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けがの功名ってこと

かねてから、3人の子どもが骨折であるとか、何針も縫うような怪我とか、あとは池にうっかり落ちるなど、そのようなことになったことが無いということを、親としてはまあようやっているのではないかななんて、わたしはわたしをちょっと自画自賛していた。

のだけれど、土曜と日曜が子ども達の大騒ぎと共に駆け足で過ぎて行った日曜の夕方のこと、丁度ちびまる子ちゃんのエンディング曲の流れている時間に11歳の娘と一緒にテレビの前で遊んでいた末っ子の、5歳のウッチャンがこけて頭をテレビボードにしたたかに打ち付けたもので「ウチの子は大けがしたことないわ」なんていらんことは考えるモンではないなと思った次第、ああほら、もう言わんこっちゃない。

子どもが頭や体のどこかを強く打ちつけた時の痛みと沈黙の長さは比例する。

その時、丁度娘達がテレビを見ていたリビングと続きになっているキッチンにいた私は、ウッチャンがしばらく姉の膝の上でうずくまってひとことも発しないのを見て

(アーッこれは相当痛いヤツ!)

脳内で叫びながら駆け寄ってウッチャンの身体を抱き起し「大丈夫?痛い?」と聞くなどしたけれど、果たしてウッチャンの眉間よりやや右よりの眉上に長さ1.5㎝程度の裂傷、それ自体はさほど大きくはないものの出血量がもの凄くて

「ちょっ…タオル!タオル持ってきて」

わたしが叫ぶが早いかウッチャンの11歳の姉である真ん中の娘が春風のような軽やかさでハンドタオルを持って来てくれた、ありがとう流石の娘よ。ここから圧迫止血を約15分。

子どもって、どうして病院の開いていない時間と曜日にかぎってこの手のことをおこすのか、森羅万象にはわたしが知らへんだけで、そういう法則が存在してるのかしらん。

その後、痛いよう怖いようとわんわん泣くウッチャンを膝に抱えて、わたしが救急安心センター(#7119)などをスッ飛ばして、大学病院の救急外来、略して救外に電話をするという行動に出たのは、ウッチャンがそこの大学病院で生まれた心臓疾患児で、普段から抗凝固剤という血液が固まらへんようになるお薬を服用しているから。

これを使っている子は、うっかり鼻血を出せばそれがなかなか止まらへんし、タンコブはちょっとの衝撃でも恐ろしい程デカいのができて、ただでさえ出血しやすい頭部に裂傷やら切創なんか作った日には恐ろしいことになる、ていうか、なりました。あんなに気をつけろと言われていたのにおれときたら、ほんとうに。

大学病院代表番号に電話をかけてそれが繋がり「患者IDをどうぞ」から救急受付、救急外来看護師に順番に電話を繋いでもらい

「5歳女児、テレビボードで頭部裂傷、傷は幅1.5㎝、ワーファリン服用、HOT使用、酸素流量は0.5ℓこれがああなってこうなってこうです、これ一体どうすればええのですか」

わたしが状況を説明し、救外の看護師から当直の小児科医に支持を仰いだ結論は

「患児に特に嘔吐等なく、活気もあって、お母さんの圧迫止血で出血もひとまず止まっているようであれば、こちらに来てもらっても止血の状態を確認する程度の処置になります、様子見で良いんじゃないかと」

ということで、そうかほんならまあええのかな、本人も血が止まって痛みが引いたらまたスキップの練習に勤しんで(やめて)いることやしと、その日は額にキズパワーパッドを張るなどしてよかったね、これで大丈夫、のはずだった。

しかし、ウッチャンは先天性の心臓患児で、そういう子は元気に見えても、やはり健康な子よりもその体調が秋の空のように変わりやすく移ろいやすく、少しの異変も見逃してはならないもので、主治医には

「お母さんが『なんかヘンやな』と思ったら即病院に連れてきて、そんで何もないなら、何もないでいいやんか」

常日頃そのように言われているし、月曜の朝になってもウッチャンのバンソコの下の傷が固まらずそこにじんわりと血がにじんでいるのを見るにつけ

(これ…止血しきれてないのとちがうかな) 

と思ったわたしは、そーっとバンソコをはがして傷を確認した、そうしたら凝固しきれていない血液がじわじわと、しかし確実にぷっくりと内側から押し出されてくる、もしかするとこの傷、見た目よりずっと深いのでは。

それで結局、ウッチャンを自転車に乗せて大学病院に走ることになった、とは言えこれは裂傷での受診であるので、目指す診療科はいつもの小児外来ではなくて形成外科、そして予約なしで当日その場で受診希望をする場合はまず、総合受付で当日予約を願い出ることになる。

世界は少しばかりややこしく、そしてけっこう面倒くさくできている。

まあでも形成外科はウッチャンの手術後にお世話になったことがあるのだしと、当日予約をお願いした総合受付のお姉さんはパソコンの画面をくるくるとスクロールしながら

「形成は前回の受診から1年以上開いておりますので紹介状が無い場合、初診料がかかりますがよろしいですか」

など仰るではないの。え、なんですかそれ。

かつてこの病院のICUで後頭部に褥瘡ハゲを作り、手術で3度前胸部の正中切開をした瘢痕と、ドレーンと腹膜透析の刺し傷があんまりにもあんまりなので、これなんとかならんのですかと検査入院の際主治医に訴えて、小児外来から形成外科外来に回してもらい、形成外科の何だかトトロによく似た優しそうな先生に

