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Queen Angio 2

 将来的に根治とか完治とかそういうものの予定のない疾患児の殆どは病院と終生、ご縁が切れないもので、かかりつけの病院というものは最早実家のような、田舎のおばあちゃんの家のような。病院にある白の銀の透明の医療機器と清潔すぎるくらい清潔なリネン類とは印象の違う、土の香りのする暗い土間もないし赤い夾竹桃の揺れる庭もないけれど何か懐かしい趣のものになるのだなあと、4歳の女王のばあやとして母として入院付き添いをする私は年々、思う。

「お部屋にいてもつまらん、お外に参ります」

なにしろ処置日1週間の前乗り入院の理由は

「服用薬を停止、24時間点滴への切り替え」

それだけなもので、点滴以外はやることなんかひとつもないし、そもそも検査や手術や処置入院というものは患児本人の体調が万全でなければ入院させることはできないのだから、『病気だけれど元気、体内の問題は山積しているけど絶好調』そんなパラドックスが成立してしまう。

 お陰様で入院後は毎日そのパラドックスの女王とともに、病棟内を練り歩いているのだけれどそうなると、周囲の看護師さんからお掃除のおかあさんまでお声がけを頂く回数が本当に多くてありがたいやら驚くやら

「すっかりお姉ちゃんになっちゃって~」
「いま幾つになったん?」
「顔色、凄い良くない?今でSpo2どのくらい?」

身長はさっき測ったら106㎝、現在4歳と9カ月です、活動時に計測したSpo2(酸素飽和度)は88%~90…はいかないくらい、自宅にあるトランポリンで跳ねるともう少し下がります。

この4歳の女王はチアノーゼ系の心疾患児であるので、普通にしているだけでは、体を巡り巡る酸素が足りないもので普段は酸素機械の補助を借りている、それでもSpo2は健康な人より格段に低い。健康な人のそれは97%~100%。90%を切ると大抵の人は苦しくて立っている事もできなくなるのだとか。しかし4歳女王は女王であるので、うそ、生まれてからずうっと低酸素状態で生きているので、そういう人間は、先達である心疾患の諸先輩方の言葉を借りると

「ある程度までの低酸素状態は馴れる」

のらしい。それだからか4歳はその体の持つ平均以下の数値に反していつも元気で多少動き回っても割とけろりとしている。運動発達や体力面ではいわゆる「普通の子」にとてもかなわないのだけれど、それでも短い距離であればそれなりに走り、廊下を跳ねる。特にこちらは走れとも跳ねろとも言っていないのに。そして跳ねると走るとてきめんに顔色が悪くなるというのに。

【特技:イエベ夏を瞬時にブルべ冬に入れ替えること】

それでも病棟の通路を行く看護師さん達に「顔色がいいね!」と朗らかに微笑まれてしまうのは、この4歳女王が彼ら彼女らの記憶に色濃く記憶の爪痕を残した過去に原因があるのだと思う。
 
 4歳は1年半前に受けた手術の後、それが酷く難渋してICUに長くお世話になっていた時期がある。その時の当時3歳と言うのが文字通り死にかけというか、三途の川に首まで浸かってほぼ溺れかけている状態で、その間小児病棟の看護師さん達は日々更新される電子カルテの情報を確認しながら3歳の小児病棟への生還を祈ってくれていたのだそう。

そうして術後3週間程してやっと小児科のPICU(小児手中治療室)にベッドごとお引越しをすることのできた3歳は

「今だから言うけれど、顔色が本当に超悪くて、血圧は200とかやし、これで一体どうしてICUからこっちに上げていいって先生が判断しはったんか、超謎やった」

小児病棟の看護師側からすると、そういう印象のものだったらしく、思えばあのひかりのどけき春の日の3月の午前ひるひなか

「娘さんを午後、病棟に上げます、ほんとうによくがんばったね」

執刀医からそう言われて看護師さん達の見送り付きでICUから送り出してもらい、小児病棟のPICUにお引越し、万事整った午後にさあどうぞと言われてPICUの扉を開けるとそこには、いくらか減ったとはいえ山盛りのシリンジポンプと存在感満点の人工呼吸器とアイノフロー(一酸化窒素療法の機械)のハザマにちょこんと寝かされた赤黒く浮腫んだ顔の3歳と、その周囲を忙しく動き回る小児病棟の看護師さん達。彼等の普段どおりの鋭敏で無駄のない動きの中には病棟から送り出した小さな女の子の生還を寿ぐ空気ともうひとつ

「これからは自分達がこの子の命を守るのか…」

こんなんやったことないねんけれどと、ぴりっと緊張した空気がしんとしたPICUに漂っていたのよなあと、今思えばそう思う。確かにこの時小児心臓外科医から主治医を引き継いだ小児循環器医の先生も

「お母さんやから言うけど、先、長いよ!」

と言っていた。そもそもが地域の3次救急病院、高度医療の砦ではあるものの、循環器系の専門病院ではないかかりつけの大学病院の小児科病棟では、心臓手術の術後ひどく難渋しましてその後未だ意識ははっきりとはしておりませんなどいう心疾患児はレアケースで、皆大変に緊張していたのやろなと思う。しかし彼等はその技術の粋と気合をもってそれをやり遂げた、お陰で桜の散るその年の4月、3歳は無事に退院して結果

