さよなら『ふつう』。
前回の『みらい』を、待ってる。の続きを書いてねと言われたので、調子に乗って書きました。おだてられると木に登るどころか天まで上がるタイプの人間なもので。
ええもう、お恥ずかしいです。
でもみらい君が退院して学校に戻ってくるお話しではなくて、ハルタが新しい学校の教室に初めて入った日に最初に出会った女の子、エマちゃんのお話しになりました。
どんなモブにも、ひとりにひとつ、その子の物語。
もしできるなら、ひとりひとりの物語を足して繋いで群像劇のようなものが書けたら、書け、書くます。
長い長い闘病を経て、一見、ふつうの子とだいたい同じような外見と身体機能を獲得した子は、生存を賭けた戦いのその後、ふつうの世界と自分の思っていたふつうの間に生じた齟齬みたいなものに苦しんだり、違和感を覚えたりしないのだろうか、そしてそもそも健康な人間としてこの40数年を暮らして来た私のふつうって何ということを書きました。
エマちゃんのモデルの1人はまだ2歳の私の末娘ですが、それ以外にも、いろいろなおうちの娘と同じか、または違う疾患のお子さん、それから今はもう立派に成人された元先天性疾患児の方々、それぞれのパーツを勝手に合わせて重ねて生まれた女の子です。
それ私やんウチの子やん、と思う方、ハイすみません、その通りです。
☞1
わたしが生まれた日、お母さんはこの子はきっと長く生きないと思ったらしい。
それはわたしが一切泣き声をあげないちいさなちいさな赤ちゃんで、なにより
「からだの色が真っ白だったの!赤ちゃんなのによ?お母さんびっくりしちゃって」
お母さんは「ねえ!その赤ちゃん白いんですけど!」って大声を出して、それを聞いた助産師さんは驚いて私の事を取り落としそうになったったらしい。
それで小児科のお医者さんのハラ先生は、寝入りばなを電話で叩き起こされてこけつまろびつわたしのいたお部屋にかけ込んで来て、うまく呼吸の出来ていない赤ちゃんのわたしの喉に酸素を送るための細い管を差し込んだらしいんだけど
「あの時は、エマちゃんがあんまり細くて小さくて、実は俺は手が震えてた」
というのを、最近聞いた。良かった、赤ちゃんのわたしが無事で。
でもあの時、生まれて初めて、お母さんよりお父さんより先に私と顔を合わせたハラ先生はそのままずうっと、私の先生。
5年生になった今も小児科の定期健診で会うたびに、もうそれ家でもふだん着にしてるでしょ?って思うくらい毎回着ている病院の青い服に白衣をひっかけたカッコウでわたしの手を取って指先の色を確認しながら
「いやぁ、エマちゃんは大きくなったなぁ、俺が挿管した時はこれっくらいしかなかってんで」
にこにこしながらそう言って、それからてのひら2つで赤ちゃんの形を作って見せるけど、アレ、少し前は仔犬くらいの大きさで今は子猫くらい、年々小さくなっていっている気がするんだけど、先生、疲れてんじゃないの?それとももう老眼?大丈夫?
