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6歳さん

さて、今からさかのぼること6年前の明け方の空の白む頃、うちの3番目、通称ウッチャンはこの世に生まれまして、それは見事な陣発から約4時間の自然分娩、生まれてきたご本人は出生体重3000g超えのなかなかに立派な体格で、今写真を見返すとその姿はまごうかたなきガッツ系、堅強そうなパンチ力強めの面立ちをしておられる。

のではあるけれどこのウッチャン、生まれる前から「最重度ではないのやけれど、確実に重度」と目される心臓疾患を抱えていたもので、3度目のお産と言えど産む方の私は、かつてない程の緊張と覚悟を持ってこれに挑んだものでした。

実際いざ「生まれます」という段になって、NICUから新生児科医のドクターがNICUのナースを二人お供に引き連れてみずから赤子を引き取りに来るなんて案配で、これまで健康については一点の曇りもない子をふたり育てただけの病児完全未経験の私としては、これからこの小さな(NICUでは相当な巨大児だった)赤ん坊を、私がこの手で無事に育てられるのだろうかと、その手の憂患ばかりがあったように記憶している。

それが12月8日、丁度クリスマスを待つ、世の中が赤と緑と金色に彩られた誰もがほんのり浮足立つような季節であって、産婦人科病棟の向かいの小児病棟にも子どもらを喜ばせようと賑やかなクリスマスの飾りつけがしてあった。でも生まれた子は出産後即NICUに連れて行かれて、搾乳すること以外は産婦人科病棟で出されたものをただ咀嚼するだけという日々を送っていた私は、それらをチラ見してもひとつも楽しいとは思えず

(出産前に先生は、最低3度の手術をして、それが上手いこと言えば、そりゃあフルマラソンをなんぼでも走るみたいなことはでけへんけれども、それでも普通に暮らせるようになるのやでと言うてはったやないの)

そういうことを脳内に反芻させつつしかしもう一方で

(ほんでも、治療途中に残念なことになるということも、ままあるのやわとも言うてたな)

という所謂最悪の事態のことを何度も交互にリピートさせて過ごしていた、そんな入院生活。そして丁度、今はもう12歳になっている真ん中の娘がそこの頃は幼稚園の年長さんの年齢で、丁度幼稚園の降誕劇で(キリストの誕生物語の劇)羊飼いを救い主の元に導く星を演じるというその当日がウッチャンの出産の日と重なり

「すまんのう…見に行けなくてねえ」

なんてしょんぼりがっかりしていた。この時真ん中の娘は大変優しい気性をしている子なもので

「いいのよ、気にしないで」

とは言ってくれたけれど、この普通より明らかに手のかかる妹が誕生したことによって、この真ん中の娘の人生とまでは言わないけれど、これからの生活ががらりと変わってしまうのだろうということもまた不安で、そこにはあまり新しい命の誕生の喜びというものは、あのキラキラフワフワしたものは存在していなかった気がする。

あれから6年ですよ。

6年の間にウッチャンは予定されていた3度の手術をあんまり無事ではないけれど、とりあえず生きて、乗り越えた。

その間に入院した回数延べ15…回くらい?ごめん忘れた(途中から数えなくなってしまった)。当初の見込みより心臓周りの血管の状態が悪いというか、予想図を遥かに超えてそれが複雑怪奇に入り組んでおり、しかし予想に反して心臓と肺以外の臓器がえらいこと堅強であるウッチャンが万端の準備をして挑んだ3度目の手術で、ウッチャンは予定通りの結果を得ることができず、ついでにちょっと死にかけて、何の因果か後頭部に生涯消えない楕円形のハゲまで作って、術後2年を経ていまだ医療用酸素と決別できないまま生活している、それが本日6歳になったウッチャン。

医療用酸素からの離脱については、一度国内では最高峰と呼ばれる病院にも「なんとかならんですか…」と調べては貰ったものの、いまだ外せる目処が立っていない。というか再手術をして、今ウッチャンの心臓の右側を貫いている人工血管を引き抜き(やめて)、さらに新しく外側にそれを通して繋ぎ直せば(やめてってば)

「それでまあ、なんとかなるかもしらんけど、相当難しいオペになるし、それをして更に悪化する事も十分に考えられるし、そんなイチかバチかのことに賭けるよりかは、今の状態を保って生活する方がまだマシちゃうか」

ということで絵にかいたような膠着状態。このまま医療用酸素をガラゴロと携えてかつ体が大きくなればなるほど低く、不安定になる酸素飽和度と上手く付き合ってゆかねばならないというのが今そこにある現実で、そしてもう既にこの手の疾患の子には珍しいくらい体格がしっかりとしていて身長も高いウッチャンは、最近ちょっと歩くと息切れが酷い、運動機能の発達と心肺機能の状態が全然そぐわないのだ。


