できないことが多すぎる。

  例えばちょっとボタンが取れた時にそれを縫い付けようとして針に糸を通すことはできてもそのあとの玉止めができない。それから電車の乗り換え、これは生来方向音痴であるということに起因しているのかもしれないけれどとにかく苦手で、ついこの前も

「淀屋橋まで行って地下鉄御堂筋線に乗り換える筈が、ひとつ手前の北浜で降りて、更にそこが北浜だと気が付かずそのまま地下鉄堺筋線に乗ろうとする」

ということをやらかして、これは関西在住の方ならそのポンコツさ加減がいかほどのものわかると思うのですけれど、その時連れていた4歳児はその後どんな交通機関に乗っても

「ママ『きたはま』でおりんといてな」

 そこにないはずの北浜を警戒するようになってしまった。でもそのお裁縫だとか電車の乗り換えよりも、多分一番これが苦手だろうと思うのが『感情の認知』ではないのかなと思うのです。生きていれば日々、良いことも悪いこともあるものですけれど、その中で起きる事象のいろいろを、自分はいま辛いのか哀しいのか、それを瞬時に理解して頭の中で認知してより分けることが、私は大変に苦手です。

 辛いとか哀しいとか、あと痛いとか、そういう感情が発生するであろうできごとに直面すると私は大体、思いがけず街に出てきて軽自動車にごつんとぶつかってしまった山里のタヌキのように

「エッ?いまのなに?どういうこと?」

と困惑した表情のまま、別に落ちなくていい側溝に落ちて膝をすりむいて家に帰り、特に沸かさなくて良いお湯を何度も沸かし、勿体ないからそのお湯で淹れたコーヒーを飲みつつお腹もすいてないのにギンビスのたべっ子どうぶつを2箱食べてしなくてもいい胸焼けをする。そうしてやっと数時間後か、3日後か、下手をすると10年経ってからやっとその日の謎行動の原因を

「…あれが辛かったのだな、きっと」

何かしらの辛苦を感知した故なのだと思い至る。鈍重なのか悠長なのかわからない。思えば怒りも事象の発生からそこに派生した感情の感知までがやたらと遅い。そういう性格?脳の構造?をしています。

 それだから今回も一体何が辛いのか痛いのか哀しいのか感情を捕まえて言葉にして抽出するまで1日半もかかってしまった。脳の著しい感情遅延。

 

 さて1週間前、我が家の末っ子の4歳はいつもの病院に入院して、コイル塞栓術というものを受けました。これは体内に細いワイヤーを差し込み患部をレントゲンの技術で造影、映像で目視しながら処置を行うもので、今回は心臓疾患児である4歳の体の低酸素状態に起因して肺にクモが巣をつくるようにして細かい網目様に伸びた不要な血管の除去を目的とするもの。

 本来あるべきでない、必要どころか血流の邪魔でしかない細い血管を、足の付け根の太い血管から細いカテーテル、管を入れてそれを目的の左肺付近まで到達させて、さらにそのカテーテルの中から血管の中に小さな金属を送り込んで塞栓、塞いでしまおうという緻密に高度な技術を要する医療処置。

 それは、4歳を新生児の頃から診てくれている主治医の曰く

「上大静脈から本来であれば左肺動脈、肺静脈、左肩、指先に向って流れる血流が※、大静脈の途中に側副血行路(collateral flow、以下コラテ)が生えて勝手に分岐して、血流が肺静脈に直接流れ込んどる」
(※4歳は上大静脈と左肺動脈を手術で直接吻合し、主肺動脈は離断しているため静脈血が心臓に流れない)

 どうしてもはびこりたいのなら、大人しく肺のどこか一部に細々生えておけばよいものを(よくない)、どうやらコラテは肺と心臓の間に勝手に妙な血流を新たに作り出して、手術を繰り返して現在は動脈血を身体に送り出す、左心の機能しか有していない4歳の心臓の低めの圧よりも肺の圧の方が遥かに高くなっている状態で、それだとチアノーゼはちっとも改善しないし、前回の手術時に心臓にあえてあけた血流補助のための人工的な穴が永遠に閉じられない。だからともかくもその諸悪の根源であるコラテを塞がないと、ということになったのだけれどその塞ぐべき血管の形状というのがまた

「大静脈から入れたカテを子カテ(細いカテーテル)に変えて、そっからコラテに入れようとしたんやけど、そのコラテが細い上にヘアピンカープ状に生えてて子カテが入らへん」