☞2
それでわたしは生まれてすぐ、病院の中の小さな赤ちゃんだけが集められている部屋でしばらくの間育てられる事になった。なにしろ、心臓の形は変だし、自分でまともに息もできていなくて、身体の中の血管や、内臓の部品にないものがあったり、別にいらないものがふたつついていたり、とにかくもう何もかもめちゃくちゃだったから。
このままだととてもおうちに連れて帰れない、少しずつ手術して退院できる状態に近づけましょうと小児科のえらい先生から説明をうけてお母さんは
「エマのために可愛いピンクのベビー服とか小さい哺乳瓶とかをすごく沢山用意していたのに、ほんとうにがっかりしちゃった」
らしいけど、わたしのことを(というわけでこの子のことはお前にまかせた)とその小児科のえらい先生に小声で言われてしまったハラ先生は
「この子の心臓と体をどうしたら何とかなるのか、いいアイデアがぜんぜん浮かばない…」
って思って『がくじゅつろんぶん』を自分の机の上に山積みにして頭を抱えたらしい、何それ、なんとかしなさいよ。
でも、私が生まれてから、実際に病院を出て何とかおうちに帰る事ができる体になるまで、3年もかかってしまったのだから、その時のハラ先生の言葉と気持ちは本当の事なんだと思う。
その3年の間に、ハラ先生は病院の中でちょっとだけえらくなって同じ病院の『ますいか』の先生と結婚して赤ちゃんができた、男の子の赤ちゃん。
そして私はその3年の間に10回手術をしてそれで自分の力で息ができるようになって、口からご飯を食べられるようになって、酸素を吸うための鼻のチューブは今もついたままだけれど、歩けるようになって、あとは病院で一緒に暮らして仲良くなったお友達を何人か天国に見送った、ばいばいって。
だから私が大きな酸素ボンベと山盛りのお薬とたくさん荷物の入ったトランクと一緒に初めておうちに帰る日、病棟で一緒だったお友達のお母さんたちは
「みんなのぶんもきっと元気でね」
おそとで精いっぱい生きてねと言ってくれたけど、ハラ先生は
「エマちゃんの身体は沢山手術した今も普通の子とはちょっと違う作りに出来ているから、とにかく風邪と肺炎には気を付けて、これからも入院して残りの手術をしながら、あとはゆっくり外の世界に馴染んでいこう」
そう言って見送ってくれた。そして、私は初めて家に帰ったそのつぎの週に熱を出し、救急車に乗っていとも簡単にあっさりとこども病棟にもどった。
それからは、手術で何とかしたはずの心臓の弁がおかしくなったり、今日は元気だよと思って病院の定期健診に行ったらハラ先生がレントゲンを見て即、超青い顔になって「今すぐ入院…」って言いだしたり、いつも『ふぐあいとふちょう』つづきで結局、小学校2年生の途中くらいまでは病院のベッドの上で雲の形ばかりみて暮らしていた、だから
「身体も循環の状態もかなり安定してきました、様子を見ながら小学校に通学してみましょうか」
ハラ先生がお母さんにそう言った日、いつも「エマのおかげでたいていの事ではもうおどろかないし泣かない」というのが口ぐせのお母さんは泣いていたし、私もうれしかった。
これで私も『ふつう』の子みたいに学校にいける?ハラ先生やこども病棟のお友達のお母さん達が言っていた『ふつうの子』みたいに?
こども病棟の友達は0歳の子も15歳の子もいて年も病気の種類もバラバラだけどみんなとても仲良しだったし、院内学級にもいろんな子がいて大好きだったけど、まわりの大人があんまり
「エマちゃんは、きっとふつうの学校でふつうに勉強してふつうの大人になれるよ」
と言うからわたしは『ふつう』ってすごくいいモノで、楽しい事なんだろうなと思っていたんだ。
☞3
はじめてふつうの小学校に行った日、季節はもう秋で、校庭の桜の木の葉が黄色になって赤くなってそれから落ち葉になってしまっていた。
退院したのは夏だったのに。
「すぐそこの小学校に行こうとしたら、いろいろ『条件がおりあわない』とか言われて夏休みを超えてさらに秋のなかばになっちゃったのよ」
お母さんはその事で相当、怒っていた。
お母さんの話しをかいつまんで言うと、私はどんな学校にいくのにしてもいろいろな『条件』が中途半端な子だったらしい。
そんなこと言われたって、わたしはわたしよ。
それで、お母さんのひと苦労を乗り越えて転入した『ふつうの学校』、とりあえず私は酸素をいつも吸っていないと苦しくなるのは治らないので、酸素の為の機械を、これ、小さい冷蔵庫みたいな形のものなんだけど、それを特別支援教室のスミにおいて、教室の移動はピンクの酸素ボンベを持って、そうやって学校で過ごすことにしましょうと言われて、だったら院内学級の方がにぎやかでよかったな、と思ったら。
わたしは『特別支援教室』の子だけど、2年1組の子でもあるということらしい、クラスの子達と勉強するときと、別の教室でひとりで勉強するときがあるんだって。
でも、その2年1組で転入あいさつをしたその日は、さいあくだった。
まずみんな、私の鼻についている酸素のチューブ、カニュラというのだけどそれをめずらしそうにながめて
「お前それ何つけてんの?」
「酸素ボンベってなに?海にもぐるの?」
「なんでそんなに背が低いの?」
わたしはその時初めて、クラスの子たちが体になにもつけていない事に気がついてびっくりした。こども病棟で暮らしていた時は、何もついていない子の方がずっとめずらしかったから、例えばわたしが病棟用の大きな酸素ボンベをガラガラ引いて歩いていても、廊下ですれ違う車いすの子がそこに点滴棒を刺して点滴のパックを何本もぶら下げていても、隣の友達の喉に穴があいていても、それがふつうで、お互い特に気にしたことなんか全然なかったのに。
ここでは酸素ボンベを持っているのはわたしだけ、そして病気のせいで体がちいさいのもわたしだけ。
それからもっとびっくりしたのは先生が
「エマちゃんは、病気で走ったり跳んだりすると体に良くないので体育は見学です、みんな『ずるーい』とか言わない事!」
そう言った事、その時わたしはもう驚いて先生の顔を3回くらい見返してしまった、何にそんなにびっくりしたかって、ここにいる子たちは走ったり跳んだりすることが全員出来るんだってことと、それより何より『ずるい』って、何?
