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夫の左目は今日も見えない①

1・不幸に馴れること

「いろんな嫌な目にあった。たとえばやくざが何人かホテルにずっと泊まりこんでやりたい放題をやった。法律にひっかからない程度に。おっかないのがロビーにじっと座っているとかね。そして誰かが入ってくると睨むんだ。わかるだろう、そういの?でもホテルの方はなかなか音を上げなかった」
「わかるような気はするな」僕は言った。いるかホテルの支配人は様々な種類の人生の不幸に馴れているのだ。多少の事では驚かない。
【ダンス・ダンス・ダンス 村上春樹 1991年 講談社】

『人間は不幸にある程度馴れる事ができる』

夢も希望も明るさも何も無い人生訓だが

わかる。

わかるぞ春樹これに関しては。

逆に人間、魂が飛ぶような幸福の渦中に居続けるとだんだん居心地が悪くなる。

特に私はその手の人間で、楽しい事、幸運な事が立て続けにおきるとだんだん不安になってきてしまう。石油王に求婚されるとか、松重豊が食事に誘いに来るとか、ハイアットリージェンシーのインペリアルスイートで白金バースディパーティーとにかくそんな『普通ないやろ的僥倖』そういう場所に安住することができない、何か後から手痛いしっぺ返しがくるのではないかと思ってしまうのだ。

ある朝、突然頭上に隕石が落ちてきて自宅全壊とか、大恋愛の末に結ばれた伴侶が実は某国のスパイで命を狙われたとか、50億円の借金の保証人になったら当の債権者が雲隠れしてその挙句公園住まいとか、その手のドラマティカルに壮大な不幸、ここまで行くと災害か、そんなものに見舞われた事は無い人生だったが、いやまだ人生折り返し地点だから無いとは言い切れないが、出たネガティブシンキングタイム、とは言え地味で小出しの不幸みたいなもの位なら少量の毒に耐性ができるように効かなくなる。

勿論、人がそうなるまでにはそれなりに道程というものがあり、その過程というものがある。

人に歴史あり、そして人はそこから転じてやけくそ的に明るくなる。

恐るべき思考の化学変化。

またの名を人生の投げやり。

私に限らず人というものはしぶとい。そして何だかんだ言って屈強だ。

2・投げやり前夜

夫は私より3歳若い。

と言うことは私が、過去、白亜紀レベルに遥か昔高校生だった時分は中学生だっだ訳で、そして縄文期に入る程度の昔、初めて出会ったその時私は社会人で夫は大学院生であったという事だが、もうお互い不惑前後という年齢になった今、だから何だという印象しかない上、夫は初めて出会った22歳の頃から

「40歳、妻に2人の子どもがおります、ハイ」

みたいな老け顔で、事実就職して1年目に社用で出向いた信用金庫で、共に行動していた同期の上司に間違えられたどころか、どこの御大がいらしたのかと支店長が慌てて奥から転がり出て来てしまったという伝説を持つ。

そして更にはおなかがディズニーのあの愛らしい黄色いクマの持つ流線形を年々模してきていて平たく言うとデ…止めようあまり自分の配偶者についての詳細をつぶさに暴露するのは。

そんな全然年下の亭主のご利益というか役得の無いタイプの夫で、こんな事を妻がPCのキーで綴っている目の前でニコニコしながらおばあちゃんのぽたぽた焼きを食べている。知らぬが仏とはこのことだろう、すまん夫、ごめん夫。

その夫は、30を少し出た頃に突然、視界が濁るというか白っぽくて良く見えないと言い出し、慌てて受診した眼科で

「若年性白内障」

という診断を受けた。それも両眼。

「白内障っておばあちゃんがなるやつやと思ってたけど、俺もなるんやな~」
「おじいちゃんもならはるやろ」
「手術怖いな~」
「目の手術で人は死なんて、パパって老け顔の上に罹る病気までお年寄りやな…」

夫婦揃って、そんな妙な関心の仕方と変に余裕な態度で居られたのは、白内障が比較的簡易な手術で完治するものだからで、とは言え、両眼にレンズを入れた状態であと天寿を全うするその日まで生きるのだから眼を大切にね、と言っていたその1年後、朝起きたら夫が。

