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魔女、旅に出る。

もし、魔女になることに決心がつけば、ただちにおかあさんから魔法を教えてもらって、十三歳の年の満月の夜をえらんで、ひとり立ちをすることになります。この魔女のひとり立ちというのは、自分の家をはなれ、魔女のいない町や村をさがして、たったひとりで暮らし始めることです。

『魔女の宅急便』角野栄子 

六歳年が離れているねぇねのお誕生日が近づいてきたここ数日、末っ子である六歳はなんだかそわそわしていた。

「お誕生日のごちそうは何をするの」
「ケーキはどこで買うの?」
「ケーキはチョコがいいんじゃない?(※六歳はフルーツのケーキが苦手)」
「あたし、ねぇねにプレゼントあげたいなー」

自分の上に九歳も年上の高校生の兄と、六歳年上の中学生の姉を持つ六歳はつい最近まで

『お誕生日には、ちゃんと持ち主がいる』

ということを知らなかった。だからいつも上の2人のお誕生日には自分も便乗して小さなプレゼントをひとつ貰い、それからケーキのろうそくも、ケーキの上の数字のかたちのろうそくの「1」と「2」があったらそのうちの「2」をフーッとさせてもらったりしていた。

そういう意味で「ねぇねの誕生日」を気にしているのだと思っていたのだけれど、「プレゼントをあげたい」と言い出したのは今回が初めての現象だった。年の離れた末っ子のことを「いつまでも赤ちゃん」と思っていたのが、段々そうでもなくなるのだねえと、なんだかしみじみした。

でもねえ、プレゼントと言っても、六歳は毎月決まった額のお小遣いは貰っていないし、お年玉を貯めているゆうちょ銀行の通帳はママが持っているし、机の上にあるブタさんの貯金箱にも、十円玉が何枚か入っているだけ。

「プレゼントはどうするの?作る?」

プレゼントを買うというよりは、折り紙でお花でも作ったりするんだろう。勝手にそう思っていたら土曜日、六歳はパパと一緒にスーパーに行き、パステルカラーのペンを何本かとゼリーみたいな色の消しゴムを買い、それを小さな袋に入れてリボンもかけて、その支払いをパパに任せていた。それから、ユニコーンのイラストの描かれている水色の便箋お手紙も書く。なんだかすごく張り切るねえ。

ねぇね おたんじょうびおめでとう げんきで ね

ん?

「ねえ、なんで元気でね、なん?」

私はこんな文言を手紙を書いている六歳の人に訊ねた、これではまるで別れの挨拶じゃあないの。すると六歳はやや深刻な顔で私にこう言ったのだった。

「だって、ねぇねは十三歳になるのやろ」
「ウン、十二歳の次は十三歳やしね」
「そうしたら、もうすぐ出発しやなあかんのやろ」
「どこに?」
「遠くの町」
「え?なんでッ?」

三秒程「この子は一体何のことを言うてんの」と考えた私が導き出した解が、冒頭の文章だった。魔女の宅急便だ。

『お母さんは魔女、お父さんは普通の人、そのあいだに生まれた一人娘のキキ。魔女の世界には十三歳になるとひとり立ちをする決まりがありました…』

それは福音館書店から一九八五年に出版され、一九八九年には宮崎駿監督が映画を手掛けたあまりにも有名な児童文学作品で、私は当時購入した本をまだ持っているし、映画も封切りの年に電車に乗って出かけた海のすぐそばの映画館で見た。当時の私はキキの二つ下の、十一歳。

私の娘達もこのキキ、少し生意気で元気で時々落ち込んだりもする十三歳の魔女のことを大好きで、ブルーレイレコーダーに保存してあるジブリ映画を「記録自体が擂り切れへんか」と親が心配するくらいヘビーローテーションで視聴し、角野栄子先生の原作も上の娘は自分で、六歳の方は私が読み聞かせて知っている。

でも六歳の娘には、ホウキで空を飛ぶ魔女のキキのことや、相棒のジジの可愛らしさは分かっても、お話しのスジというか、物語のカタチはちょっと難しかったのかもしれない。六歳の中で『十三歳で一人立ち』という言葉だけが独り歩きし、十三歳は家族との離別の年だと、本気で思っていた訳ではないのだろうけれど

(ねぇねが十三歳になるということはもしかして、いや、でもまさかね…)

ねぇねが自宅から遠くはなれた街に行ってしまうかもしれないということを、その可能性があるということを半信半疑ながら、どうやらずーっと密かに心配していたらしい。

「…一人立ちしてもらってもいいのやけれど、ねぇねは自分でご飯も作れへんし、お洗濯もしたことないし、怖がりで今も時々ママの布団の間に潜り込んでくるし、多分むり。あれはご本の中の話やからね」

私がそう言うと、六歳は「まあ、わかっていたけど、やっぱりね」と口では言うわりに、ほっと安堵した顔をした。そしてじゃあお誕生日のカードは「おたんじょうびおめでとう」って書くわと、さっきのお別れの手紙をビリビリとやぶいて捨てた。

子どもって、なんでも分かっているわと言う顔をして、実のところ現実と虚構を、物語と生活の境目をふわふわと行き来している生き物なので、時折こういうことを本当に言う。

よかった、十三歳になったねぇねが本当に次の満月の晩に立つとしたら、黒いワンピースとホウキは手持ちのがあるからいいけれど、今から大急ぎで相棒になる黒猫を探してこないといけない所だった。

さて、魔女の修行には出ないものの、それでも十三歳にはこれまでの誕生日とすこし違う、なんだか特別な香りが漂う。

自分が十三歳だったのはもう随分前のことで、その頃の自分が十三歳になることを、その年齢の持つ意味をどう思っていたのかは忘れてしまったけれど、魔女のキキが一人立ちをして、魔女の古いしきたりを「それってどうなの?」と考え、新しい場所で新しい人とのつながりを得て、自分の力で生きるすべを見つけてゆく、その旅立ちの日の年齢を角野先生は十三歳にした。

実際十三歳になるというのはどういう気持ちのするものか、思春期と聞いて、中学生であると聞いて、それがちょっと暗くて、重くて、お友達もあんまりいなかったなあという記憶ばかりが掘り起こされる母ではあるけれど、今日十三歳になる子がいま、十三歳になることを旅立ちを決めたあの日のキキのように思っていてくれたらいい。

「あら、そう。あたし、心配なんかしてないわ。心配はおきたときにすればいいのよ。今は、贈り物のふたをあけるときみたいにわくわくしてるわ」

『魔女の宅急便』角野栄子   

【出典】
『魔女の宅急便』角野栄子 福音館書店 1985年

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