わたしはずうっと病院で病気の子とばかりすごしてきて、その日、自分の人生ではじめて、自分が全然ふつうの子じゃない事に気がついた、ううん、知ってはいたんだけどはっきりわかってしまったというか。
☞4
でも、せっかくお母さんが頑張って通えるようにしてくれた学校、病棟のお友達のお母さん達ががんばってねと言っていた学校、お父さんはどんなに忙しくても車で校門の前まで送ってくれるし、毎日3人くらいに「それ何持ってんの?は?さんそ?」とか「今日の体育もやらないの?」とか言われるのはめんどうだったけどそれでも頑張って通おうと思った、3年生の途中まではね。
でも、ある日、クラスの男の子が、私の酸素のホースに足を引っかけて転んで、それで
「あ、ごめんね」
と言ったら、その子が
「お前のコレ、邪魔なんだよ、何とかなんないの?」
って言って、まあそれ位は仕方ないかな、だって私のものにつまずいたんだし、ゴメンねと思ったけど、次の言葉がイヤだった、すごくすごく。
「そんなさあ、病気なんだったらそういうヤツばっかりのとこに行けよ、持久走も走らないしずりぃんだよ」
そう言ってその子が酸素のホースを思い切り引っ張ってきて、だから私は、おかえしにそいつの顔をぶん殴った。
医療用の酸素ボンベで。
あれは重くて固くて、やわらかいケースにいつも入れているけどそれでも十分、武器になる。
そうしたらその子、わたしより頭ひとつぶん大きいくせに「いてぇよ~!」ってワンワン泣いちゃって、はぁ?ひとのこと思い切り引っ張っておいて何?これくらいが痛い?開胸手術のあとの骨の痛みの方がずうっと痛いよ!何にも知らないくせにばっかじゃないの?そんな風に大声で言いたい放題言ってやった「あんまり大声だして暴れたりしたら息が切れて苦しくなるからな」とハラ先生から言われていたけど、かまわないと思った。
そうしたら職員室から担任の先生が飛んできて
「どっちが先に叩いたんですか!?」
先にわたしを引っ張ったのはあっちなのに叩いた方が悪いんだって。
ああわたし、こんなところ大嫌い、ふつうの子、みんな一緒に、みんなで同じに、なんて、出来る訳ないじゃない、私はふつうとは違うんだから、それって努力してガンバロウとか、やらないからずるいとかそういうことじゃないんじゃないの。
ばかばかしい。
その日、わたしは学校をやめた。
☞5
『学校やめる』
そんなふうに学校のみんなの前で宣言なんかしなくても、この『酸素ボンベで顔面パンチ』事件があった日の夜、わたしは何故だか高熱を出して顔色が真っ赤になったあと今度は真っ青になって夜中に病院に連れていかれてそのまま入院、またしばらく学校どころか病院の外に出られなくなってしまった。
いつもどおり「すぐ病棟に上げて」と言われて連れて行かれたこども病棟の処置室で、私の左腕に点滴のルート、これは点滴を着けて外せる便利なヤツ、それを刺した後、そのルートが外れないようにテープと包帯でぐるぐる巻きにしながらハラ先生が
「血液検査して何の熱か様子見るか、あとエコーとそれからレントゲン、呼んできて」
めずらしくちょっとキビシイ顔をして看護師さんにいろいろ頼んでから、ふっと顔を上げたと思ったら、今度はにやっとして
「エマちゃん、男の子と喧嘩したんやって?」
そう言って向かい合って座っている私の顔を覗き込んできたので、わたしは
「ねえ先生『ふつう』ってむずかしいね」
と言った、ふつうってむずかしいね、わたしにはできそうにないよ。
そうしたら、ハラ先生は私の顔をじぃっと見て、それからふうっと息を吐いてから