「ね~ママ~、左目の半分の視界が真っ暗でなんか見えないんやけど~」

そう言いだして私は白目を剥いた。

見えないって、見えないって何や夫。

あとそんな衝撃の事実を歯磨きしながら伝えてくるな。

3・節子それは角膜や網膜ちゃう

夫の左目は網膜剥離だった。

その事実を、それは一大事だと、受診の予約を横入り的に無理やり入れてくれた夫のかかりつけ眼科医の語尾がいちいち可愛く私より3倍はたおやかなK先生から聞いた時私は

アンタいつからボクサーになったんや、ジョー。

そう思ったものだった。

その時の私の眼科医療、というか網膜剥離の知識とイメージはそこにしかなかった、辰吉や辰吉丈一郎や。

しかし勿論、前述の通りのふくよかな腹を持った夫はボクサーになった訳でも、それで相手ファイターの右ストレートで顔面を強打した訳でもなく

「夫君はね、長い事アトピーアレルギーと花粉症で目を強く掻いてたでしょう?癖だと思うんだけど~そういう人はどうしても網膜がもろくて、体質もあるけど、兎に角ちょっとした衝撃で剥離する事があるの、あと体質と」
「割と広範囲ではがれてるから急ぎましょう、僕が執刀しますからね!」

院長で主治医のK先生の特別な計らいで、言い忘れてたけどこの人は男性でいつもいつでも語尾がかわいい、受診からの翌日手術となり、そうなると高額医療費申請が全く間に合わず、事前申請に滑り込めたら支払い上限8万(当時)で済むところ、これは今でも覚えているが¥247900(税込)を慌てて銀行から引き出した、丁度子ども2人が小学校幼稚園と入学入園だったこの時、とてもかなり手痛い出費だったが背に腹は代えられない。

そして、手術となれば、30過ぎとは言え、夫も私の配偶者で子の父で同時にひとさまの大切の息子、夫の実家にも連絡するべきかと

「こういう事情で夫さんが網膜剥離の手術です。明日です」

そう連絡を入れたら、夫の母は、この義母が橋田寿賀子先生がお書きになった脚本を元に会話しているのかもしれないと思える赤木春江で幸楽的なお義母さんで

「その病院、大丈夫なの!?」
「何食べさせてたらそんな網膜剥離とかになるのよ?」
「レーザーで剥がれた網膜を貼る…?移植とかあるんじゃないの?」

伝えた事実について万事この感じで、その当時、息子は小1、娘①は幼稚園の年少、そして今現在2歳の娘②はまだ生まれていなかったが、その2人を傍らにまとわりつかせながら電話をしていた私はその説明というか説得に骨が折れた。大体約1時間。お義母さん、院長先生は信頼できる方です、そして網膜剥離は何か食べてなるものではないです、それと移植で何とかなるのはそれは網膜やない、角膜や節子。

そんな春江もとい節子もとい、義母を説得した翌日に実施された手術は予定を1時間程超過したものの、3時間程で終了。執刀した院長先生から、剥がれた網膜はレーザーにより貼り付けられ、眼球には特殊な医療用のガスを吹き込んでしっかりと患部が接着くようにしましたと説明を受け

「それで、おウチに帰ったら寝る時も起きてる時もゼッタイ伏臥位で下向いてね!1週間はそれで頑張って!」

いつものキュートかつフェミニンなノリで術後説明を受けたがこれがまた大変で、何と言っても人間、伏臥位の、腹ばいままの姿勢を固定して眠るのは至難の業、その睡眠中の寝返りを防止するのになぜか私が徹夜で傍らについて

「パパ!動いたらあかんて!」

「顔、下に向けてて!」

管理監督しなくてはならず、というのも本人は術後の眼圧の上昇により吐き気はするし、術後感染予防の為に処方されたジスロマックRという抗生剤が合わなくて腹は痛いしで、自分の顔の向きなど気にしている場合ではなく、これを自宅安静・自宅療養でやれとか院長意外と鬼やな鬼畜やなとぼやいたら、当の夫に

「先生、手術中ちょっとでも動いたらめっちゃ怒鳴った…やばかった…」

という事で、フェミニンでキュートでフェアリーな眼科医とばかり思っていたらその正体はすごいサディスティック眼科医、局所麻酔で覚醒してる患者は、眼前にメスが近づいてきたら流石に怖い、そして意図せず動くやろそれはという環境下にあって、絶対動くな動いたら文字通り刺すという過剰に恐怖な3時間を過ごしたらしい。

