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わたしや、あなたが。
障害の『障』は差し障りの『障』であって、差し障りとは、ものごとを行うのに発生する支障だとか不都合のことを言うのですけれど、それはどこにおいて差し障りがあるのかと言えば、一般の社会という場所なのですよね。
健常な人達を基準として作られているのが『社会』であって、例えば身体のどこかが自分の意志では動かないとか、生まれつきもしくは出生後に身体の一部が欠けてしまったとか、世の中にある決まりごとを上手に理解できないとか、感情を制御できないとか、言葉を誰かに伝えられないとか、光を感じることができないのだとか、そういう人達には差し障りのある場所であるのが、普通の『社会』だったりするのです。
その『普通』を基準にした社会で、障害のある人達に対して、医療や機械や道具でもってできるだけ便利なようにフォローしましょうとか、だれか助けてくれる人に隣にいて貰いましょうとか、それを補い助けることは可能です。公共の施設にはスロープがあり、街には点字ブロックあがあり、多目的トイレもある、役所でちょっと(個人的にはちょっとどころでないけれど)ややこしい手続きを経て、移動の介助や、生活介助を頼むこともできる。
でも、特にその障害が先天的なものである場合、大抵はその人達の人生最初の「介助者」は母親であったりします。
勿論、お父さんがお母さんと同じ量の、いやそれ以上お子さんへの日常介助を行っているケースをわたしは知っているのですけれど、未だ「家庭内ケア業務」を任されている大半の保護者が女性側、母親であるので、ここはあえて『母親』を使わせていただけたらなと思います。
お父さんの人、今だけ、ごめんなさいね。
ところでわたしが人生三度目のお産で産んだ三番目の娘は、心臓に病気のある子で、生まれてから一歳半まで経管栄養といって、鼻から直接胃に細い管を通して、そこに人工乳などを注入して生存に関わるすべての栄養を摂っていました。
これは治療の過程で一番の命取りとなる肺炎を防ぐためと、そもそも食事をすること自体が彼女の身体の負担になるということから「経管栄養は一度目の手術が終わるまで」という期間限定のものだったのが、生後初めの手術を終えたらあら不思議
「赤ちゃんは吸啜反応をすっかり忘れ去り、それどころか嚥下すらできなくなっていました」
というもので、人間は飲み込むことをずっとさせていなければ、たった数ヶ月で生物として重要な生存条件たる「経口での栄養摂取」が出来なくなるのだなあと、当時のわたしは驚くやら呆れるやら。こうして野生を忘れた赤ちゃんは医療的ケア児となり、そのまま生後四ヶ月で、出生後初めての退院をすることになったのでした。
「お母さん、頑張ってくださいね」とサンタの袋くらいの大きさの退院物品、お家で医療的ケアを実施するための道具の諸々を持たされ、病棟を後にした春の終わり。
わたしには、やっと娘をこの子の父と兄姉の待つ自宅に連れて帰る事ができるという喜びよりも、「この子を一体どうやって育てたらいいのん?」という不安が体一杯に充満していて、物凄く待ち望んだはずの退院をひとつも嬉しいとは思っていなかったのでした。
健康なこの子の兄姉の育児経験はなにひとつ参考にならない、いつ何があるか分からない先天疾患の医療的ケア児、使えるヘルプカードは1週間に1回、1時間の訪問看護だけ。
この頃の娘は、1度目の手術で体に入った人工血管が、彼女の体にはやや太く、肺に流れる血液量が多すぎて、結果体に相当な負担がかかっているという状態でした。常に機嫌も顔色もすこぶる悪く、3時間毎に鼻から胃に挿入された細い管に、点滴に似た道具を取り付けて1時間程かけてゆっくりと人工乳を入れても、すぐにその大半をびゅーっと吐き出してしまうという大変に困った仕様の赤ちゃんでした。
そして人工乳をぽとぽと滴下で注入している間に、どこかが苦しくなるのか火が付いたように泣き叫び、泣いて腹圧がかかると胃の内容物がその点滴の道具、イリゲーターというプラスチックの容器にどんどん逆流してくるというオプション付き。しかも体は普通程度に動く子なので、ちょっと目を離すと鼻から入れている管を自分で引き抜くという蛮行を日に何度もやってのけてくれました。
3時間ごとに1時間かかる栄養注入、間に吐いて、その片づけをして、注入のための道具を洗って消毒をしたらたちまち次の注入の時間が来る。たびたび起こる自己抜去後の管の入れ替え。その上当時はこの娘の他に、小学1年生になったばかりの娘と、学校では問題ばかり起こしていた小学4年生の息子もいて、その子達の世話や食事の支度もありました。
娘が寝ている間に吐いて、吐瀉物を喉に詰まらせないか
娘が胃に挿入した管を自己抜去して気管に入ってしまったら
娘が寝ている間に心臓が止まったりしてたらどうしよう
不穏な「もしも」が頭の中にいくつも生まれて消えるはことなく、当時のわたしは一体いつ眠っていつ起きていたのか、楽しい事はあったのか、笑っていたのか、泣いていたのか、その頃のことをよく思い出せません。