 強情というかへそ曲がりというか、目的の血管は大静脈に入れたカテーテルをやや引き返し気味にくるりと曲げて細い路地に侵入させるような順路でないと挿管できないようなややこしい形に生えていて、臨床の現場に出て30年、3度の飯よりカテが好きな(多分)小児循環器医の主治医をしても真剣に厄介なものだったのだそう、主治医はその技術と経験の粋を集めて一度はそれが

「奇跡的に一遍は入ったんや、そん時はもう現場におった連中全員でワーッ!てなってんけど、さあいざ先に進めようとしたらツルって抜けて、そん時は全員がシーンてなって、そのあとはどうにもならへんかった…」

そのとき現場は大変に盛り上がり、その後すぐ非情なほどに盛り下ったとのこと。なにそれ、病棟で終了の知らせを待っていた私もちょっと見たかった。だってアンギオにいた全医師、看護師、ME(臨床工学士)、あとはもしかしたら見学の医学生が一斉に「ワーッ!」ってなってその後「スンッ…」って。

 その後はカテーテルの種類を何度も変えて、現場で業者に「なんかええのなかった?」と電話をし、現場にいた主治医、病棟主治医、新生児科時代の主治医、病院中の小児循環器医それぞれがガイドワイヤーを目的地に到達させることにトライしたもののすべてあえなくエラー。いたずらに時間を超過してしまえば鎮静下にある4歳は徐々に覚醒してしまうし、鎮静を追加するにしてもその量には限界というものがある。

 でも先生方は粉骨砕身、不撓不屈の姿勢で努力をしてくれてたのだと思う。造影の動画(造影時の様子は映像で記録される)を見せて貰った時、シロウトの私さえそれは明確わかった、あれ絶対にイライラするやつや。不器用さ故に家庭科では相当な成績をとっていた玉止めのできない私が現場の医者なら開始5分で

「イーーーッ!」

となってガイドワイヤーを床に叩きつけ、いろいろの物品の乗ったワゴンを蹴り倒すくらいはしていると思う。それで「あの先生なんなん?アタシ達もう付きません!」とアンギオ中の看護師さんに心底嫌われてしまうことはもう間違いないというかそんな人間はそもそも医者に向かないというか。

 ともかくそれはできなかったのだ、コイル塞栓は不発で終了。それで一体どうしたらこの問題を解決することができるのか、関係各所に聞いているから回答を待ってほしいということを、私は処置の後すぐに病棟主治医の方から聞いていた。それで『ならいっそ、主治医の相談している病院の方に患児本人を見せに行って回答を貰ってきたら話が早いのでは、主治医はなにしろ忙しい人なのだし』と考えたのは、いつも妙な所で気の短い私です。

 主治医と病棟主治医ともうひとり、どこか別の病院の専門医と、3人寄れば何とやら。そうして生まれたアイデアで主治医がコイル塞栓にリトライするということでどうでしょうと、それはセカンドオピニオンというヤツなのやでと言うのならそれのお値段30分でにまん…いやそのくらい払いましょうと、そう思っていたのだけれど今回

「この病院の設備と僕の技術ではこれが限界や」

 かかりつけ病院に娘が胎児の頃からお世話になって早5年、とうとう「限界」というあまり聞きたくない言葉を聞くに至るのだった。「すみません」なんて主治医に面と向かって頭を下げられたのはこの長いお付き合いの中で初めてのこと。

 セカンドオピニオンを言い出したのは誰あろう私だけれど、それは別病院で提示された解決策を主治医が実施してくれるのじゃないかなと思っていた故のこと。だってかつてカテーテル検査中に心停止をおこした時も、それでその後のバルーン拡張で心臓の中にカテーテルを通せなくなり、とんでもなく面倒なう回路を使って肺動脈の拡張をやることになった時も、「やりたくねえなあ」なんて中学生男児のようなことは言っていても「無理」と言うことのなかった人だ、それが今回「無理」とはっきり言った。ということはこれはもう仕方のないことなのか。