そしてこれは後々私も実感するが、普段どんなに穏やかでたおやかでそして謙虚謙遜な態度を貫いていても、メスを握るタイプの医師は基本的にサディスティックかつマッドな人が多いと思う。メスを握るからそうなるのか元々そんな性癖だからメスを握るのかそれはわからないし、性癖なら相当怖くないかそれは、流石にそんなことご本人にはとても聞けない、知っている人がいたら私までご一報ください。

その日の夜明け、私に注ぐ朝日はまぶしかった。

当時36歳、もう徹夜は厳しいお年頃。

そうやって必死で剥がれた網膜を寄ってたかって何とかした数か月後、そのサディスティック院長の渾身のオペと、私の気合の看護と、夫の治癒力もむなしく、その網膜はまた剥がれた

再剥離。

しかも今度は更に広範囲。

4・バナナはおやつに入りません

「ここまで広範囲の再剥離となると、ここの施設と設備では対応できません」

おいおい、いつものキュートでフェミニンな語り口調はどうしたんや院長。

そう突っ込みたくなるシリアスさで夫の病状を伝えた院長は、夫がこの病院で対応可能な状態を超えてしまったと、夫のその再剥離した網膜をどうにかしてくれる医師を

「僕の師匠の先生が滋賀県の病院にいるので、そちらにお願いしましょう。」

遥か遠く琵琶湖のほとりの病院に指名した。

その距離ウチから片道約2時間。

遠すぎかよ。

しかし、そこに名医がいてその人が何とかしてくれると言われれば行くしかないしやるしかないしもう致し方ない。

何しろ夫の左目の視力がかかっているのだ。

網膜剥離はその剥離した患部に手を付けられなくなるとそれは即ち失明となる。

そして今回は術後1週間の入院付き。

今でこそ、この後生まれた心臓疾患児娘②の毎度の入院にすっかり慣れきってしまい、ハイ入院ね40秒支度上等という手練れになったよごれちまったかなしみの私も、この当時は入院については相当な素人で、しかもまだ碌々留守番もままならない6歳と3歳の子を抱えて途方に暮れたし若干詰んだ。

それでも入院に必要な寝間着靴下洗面用具その他を用意し、入院関係書類に署名捺印し、そして何より高額医療用の保険証を会社に申請しろしてくれ頼む、このままだと我が家の家計は火の車、夫の目がどうこうなる前に私が干上がる、病気とは、特に一家の稼ぎ頭の急病はそんな不幸も運んでくる、この時の私はもう毎日塩をかけた米しか食べられなくなったらどうしようと本気で心配していた。

そんな妻の心配を他所に、当の夫は

「ね~入院中ってゲームしてもいいと思う?」
「娘①ちゃんが荷物にプーさん入れてって言うんやけど、そんなんもっていくの恥ずかしいな~プーさんは持って行っていいと思う?」

明日は遠足です、先生バナナはおやつに入りますか、そんな明鏡止水の穏やかさで、この人は肝が据わっているというかいつもいつでも状況を把握していないのかもしれないと耳を疑う発言が非常に多く、結婚して今年で12年の今まで散々夫婦の間に訪れた過酷な現実と状況にあって私を脱力させて来たが、これも歴史に残る一言、むしろ事件か、題して

『プーさんは荷物に入りますか事件』。

プーさんなんかあるだけ持っていけ、それより、実家に連絡を入れろ、流石に1週間入院しました手術しましたというこの事態を後日通達したらお義母さん気ぃ悪くして激おこやで。

お義母さんは、ちょっとした、例えば孫の学校行事、子の職場の異動、そんな身内の家庭内の詳細情報が共有されない事を猛烈に嫌がるタイプで、息子の入院手術が知らされなかったなどという事がおきたら電凸必須、その時例えば夫の携帯が通じなければ、3秒後に私の携帯にかかって来て、何なら息子のキッズケータイにもかけてくるかもしれない、そんなお義母さんなのでここは是非息子の貴方から電話をしておきなさいそうなさい。