ところでハナシは変わりますがついこの前、ウッチャンが在籍している幼稚園で件の降誕劇が華やかに催された。

ウッチャンの在籍している幼稚園というのは、この子の9歳上の兄も、そして前述の6歳上の姉も通っていた幼稚園であって、同じ幼稚園に通ったきょうだいが皆同じ舞台に立った、そのことに親としては感慨ひとしおではあったのだけれど、この時6年ぶり3度目の降誕劇でウッチャンが演じるものが

「あたし、マリア様やるのやで」

ということに私はとても驚いていた、というよりかは慄いたと言うか。

ウッチャンが演じたのは、この降誕劇の脚本の中で3人いるマリア様(場面ごとに変わるのです)のうち、夫・ヨセフと共にベツレヘムを目指す『旅のマリア様』。その小さな体にキリストを宿した6歳児のマリアが、更に同じ年の夫・ヨセフ役の子に

「からだは、だいじょうぶですか」

なんて労わられる様子は、例えばこの子の兄や姉の時に見にいった降誕劇ではただただ

「かわいい…」

という風に目に映ったものの、今回自分の娘がマリア(妊婦)であるという状況は、なにやら面映ゆくその上

「てことは、お腹におる赤ちゃんは私の孫ということで…」

という突然の孫フィーバーがやってくるなどして、なんだか自分が忙しくておかしかった。ともかく何度も死線を潜って来た子の節目というのはそれが何であれ感受性が普段の5割増しになるもの。その上6歳になったウッチャンはこの先まずは小学校入学を乗り越え、更にその先にある未来を踏破してゆく時には、その常人よりはるかに低く、医療用酸素の補助が必要な体で妊娠ということをできても、それを継続することが果たして可能であるのかどうかという課題にもいずれ向き合うことになる、今はそれを

「未来のことは分からない」

と誰もが言うにとどめているし、もしかしたらそれが劇的に改善することもあるかもしれないし、ないかもしれない。ともかく今後はそういうこともちゃんと考えて、伝えていかないといけない。

そういう子が救い主をお腹に宿してはりぼてのロバ(その中に酸素ボンベを入れていたのです)を引いている姿を見て、私はなんだか途方もない気持ちになった。

6年前「3度の手術を乗り越えれば、普通に近い形で生きていける」と言われた普通はいまだ遠く、もしかするとどんなに長い時間をかけてもあの頃に思っていたような普通を得ることはできないのかもしれないけれど、とにかく、ウッチャンは今日、無事に6歳のお誕生日を迎えた。

よく、子どものお誕生日にひとから

「どういうところが素敵なお子さんですか?将来はどうなってほしいですか?」

なんて聞かれることありますよね、ないですか?私はあるんですよ、それでそういう時の私はだいたい

「まあ、負けん気が強くて滅法気が強いところですね!見てください、この鋭い眼光!」

なんてついおちょけて(※関西弁でふざけるとかおどけるとかそういう意味)しまうのだけれど、本当のところこのウッチャンの大変にすてきなところは

「亡くなったお友達のことを、そこにいるかのように普通に話すこと」

だと思っている。いつも遊びにきてくれるじゃない?のような言い方で、まだそこにいるのじゃないのという文言で。

それはウッチャンのような病気のある子ども達の世界には決してなくならない運命のようなもので、この6年の間にウッチャンのお友達は何人も天国に引っ越していった。それが大抵の場合はあまりにも急なことであるので、大人は最初ただ驚き、その後に猛烈にやってくる寂しさをどうしたらいいものかと、しばらく放心してしまうのだけれど、ウッチャンはその天国に住まいを移したお友達がそこへ旅立った日を、もしくはその子の誕生日をちゃんと記憶していてそれをよく日常の会話に持ち出してくる。

「もうすぐあの子のお誕生日だねー」

それは人間の死を分かっていないのだろうとかそういう考えも、この子がまだ幼いものだから当然、あるのかもしれないのだけれど、今を生きている誰かが亡くなった誰かのことを忘れずにいつも思い出していれば、その記憶の連続性の中でその亡くなった誰かの魂はきっと永遠に近づいていく。

そしてそれがこの先、あまり言いたくはないのだけれど「死」というものを意識しながら成長してゆくウッチャンが担うことのできるものであって、そうすることで人よりも脆弱で特殊な心臓で生きていかなくてはいけない自分に上手く折り合いをつけられるのではないかと思ったりするのですよね、それはウッチャンを産んだ私の大変に勝手な推測であるのかもしらんのですけれど。

ともかくも、舞台でマリア様を演じた時のウッチャンは常に気合十分、あれではチアノーゼになるやろという真剣さで、よそのお母さんにも「マリア様、頑張ってましたねえ」というお褒めの言葉を頂く程だった。

あの気合でお産もきっと安産だったことでしょう。

ウッチャン6歳おめでとう、イージーモードとは反対側にある人生にはなってしまったけれど、ウッチャンにはできるだけこの世界で長くすごして欲しいとお母さんはいつも思っています。先に天国で暮らすことにしたお友達の魂を背負って、そうやってウッチャンにとってはちょっと大変なこの世界をできるだけ楽しく、笑って生きていこうね。


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