「このてのハゲは、身体が成長しきってから縫い縮める他ないねんなあ」

など言われてからもう1年半、その記録が全てリセットされて初診料だなんて、ウッチャンはここで生まれて、ここで育ってるような子なのに。とは言えここはお金の問題ではない、傷は放っておけばその分治りが遅い、3度我が子の胸部切開を経験したのだもの、その辺は分かるのですよ。

と、すぐに思い切れたらよかったのだけれど、初診料はななせん…。

しかし傷は自力では閉じなさそうだし、今から形成だか整形だかの町のお医者さんを探してウッチャンの病歴病態禁忌薬品をイチから説明するくらいなら初診料なんて安いもんやないの…やす…くはないけどいやしかし。

長考の末わたしは「お支払い致しますわほほほ」と言いもって、1年半ぶりに形成外科外来のあるフロアにウッチャンを連れて行ったのだった(ななせん…)。

ねじ込みの当日予約は受診まで2時間ほど待ったものの、処置室に通されてウッチャンの額の傷を診た若いお医者さんはひとこと

「縫いましょっか…」

軽く絶望したような表情でそう仰った。青いスクラブの若いドクターはウッチャンが5歳で、赤ん坊よりは力のある年齢で、同時に小学生のような我慢のきかへんお年頃で、なおかつ面構えからみても病歴を考えても相当なパワーファイターであろうことを察知したらしい。大変に察しがいいです、正解です。それで先生は諦観の表情と共に私にこうも言ったのだった。

「ちょっと、看護師さんと、もう1人先生呼んできますね」

(こんなどう考えてもひと針縫うごとに大暴れしそうな子ゼッタイ無理やで、ていうか局所麻酔すら打つん厳しいやろ、だれかー!)

多分そう思てはるのやろなって表情で瞳の色で、一旦奥に引っ込んだ先生が再び戻って来るまで20分ほどの間、わたしは母としてウッチャンの説得を試みた。この娘を「大丈夫だからねー」とか「痛くないよー」などの凡庸な言い回しで丸め込むことは不可能だ、なにしろ生まれてから今日までの、処置室と手術室とアンギオその他の経験値が高すぎる。

こういう場合は事実を述べたうえでウッチャンに納得していただく他に道はないのです。

先天疾患があるなどして『病院』というものに慣れ親しんで育ってきた子は、大体そうだと思うけれど、テキトウに嘘なんかついて処置室などに放り込んだら最後、しばらく医療関係者への信用はがた落ち、親の株は大暴落した上、夜の校舎の窓ガラスを割ってその後、盗んだバイクで走り出してしまう(嘘ですよ)。

わたしはウッチャンが4歳になったころから、仮にその場では承服されなくとも、怒り心頭、大あばれしたとしても、事前説明からの承諾、英語で言うたらインフォームドアセンドというのを一応大切にしている、しているのだけれど。

「あんなあ、ウッチャン、ウッチャンのおでこの傷なあ、昨日血は止められたかなーって思ったんやけど、やっぱりちょっともカサブタになってくれへんし、さっきの先生がちゃっちゃと縫った方がええよて」

「イヤ」

「ウッチャンて、ワーファリン毎日飲んでいるやんか、あれは血が固まりにくくなるお薬やねん、それやからこんな風にお怪我をするとな、血が止まれへんのよ、血が固まらへんと傷がいっこも閉じひんのよな、だから、縫う」

「イヤ」

「もちろん麻酔もしてくれはるで、そん時だけチックンてして、あとはホラ、なにされても別に痛くないから」

「イヤ」

「だって、こんな傷がぱっくりいってたら、幼稚園にも行かれへんやん?」

「イーヤ!」

当然の結果として交渉は決裂し、当人の承服を得ないまま、ウッチャンは青いネットのついた固定版にぐるぐる巻かれて額の傷を縫合されることになった。わたしは処置室の外に出されて廊下の長椅子ですべてが終るのを待ったわけですが「ママー!助けてー!」「ママがいいー!」などいう咆哮が廊下どころか壁一枚隔てた、総合待合にも響きわたっていて

(処置室の子のお母さんはあの人ね)

のような視線を一身に集めてしまって若干居心地が悪うこざいました。ウッチャンは赤ちゃんのころからそれはそれは声がでかい。わたしのお隣に座っていたおばあちゃまなんて

「かわいそうねえ…お母さんも、心配ねェ…」

と言ってぽろりとひとつぶ涙をこぼしておられた、あんな年端もゆかない子がきっと中で酷い目にあっているのでしょうって。

「ええとあの、すごい大怪我とかじゃあないんです。ちょっと傷が閉じにくい子で、小さな傷をほんのすこし縫うだけなんです、麻酔だってしてもらってます」

ということはどうにも上手く説明できないわたしであるので、この優しいおばあちゃまの涙もわたしは「はぁ…えへへ」なんて曖昧に笑ってやりすごしてしまった。

「お母さん、終わりましたよ」

看護師さんに呼ばれて処置室の中に戻ると、額のぎりぎり見えるところの傷やからと、小さい傷であるわりに細かく傷を縫っていただいたウッチャンは「2度とくるかこんなとこ」なんて確実に腹の中に怒りを溜めた表情でちょこんと診察台に座っていたけれど、大変残念なことに1週間後抜糸のため再診となります。