そう言って連絡を入れさせると

「えっ?だから、紹介状持って行ってそこの病院で手術するから」
「今更病院変えてイチから受診して、そんな時間食ってたら俺失明するで」
「だから、バタバタするから落ち着いたらウチに来てくれたらいいから」
「イヤ、移植できるのは角膜で網膜やないし」

やはり息子の入院手術となると心配で動揺するものだろう母だもの、にんげんだもの。

そう思って電話する夫の後ろ姿を眺めていたが、義母は近所の友達の激推しする実家近隣の病院への転院を提言しつつ、世の中の一定数の特にオカン世代の人は専門医でも医療職でもないのに転院を勧めてくる、何故だ。ついでにまた角膜移植をアツく息子に勧めていたらしく、それでヒートアップしていて手術日に行くわ!と軽くキレ出したので退院したら様子を自宅に見に来てくれと言う話をして諫めておいたよ、ウチのオカンは大変や、と軽く他人事のように私に伝えてきたが、俺は聞いていた、夫が会話の冒頭で病院名を言ってしまっていたことを。

そして移植できるのは何度も言うが角膜や、網膜やないんや節子。

5・先生、手術、巻きでやるってよ

義母さんがキレッキレでも、息子が状況を把握していなくてパパどこ行くん?と聞いてきて、娘①が勝手にペンギンのぬいぐるみをカバンに詰め込んでいても、それでも入院の日はやって来る。

流石に片目に眼帯の現在絶賛網膜剥離中の人の運転で移動する訳にはいかず、電車を乗り継いで到着した湖の地の病院は、三次救急、高度救急救命、周産期医療、各種すべてが揃った鋼の地域医療最前線医療センターで、ここ、雰囲気はものものしいし人は多いしあと来訪者用の2基しかないエレベーターの発着が激遅い、私はこのエレベーターに通い看護中、結構苦しめられた。

それはいいとして、入院して即、IC(インフォームドコンセント・術前の説明)を受けるために対面したフェミニンでキュートなK先生の師匠、I先生は何というか凄い

『巻き』

だった。

見た目は医師です!と背中で語る白衣でお約束の白いクロックスが似合う見た目が大和田獏だが、ハイハイハイ夫さんね~Iですぅ~という漫才師が「はいどうも~」の中腰で舞台の中央マイクスタンドまで拍手しながらやって来るあの姿勢で面談室に現れ

「はいどうも、今回はね!網膜剥離のオペということでね!結構広範囲で剥離おこしちゃってるから、コレ再剥離だっけ?じゃあもう難治性だね!え?そう難治性、こういう貼っても貼っても剥がれちゃう人っているのよ偶に。全体の3割か2割程度だけど」

入室して3秒くらいで着席しながら一気にここまで言い切った。I先生今ひとことで結構絶望的な事言いませんでしたか?難治性?なおるのむずかしい性?と動揺する私の表情を素無視して

「手術ね、昼から、巻きでするから、もうパパっとね!」
「今回は眼球にガスじゃなくてしっかりシリコンオイル入れるから、それでバンドできっちり留める作業もして、だから術後眼圧上がるかもしれないけど」

もうよくわからんけど、眼圧上がるんですねまた気持ち悪くなるんですね、それで巻きって何よ先生。

「ウン!昼ご飯食べたらね、何分かおきに看護師が目薬さしに来るからね!」
「術後は伏臥位ね、極力下向いてね!じゃ!」

疾風怒濤、早口15分のICが終わったその後「じゃあ僕、午前のオペしてくるからまた午後!」と言って本気の駆け足で去って行き、面談室に残された夫婦は

「先生『巻き』って言わはった?」
「言った」
「手術って巻くもんなん?」
「俺はメスが眼球に入る時間が少ない方がありがたいけどな」

あの『巻き』発言に衝撃を受けつつ、ようわからんけど治りにくいんやなこの網膜剥離という事実に割と茫然とした。

治らないかもしれないのか。

そして巻くなよ手術を。

流石の夫もこれには落ち込んだだろうかと左目に眼帯をした傍らの夫の顔を覗き込んだが、当の夫は

「お昼ご飯、何かな~、俺朝ごはんはパンの方にマルたんやけど」

病院食を気にしていた。

夫、話、聞いてた?

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