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9月の動物園。

 聞けば、あと数時間の後、この世界には9月が終わるらしい。

 知らなかった、季節というのはどうしてこう勝手にやって来て勝手に過ぎてゆくのかなあ。うちの4歳は今日、幼稚園に行く朝、玄関扉を開けた瞬間に思いがけず涼しい秋風が家の中をすうっと吹き抜けていったことに驚いて

「あたらしい9月が来たねえ」

と、今ある9月は去年とは違う9月で、秋というものはいつも新しいの秋なのだと、大層リリックなことを言っていたものだけれど、よもやそれが足早に過ぎ去ろうとしているとは。今日の日はさようなら9月、明日からはこんにちは10月。

 大体月末になるとその月が一瞬で過ぎ去った気がして

「9月の私は一体何をやっていたのやろ…」

などと茫然とするもの。確か今月のほぼ半分を4歳の娘に付き添って入院していたような、いやその疲労困憊の日々の記憶はちゃんとある。今回の、9月の上旬から中旬にかけての入院はさして難しいことをする予定ではなかったものが、なんだか突然妙にややこしいことになってしまって、結局別の病院に紹介状を携えて4歳を連れて行く騒ぎになった。そして今月の末には夏中かけて準備していた自分の本が出版されて、今まさに私という存在が世に試されている所。それは嬉しいとか めでたいとかより、なんだかもの書きのスタートラインに押し出し式の生半可な覚悟で立ってしまった気のするもので、私は今この状況に心から慄いて震えている。今はそういう感じです。

しかし、楽しい事もあったはず。

 そうそう、この9月、私は子どもを連れて5年ぶりの動物園に行きました。4歳の娘が丁度お腹にやって来たか来てないかの境目、2017年の春に行ったきりの京都市動物園に。

 私の暮しているのは大阪で、京都には別にアクセスの悪い土地ではないというかかなり良い場所であるし、私は学生時代いろいろあって7年も京都の大学で学生をしていたので、その間はずっと京都の洛中に暮していた。それだから東山のあの周辺の土地勘も十分ある、行きたければ行けばよかったのだけれど。

 でも、最後に動物園に行った年の冬に生まれた赤ちゃんの、現在の4歳の入院だとか手術だとかあとはコロナ、ヤツのお陰様でちょっと電車と地下鉄に乗れば辿り着けるそこになかなかアクセスできないまま、時間ばかりが過ぎ去って行ってしまった。

5年も。

 あの春、ナマケモノのイラストの顔出し看板から「俺らは何してんねん」とウヒウヒ笑いながら顔をつき出していた8歳と6歳の兄妹は、それぞれに13歳と11歳になり、13歳なんかもう私より大きい。

 そして当時はまだひとつも人の形をしていなかった4歳は、京都市動物園にキリンの赤ちゃんが生まれましたというニュースを見て「キリンの赤ちゃんは卵から産まれるねん」と真顔で言う。それを可愛い勘違いやのうなど思いながら、私は少し焦っていた。

(流石に、そろそろ本物を見せてやらねばいかんのでは)

だから行きましたよ先週、ほんの少し暑さの和らいだ9月の連休に。11歳の娘と4歳の娘2人を連れて。13歳の息子は中間テスト直前だということと

「なぜ今更、俺がレッサーパンダを見て喜ぶと思うのか」

というご意見があったためにお留守番ということに相成った。そして夫は所用で不在。

 さて、小さな子どもを行楽地に連れて行く時、私は大体いつも緊張している。特にウチの4歳は循環器系の疾患持ちで、普段外出する時には酸素ボンベが必携品、それを収納しているリュックを含め計3㎏は常時私が背負うことになるし、4歳の娘はその病態のために長い距離を歩かせると途端に息が切れてしまう、駅の長い階段を自力で上り下りさせると覿面にへばるからだ。

 だからと言って今更、年中組さんでは真ん中より後ろの106㎝で17㎏の4歳にベビーカーはやや窮屈だし、そもそもそんなもの「あたしはおねえさんやもん」と豪語する4歳は決して乗らない。それでその日の朝、さあ今日は動物園に娘達を連れてゆくのだぞと決心した瞬間に

「…移動はほぼだっこやな」

そう呟いたひとことはそのまま予言となり、私は何とか違わずに電車を乗り継ぎ乗り換え、京都市動物園の最寄りの京都市営地下鉄東西線蹴上駅に辿り着いて地上に上がった瞬間、4歳から

「歩けない~抱っこ~」

の洗礼を受けたのでした。分かってた、知ってた。

 その日、京都の東山を流れゆく風は秋の清涼さ、関西のそれらしい少しつめたくてからりと乾いた空気が周辺一帯を包んでくれてはいたものの、夏の名残の日差しは夏のまま。昔々、アルバイトで派遣された蹴上のウェスティン都ホテルから上京区の下宿まで「交通費がもったいないやんけ」と、それを横目に見ながら自転車で必死に走った蹴上インクライン(琵琶湖疎水の傾斜鉄道)の脇の路を、よもや4歳の我が子と酸素ボンベを抱えて夏の日差しに体を焼きながらふうふう歩く日が来るなんて神様だって思わへんかったやろ。抱っこされている4歳はご機嫌で