とにかく、眠れなかった。
覚えているのは、人はフィジカル方面が極端な速度で削られてゆくと、たちまち死を慕わしく感じるようになるのだなということと、その頃の自分が、ややこしい小説も難解な専門書も、ちょっと入り組んだドラマも映画もなにも理解できなくなっていて、夕方ひたすら、再放送の『水戸黄門』を見ていたということばかり。
なんで水戸黄門だったのかはわかりませんが、とにかく当時のわたしの命の綱をどういう訳か里見浩太朗が握っていたのです。
そういう里見浩太朗が命綱の生活は、娘が1歳半の時、2度目の手術の後に突然終りを告げることになりました。手術終えて、新しい血行動態を手に入れた娘が猛然と食事をし始めたお陰で。
それが2019年の5月のことで、あの時わたしは病室の窓から見える初夏の新緑を見て、本当に久しぶりに「外の世界はきれいだなあ」と思いました
それから今日まで、今度は治療と低い酸素飽和度の補填、ふたつの理由で酸素濃縮器を自宅で使い、外では大きな酸素ボンベを使うという生活がずっと続いています、今のところこの治療に終わりはないそうで、娘の外出はいつも酸素ボンベとお母さんが一緒。
娘は今、現状出来得る限りのすべての治療を終えて小学1年生になりました。母親のわたしはいつかこの娘の手がすこし離れて、それで近所にちょっとだけでも働きに出るという夢を静かに諦めて、毎日娘に付き添うという生活を選んでいます。
それなりに大変なことではあるのですけれど、それでも日常のケアがもっと、いくつもいくつもあるようなお子さんのママのご苦労を思えば、絶望なんて言葉は、口にしたら多分バチがあたります。
そうしてもうじき娘が7歳、ですから娘との生活もとうとう8年目に突入するのだなあと思っていた一昨日のこと、吸痰ケアのある8歳のお子さんを置いて出かけたお母さんが、その子をおいで外出、結果死なせてしまって逮捕されたというニュースを目にしたのでした。
ネットニュースは見出しがとてもキャッチーで、しかし内容は文字数制限などがあってごく簡潔に書かれているので、読み手には大まかな事実だけが伝えられ、その事件の起きた細かな背景までは伝えてくれません。
でもこちら側の、日々医療にまつわるケアが必要な子どものある世界にいるわたし達は、医療的ケア児とは普段あまりかかわりのない人達の4000倍くらいの解像度で報道されたお子さんの状況と、お母さんの心中に起きたことを想像することが、割に得意だったりするのです。
時間毎の吸痰
時間毎の体位交換
訪問入浴
定期もしくは緊急の気管カニューレ交換
食事介助、もしくは注入
排泄のケア
薬の管理
リハビリ
通院
通学の付き添い
緊急時の自己搬送
緊急入院
その人は『自分』をどこかに置きざりにしたまま、ずーっと毎日、こういうことを8年間も頑張ったんだ。
障害児や障害者は親とセットで当たり前。
そうせざるを得ないのが現状であることは、わたしも障害のある子の親なので分かります。
でも親が、すごく治療の大変な疾患のある、治療後は複雑なケアのある、そして将来それがずっと続く、そういう子を愛して、その責任を全部引き受けないといけない、それがその子を産んだあなたの責任だよというのは、結局社会が障害者が生きる上での困難というものをないことにして、それをすべて親に押し付けていると、そういうことにならないですか。
さて、今から54年前の1970年のこと、横浜で2歳になる脳性麻痺の女の子をお母さんが殺してしまったという事件がありました。その時、今から半世紀も前のことですから預けられる場所もなく、夫は単身分中、諸々にどうしようもなく追い詰められて犯行に至ったお母さんの心情を慮って「減刑を」という声が世間のあちこちで起きました。でもそこで
「いや、それはおかしくないか」
と声をあげたのが、『青い芝の会』という脳性麻痺の当事者団体の方達で、彼等の主張というのは
「社会が親に愛情と責任という文言でもって障害児を家庭にすべて押し付けておいて、追い詰められた親がその子を殺せば今度は可哀想だと同情して減刑してほしいと言う、そういう社会で自分達は障害者を生きて、時々殺される、それっておかしいんじゃないか」
というものでした。
結局、当時の刑法で、殺人罪は3年以上の懲役を科せられるものが、検察は懲役2年を求刑。横浜地裁は情状酌量を認め懲役2年、執行猶予3年。
お母さんは、服役はしませんでした。
わたしはあくまでも「障害児の母親」の立場の人間なので件の、お子さんを置いて外出して結果お子さんを死なせてしまったお母さんを責めることはできないし、したくもないとは思うのですけれど、当事者の方々が言った言葉もやっぱり、今のところ障害者ではないけれど、この社会で生きている人間ですから理解はできるのです。
自分達がいつも殺される立ち位置にあるのは、どう考えてもヘンだろうっていうのは。
だから、この先は殺さないでほしいなと思います。
だれを
障害のある子を。
だれが
「社会」が、それを作り出しているわたしや、あなたが。
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