「…そうだなあ、先生は生まれたその日からエマちゃんを診てるからなあ、去年の手術の後、あの細くて小さくて自分の力では息もできなかった赤ちゃんがまさかふつうに学校に通えるようになるなんて本当に奇跡みたいだと、俺は思っちゃって…」
なんか、ごめんなとハラ先生は言った。
へんなの、ハラ先生はなんにも悪くないのにね。
それで、色々検査をした後、わたしが点滴をして病室のベッドでうとうと眠ろうとしている時に、お母さんとハラ先生はこんな話しをしていた、2人とも私が眠っていると思ったみたい。
「数値的には感染症と言うか…細かい結果はまた明日に、まあ、元々循環にかなり問題のある子ですから…あ、今、鎮静してます」
「先生、私、この子が学校に通って普通の子みたいにどんどん何でも出来ようになってくれて嬉しくて、あんな入院ばっかりしてたのが嘘みたいだなあって、浮かれてて…生きててくれたらそれでいいのにね」
いつもは大体ハラ先生とへんな冗談みたいな事ばっかり言って、お母さんやめてよってわたしが怒るくらいゲラゲラ笑ってばっかりいるのに、この時、お母さんは泣いているみたいだった。エマ、ごめんねって。
へんなの、お母さんはなんにも悪くないのにね。
☞6
次の日から、わたしはまた院内学級の生徒に逆戻り、と言っても、ハラ先生が
「なんかな~エマちゃんに昔入れた人工血管1本入れ替えたいねん、1本だけ!」
ずっと前に体に入れた血管のひとつがもうわたしの体に合ってないから、この入院中に入れ直したいとか言い出して、ええまたぁと文句を言った、ハラ先生は知らないと思うけど、手術の後すごい痛いんだよねえ切開した骨が。
「スマン!俺にもうワンチャンくれ!」
そう言って拝まれたからしかたなく手術は受けた。手術の後はいつもそうだけどわたしは全然動けなくなるから、院内学級から先生が病室に出張してくれたり、具合が少し良くなっても車いすでわたしが教室までデリバリーされてすこしの時間勉強して、あとはやっぱり病棟の窓から雲の形ばかり見て過ごしていた。
そう思ったらふつうの学校は校庭が窓から見られて良かったな、あの校庭の木、もう花が咲いたかな、さざんかの花。
学校、やめちゃったからもう行かないけど、わたしはこれからどうするのかな。
昔、天国に行っちゃったお友達のお母さん達は、お別れを言いに行ったときにみんな
「エマちゃんはあの子のぶんもね」
そう言ってわたしをぎゅうっと抱きしめてくれたけど、あれは『生きてね』ということなんだよね、でもね、意外と外の世界でふつうに生きるのは大変だったよみんな。
「乗り越えてきたシュラバは数知れず」とまわりの大人たちが言うこのわたしも今回ばっかりはさすがにちょっと落ち込んで、雲を見てため息ばっかりついていた。
そしたらある日、病室に変なオジサンが遊びに来た。
☞7
そのオジサンがお母さんと一緒に私の部屋に入ってきた時
「お医者さん…?にしては様子がへん」
と思った。ジャケットとネクタイ。ハラ先生もたまにそんなカッコウで病棟に来る時もあるけど、なんていうか、ブルーのジャケットにシャツが白黒の細いシマシマ、ネクタイがパンダの柄であと履いてる靴下がペンギンの柄、なんかすごく変、ハラ先生がそういうカッコウの時は大体白のシャツにネクタイはじみな水玉かシマシマだし、靴下は普通に黒だから。
わたしがヘンな顔をしていたら、そのオジサンはこう言った
「こんにちは、エマちゃん、僕は君が退院したら入学する学校の校長先生です」
と言ったのでわたしは驚いてお母さんの方を向いて叫んだ
「お母さん何どういう事?わたし退院したらまた学校に行くの?」
なにそれきいてないけど。
あの緊急入院の日の晩「生きててくれたらそれでいいのにね」と言って泣いていたお母さんは、ひと晩だけうんと落ち込んでお布団の中でわんわん泣いて、次の朝、ガバっと起き上がり