さて次の日のこと、ウッチャンは小児外来の診察室の椅子に座っていた。

あの大騒ぎの形成外科外来の次の日が、ウッチャンの小児循環器科の定期通院日だった。その日の朝ウッチャンに「今日も大学病院に行くよ」と言ったら「ハァ?また」のような顔をされたけれど、これは予定の通院ですからね。

この日、診察室に入った瞬間、おでこのバンソコと電子カルテを交互に見た主治医が

「エッ形成外科?昨日?おいおい何したんや」

と言って驚いたことといったらなくて、それは要するに

「縫合が必要になるような傷やのに、受診日が怪我した翌日て、その間よう家で止血できてたな」

ということで、家具調度での頭部打撲は子どもにはよくあることやけれど、この子の場合は出血したらその後の始末が相当大変やし、それをお母さんがひとりでよう圧迫止血でけたなあと、わたしは褒められた。いやそれほどでも。

「で、どうしようか」

「それが、こういうことはこれからもあるやろし、やっぱり、残ることにしようかと」

この会話は一体何のことかというと、ウッチャンは前述の通り先天性の心臓疾患児で、今後の生存に関わるような大きな手術自体は3歳の時にもう終えているのだけれど、結局その後がいろいろと上手くいかず、いま現在も在宅酸素療法を続けているし、肺にもいくつか問題が起きていて、ここよりもっと専門医の多い大きな病院にうつるのはどうかと去年からずっとこの主治医と相談をしていたもの。

既にもう数回、別病院での受診を済ませていて、今後は専門医の多い方の病院で、現在起きている問題の解析と治療をし、将来のことを考えるとそのまま治療の拠点をむこうに移してしまうのがいいのではないかなと、わたし自身はそう思っていた。

現在のかかりつけである大学病院には主治医、内科の専門医である小児循環器医はいるのだけれど、何か突発的な問題が起きて外科手術となった時、ウッチャンの心臓をなんとかできる小児心臓外科医が退職されてもういない。一方の専門病院には小児心臓外科医など泉から湧いて出るように沢山…はいないやろうけれど専門チームが組めるくらいにはいらっしゃる、それなら。

ずっとそう思っていたのだけれど、何しろウッチャンはこの大学病院の生え抜きであるし、ウッチャンのこれまでを支えてくれた医療チームというものは、ふたりの主治医と別診療科の担当医、外来の看護師さん、病棟の看護師さん、各ケアユニットの看護師さん、訪問看護チーム、RTさん、MEさん、検査室の皆さん、リハビリの先生方、MSWさん、CLSさん、事務やレセプトの気の良いお姉さん方、ともかく気の遠くなるほど沢山の人々で構成され作り上げられてきたもので、そもそも5年もお世話になっている主治医はウッチャンの心臓のことなら隅から隅まで知っているのだし、それをまたイチからというのは、それもどうなのかなあとも思っていた、なによりも寂しい。そこにきてこの怪我。

(循環器科以外の診療科で救急対応をせんならん時は、どないするねん)

それを逡巡して一晩、わたしは決意していたはずのことを覆した、残る、残ります。

外科医が山とおる方の病院には今回の問題の解決と、今後起こりうる外科治療を大学病院の方から必要な時に依頼してもらうとして、普段はこれまで通り、ウッチャンの生まれ育った大学病院に通い続けることにした。

だから、先生も暫くはここにいますよね。

わたしは一番危惧していたことを主治医に聞いた、わたしより10かそれ以上年上の主治医がそう遠くない未来に全く外来を持たなくなって、病院の嘱託ですらなくなり、完全に大学病院からいなくなるだろうことが最も大きな転院の要因だったもので。そしてその返答は

「まだ大学に辞めろて言われてないし、俺がおるウチは、俺が責任をもって診るから」

ということで、ウッチャンは主治医が病院から勇退するその日まで、もとの病院にお世話になることになった。その後はまた違う場所に移るかもしれないけれど、この子の命に係わる事柄について「俺が責任を持つ」なんて親でもよう言わんことを言ってくれる人がこの先ウッチャンの人生に簡単に現れるとは思わない、ぎりぎりまで粘ろうと思う。あと先生、そういうのはね、早う言うてくださいよ。

額の怪我には慌てたけれど、そしてウッチャンは痛い思いをしたのだけれど、結構ながく悩んでいた事はひとまず解決に至った。先生が近い将来にウッチャンたち患児を手放してしまおうという心づもりでは無かったんだということも、分かったし。

けがの功名って、こういう時に使うのだっけ。

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