「線路あるねーでも電車が無いねーなんかたのしいねー」

 なんて言うけれど、それどころやないねん、とにかく4歳がボンベが重たいのやわお母さんは。

 歩くこと約10分、やっとこさ見えて来た京都市動物園を、そこに来たのはもう5年も前のことになるのに鮮明に覚えていた11歳の娘は

「懐かしいねー、昔と変わらないねー」

と言って、当時は110㎝弱だった身長が今や150㎝、段々と大人に近づいて来た体躯を昔と変わらずピョコピョコ跳ねさせて喜んでくれた。よかった、見た目のすっかり大人びてきた11歳の娘に動物園なんて「つまんなーい」なんて言われるかもしれないと思っていたのだけれど。

 そして、やや遅ればせながら生まれて初めての動物園に足を踏み入れた4歳、その4歳は

「つまんなーい」

 それが第一声だった。なんやそれは、お前がか。

 子育てにこういう場面は本当に多い。だから落胆してはいけない。親の『生まれて初めての動物園にきっと目を輝かせてくれるだろう』なんて思惑は大体アテが外れる。

 よく考えてみればこの4歳は動物図鑑や『ダーウィンが来た』を見て盛り上がるタイプの子どもではなかった。その上昼に向って気温は段々と上がり、ニホンザルは日陰に団子のようにかたまり、トラは檻の中にゴロゴロして一向にやる気というものが感じられないし、ゴリラはお尻を向けてぐうぐう寝ている始末。もうちょっとイキイキしてくれないだろうか、みんな達。

 結局、4歳が一番喜んだのは動物園の中央にある小さな遊園地、というにはささやかすぎる『遊園地』だけだった。

 私が学生の頃からつい最近まで、長い間改修工事をしていた京都市動物園に今更こんな昭和の香りのする、デパートの屋上的な、うら寂しいパンダの乗り物が半音ずれた音楽とともにくるくる回る、そんなものを残しておくやろうかと思っていたら、それはほぼそのまま残っていた。私はなんだか懐かしくて嬉しくてつい

 「乗り物とか乗る?ふたつくらいなら乗っていいよ」

と言ってしまった。普段スーパーのゲームコーナーにある『100円入れて、揺れるだけ』の電車やパトカーを模した乗り物には意地でも乗せない母なのに。

 2人はいつもはえらい吝嗇家の私が突然大盤振る舞い発言をしたものでとても喜んで、11歳は観覧車に、4歳は遊園地のスペースをぐるりと2周する小さな機関車に乗りたいと言った。料金は前払いの古式ゆかしいコイン式。

 機関車には私と4歳と11歳が3人で、そして観覧車と言うにはあまりにも小さくておもちゃみたいなそれには4歳と11歳2人で乗ってもらった。観覧車には2人で乗ったらどうやろと言った時、11歳は

「ママは一緒に乗らないの?」

と聞いてくれたけれど、なにしろおもちゃみたいな観覧車のゴンドラは小さくて、子ども2人に大人の私が乗るとかなり狭くなるし、係の人も「こんなしっかりしたお姉ちゃんがいるねやし大丈夫や」と笑って言ってくれているから、2人で乗っておいでよママが下で写真を撮ってあげると言って、お空の上に送り出した。

 実はママ、うんと昔、これに乗った事があるんだよね。

 それは大学を院まで、修士は2年のところ3年かけてそれこそ這う這うの体で出た癖に、その後のことがちっとも決まらずに、さあどうしようこのまま定職につけず、不良債権的な人生を落伍者として終わるのかとすっかり哀しい気持になっていた冬のこと。ほぼ同じ状況にあった友人と、どうしてそうなったのかは覚えていないけれど多分やけくそで2人して動物園に行き、そして目についた観覧車に乗った。

「まあ氷河期やからな」

「氷河期やでしゃあないで」

文系の、それも私立の大学の大学院を出て何一つ先の展望がないという、自分達の人生の采配のまずさというのか世渡りの下手さを時代にせいにして嗤っていたような気がする。あれは鉛色の空の広がる冬の日のこと。頂上に登ったゴンドラから一体何の動物が見えていたのか、私は当時のことを全然覚えていない。

 だからゆっくりと観覧車一周の空の旅に出て地上に戻って来た4歳に、さあ窓の外から一体何が見えたやろかと私は聞いてみた。そうしたらそれは

「ママ!」

だそう。そうですか、キリンは?シマウマは?

 結局その日は、ゴリラの絵柄のついたカップに入ったソフトクリームを食べて、小さなシロフクロウのぬいぐるみを4歳に、両掌に乗る大きさのレッサーパンダのぬいぐるみを11歳に買ってあげて、私が一番見たかった生のレッサーパンダは

「そんなのぜんぜんつまんない」

と4歳がその観覧を全力で阻むもので尻尾のシマシマをほんの少し拝んだだけ。動物好きの11歳の娘はともかく、まだ世の中のよく分からない4歳の子と行く動物園なんてこんなものか、そう思いながら帰りも4歳と酸素ボンベ、計20㎏を抱えて駅までぽこぽこ歩き、すでに微妙に始まりつつある筋肉痛と関節痛と一緒に自宅に帰って来た。

 大体において親の思惑と言うモノは外れるものだし、子どもとのお出かけは疲労困憊、親は楽しいとか楽しくないとかそういうものではないのだ。ペンギンくらいしかまともに見なかった4歳は「楽しかったねー」と言っていたけれどそれ、ほんまやろか。

 それでも、あの観覧車がちゃんと私の知っている姿のまま、元のあの場所にあったことはとても嬉しかった。あれは京都に暮したことのある人には記念碑のような建造物であると私は勝手に思っているのだけれど、他の人はどう思っているだろう。

 昭和31年に作られたらしいかの観覧車、お元気でしたか、私はまあまあ色々ありました。

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