「ふつうの学校がエマにウケなかったんなら、ふつうじゃない学校を探してきたらいいんじゃないの!?」
という事を思いついたらしい、わたしはお母さんのこういうところがわりと好き。
でもそういう事、勝手に決めてこないでほしい、お母さんはいつもこう、可愛いのがあったから買ってきちゃったってピンクの洋服ばっかりたくさん買ってくるし、私は水色が好きだって言ってるのに。だいたい前の学校だって近いからって決めてきちゃって、そういうのわたしにはもう無理っていったよね?『エマちゃんは組体操も持久走もやらなくていいなんてずるいよね』とかもう影でこそこそ言われたくないの、わたしは。
だから、その『校長先生』に言ってやったんだ
「わたしには、ふつうの学校のふつうの子になるのは難しいんです、出来ない事がたくさんあるし」
「うん、そうだねえ」
「だからって、そういう事をみんなの前で説明して『そういうこと、わかってください』って特別あつかいをお願いするのは大嫌い、だいたいわたしは好きで病気なわけじゃないんだから」
「それは、よくわかるよ」
「校長先生の学校はどんな学校でどんな子がいるの?持久走やる?それでそれに参加しないとずるいぞって言われない?」
わたしはちょっと怒っていると「エマちゃんは怒ると早口になるよな」とハラ先生もいつも言うけど、早口で校長先生に訴えた、わたしはふつうの学校なんてもうこりごりなんだよということを。
そうしたら校長先生は腕組みをして、すこし天井の方を向いて考えてから、こう言った。
「僕の学校はねえ…今、作ってるんだ」
「あと、生徒は今のところ君が1人目かな!」
学校を今?作ってる?私が1人目?何言ってんの校長先生、あたま、大丈夫?
「君が1人目の生徒だから、君が出来ないなら持久走はしないよ。それと、今、入ろうかなって言ってくれている子も、持久走はできない…子が多いかなあ、色々な子が来る予定なんだ、君みたいに酸素ボンベを持ってくる子も、車いすの子もいるし、体は健康で元気なんだけど、君の言う『ふつうの学校』がどうしても駄目だったっていう子もいるから、僕の学校の『ふつう』は、今から学校に入学してくれる君たちが作ることになる」
「ふつうって作れるの!?」
「そうだよ、今のところ、僕の学校のふつうは『ふつうの子がひとりもいない』っていう事かな」
わたしはふつうって、わたしが生まれるずうっと前から世界にあって、それに自分が無理やり合わせないといけないものだとばかり思っていたから、だから、前の学校ではそういうところがすごく苦しくて、いごこちが悪かった。
なのにこの校長先生は『ふつうを作る』んだって、わたしはそんなこと、考えた事もなくてびっくりして、それから、ちょっと安心した、だから
「じゃあ、入ってもいいと思う。でも、退院は桜が散る頃になるかもしれないから、それまで待っててくれる?」
そう言った。遅れてしまったからって仲間外れにしないでねって。
「うん、春だね、校庭はあんまり広くないけど花壇に花を沢山植えておくから」
「楽しい学校、作ろうね」
校長先生は優しく笑って、待ってるよと言った。
わたしは退院する日が急に楽しみになって、それでこう思った。
ばいばい『ふつう』。わたしは新しいふつうをみんなで作ってみるよ。
それでわたしは、その学校に4年生の1学期、新学期に1ヶ月だけ遅れて入学して、今5年生になる。
新しいふつうは、今まだみんなで作っているところ。
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