 高い技術と矜持を持って仕事をしている専門医が、患者を前にして限界を告げることを私は、大変に誠実なことだと思う。

 結局、今回はセカンドオピニオンではなく、主治医からの正式な紹介状と診療情報提供書その他いろいろを携えて正式に別の医療機関を受診し、この問題を解決しようという事になった。でもこれは直近で何かオオゴトが起こるとかいう性質のものではないし、大体今娘ちゃんは超絶に元気やし、就学にむけて酸素を外して、将来の予後不良の可能性を少しでも潰そうって、そういうことやからと言われて私は4歳を連れてとぼとぼと夕暮れを背に自宅に帰って来たのだけれど、家に帰って普通に夕飯のお菜のアジフライを焦がしましたよね。

 お店で揚げてあるのを買えばよかった。

 紹介先はこの手の病気では最高峰の医師のある医療機関。そして今後も定期の受診は今のかかりつけ病院だし、心配することはひとつもないのだけれど、さあいざ紹介先で入院して処置であるとか手術をすることになると、そこは設備が違うし、馴染みの看護師さんもいないし、規則や決まり事もまた違うだろうし、いつも忙しそうに病棟の奥から駆けてきて4歳を撫で繰り回して去ってゆく病棟主治医もいない。

 それにもし万が一、何ごとかが4歳の身に起きた時、先方は技術と設備の面では国内最高水準の所なのだから心配はむしろ今よりないのかもしれないけれど、でもそこにはいつも大体が大雑把で大抵のことを「まあダイジョブやろ」と言ってくれる主治医がいない、それが相当身にこたえるというかしんどいのだ私は。一昨日の受診から2日経過して考えてみて多分これが一番辛いと結論が出ました、遅い。

 去年、当時3歳の娘が13時間に及んだ長い心臓の手術中に不整脈を起こし、そのまま術後難渋の戦いの渦中にあった3月、ICUに毎日様子を見に行っていた私は娘の酷く浮腫んだ顔に、ぐるぐると体内の血液を循環させているECMOの透明の管の中を流れる血液のあまりの赤黒さに、そして当時ICUで娘の命の門番をしてくれていた執刀医の「…ちょっと次のことは考えられる状況にありません」という文言に、もうすぐそこに春がきていることなんかすっかり忘れて哀しくて、とぼとぼと小児外来の前を通って帰ろうとしていた。その時、ちょうど外来診療を終えて外来棟の廊下を歩いていた主治医に偶然出会い、それこそ飛びつくような勢いで

「先生、なんか最悪なことになってるんですけど…」

近くに寄ってそう話したのだけれど、外来のある日は必ずICUに娘の様子を見に行っていた主治医は普段と然程変わらない顔で声で

「あんなん病棟に戻ってみ、ものの数日で付き添い入院になるで、お母さん、もう準備しといたほうがええわ」

 あの頑丈な娘ちゃんがそんなヤワな訳あるか、油断せんほうがええぞと、当時のICUに静かに流れていた真冬のお通夜のような空気を軽く笑って一蹴してくれたもの。

 実際の娘は這う這うの体で小児病棟に戻った後、PICU(小児集中治療室)から付き添いの可能な一般病棟に移るまでそれなりに時間を要したのだけれど、それでも当時心不全から肝不全と腎不全を引き起こし、脳に何かおきたのではないか、将来的に自立歩行はできるのかといろいろを心配されていた娘は、今のところ心臓以外の臓器に大きな問題は抱えていないし、透析を必要とする状況が継続されるのではと懸念されていた腎臓は、幼稚園の尿検査にすらひっかからない。

 多分あれは「死ぬこと以外はかすり傷」「生きているなら及第点」を地でゆく現場の小児循環器医の直感のようなものだったのだろうけれど、そしてこの主治医は確かに本当にざっくりした性格で時折、血液検査のオーダーをし忘れるのだけど、極度の心配症の私が何をどう深刻になろうとしても

「そんなことあらへんやろ」

と言って笑うあの空気感は他では得難いと言うか、あれが無いといちいち深刻になりやすい私はすぐ辛くなるし、なんだか心身の不調に陥るのです。

 とは言え、普段の外来はこのままかかりつけ病院が継続してくれるのだし、ここで娘をちゃんと小学生にして、中学生にしてそれで

「移行期医療の時期までなんとか辿り着いて、それで娘を小児科から成人の診療科に引き渡すまではこの子のことを診続けてくださいよ」

私は一昨日の外来の最後、自分の気持ちを保つためにも景気づけのためにも多分この主治医にお世話になってから初めてそんなことを言った。そうしたら、たしか私の10歳程年上のはずの主治医は

「俺、多分生きてないで」

なんてことを仰った。そんなことあらへんやろ。

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