『あの時のあんなに大変だった3歳ちゃん』

という鮮烈な印象を病棟の看護師さん方に残して本日に至る。それで当時から1年半後のこの初秋、廊下をぽこぽこともしくはすたすたと

「あたりまえでしょ、あたし年中さんなのよ」

って顔して歩いている4歳を見ると皆大変に驚くのだった。どうしたんめっちゃ元気やん、え、何しに来たん?なんでおんの?予定の処置入院ですってば。

お陰様で4歳は、この入院生活中、時折ふと思い出したようにして

「にぃにとねぇねに会いたいなあ…」

病院の窓の暗闇にさえざえと光る白い月を見上げてぽつりとこぼすこともあるけれど、母親である私は常に傍にいるのだし、夕方数時間入れ替わりでパパも来てくれるし、居場所は勝手知ったる病院だし、体調は良好だし、かぐや姫のように

「月に帰りたい…」

などとは一言も言わずごきげんで、その上今回の入院では年の近いお友達も数名いてプレイルームで一緒に遊んでくれる。年の近い子ども達がころころと春の熊みたいな姿で遊んでいるのは見ていてとても可愛いし嬉しいし楽しそう。

 入院中に出会うお友達というのは、それこそ4歳のように先天性の病気で「うわひさしぶりー」という感じに毎回会う子、それから長い投薬治療の途中である期間まではずっと入院していなければならない子、あとは普段は元気いっぱいなのだけれど今回ちょっとした病気が見つかってでもそれは「手術したら問題無いよ」と言われてやってきた短い期間突発的にそこにいることになった子、3つに大別される。

特に3番目に該当する子は、元が健康だし手術に備えて万全の体調で入院してくることが多いので元気だし行動に制限もない、それだから今回安静指示の出ていない、故に病棟で暇を持て余す4歳と本当によく遊んでくれる。すごい助かる、出来たら期間中ずっといて欲しい。

 そしてそういう子には日中、パパやママの付き添いが無いことも多い。今回仲良くしてくれた4歳よりひとつ上の子にも日中付き添いの親御さんの姿がなかった。普段は元気に保育園に通いパパもママはフルタイムでお仕事をしている、そこに晴天の霹靂的に

「あ、これ手術です、入院してください」

など言われても、最初から「病児対応」ではない家庭に突然1週間かそれ以上の期間を

「仕事休んで付き添いしてくださいね」

なんてことは無茶振りだし、元気であるなら、気性のしっかりしている子なら、そして術後の状態が良好なものであるのなら、この御時世も手伝って病棟の保育士や看護師がその子に気を配りながらひとりで過ごしていたりすることはこの数年、珍しくなくなった。

 この時4歳と仲良く遊んでくれた子も性格がはにかみ屋の反対というか、物怖じしないというか、将来の楽しみなしっかりもののお姉ちゃまと言う風情の子で、昼間はうちの4歳のような安静指示の出ていない子どもや保育士さんと遊び、看護師さんの言いつけ通り服薬をして、夕方勤め先から直接病院にやってくるらしいママをそれはいい子で待っていた。

その様子を「なんて可愛いしっかり者か」と驚嘆しつつも、私のココロの隅っこの端っこをほんのりとかすめたのは

(この子、ウチの4歳といっこしか違わへんのに、こんなしっかりしてんの?うちの4歳は来年こんなことには…ならへんな)

ということであって、そうでなくとも普段から常に医療機器に繋がれて一心同体の二人三脚である病児の4歳と私は、母子分離をして過ごすことが普通の子どもと比べて極端に少なくて、その上この子は上にいくらか年の離れた兄と姉がいるもので

「まあまあ、4歳なんてまだ赤ちゃんに毛の生えてるようなもんやから…」

という感覚でいたのだけれど、流石にこれはあかんのではないか、看護助手さんが運んできてくれる3度のご飯を「食べさせて」と言われるまま口に運んでやり、病棟の廊下を散歩するのだと言っていた癖に「歩けない」と言われて(これは体力が極端にないという病態のせいもあるけれど)17㎏の体をほいほいだっこしてやるようでは。

「病気なものでつい甘やかして育ててしまって」

という古色蒼然とした文言で我が子を表現するなど言葉を生業にしようとしている人間にはちょっとあかんのでは。いやそうやない、再来年には小学生になるのやからもっとこう、自主自立のココロというのを育まないといけないのではないかしらん。

でもそれって、ウチに留守番させている11歳児と13歳児には備わっているものやったっけ。

 そういうことをぐるぐると考えてしまっていた中秋の名月の前の晩。小児病棟はいくつかのフロアに別れているもので、長期療養や手術のある子ども達と、感染症だとか突発的な病気で入院している子友達の病床は廊下をひとつ挟んで隔てられる、そういう造りになっている。

 そのガラス扉に隔てられた向こうのフロアにいつも泣いている子がいた。ひとり入院生活を頑張っているのやろうなと思しき推定1歳半、何かしらの事情があって付き添えないパパとママに代わって看護さんたちが詰め所でPICUでかわるがわる何かと構ってはいるのだけれど、それでも

(ここはどこだ、おれの家に帰してくれ!)

そんな風にしてわんわん泣いている姿を時折見かけていた。それでその子のことを随分気にしているなあと思っていた4歳が、この晩突然、その子の張り付く硝子扉にむかって持っていたぬいぐるみを振り回し、お尻を振り振り踊り出したので私は

「あんたなにしてんの?」

と聞いた、4歳児って普段からよく歌い踊る生き物ではあるけれど、一体何ごとです何ですかって、そうしたら

「あの子がさびしくないように」

とのこと。かつて自分も何度もPICUに置き去りにされた(と、本人は未だに怒っているのだけれど、PICUは夜間の付き添いができないきまりなんだよ)ものだから、その時あたしはひとりでとても寂しかったし、きっとあの子もいまとても寂しいのだろうと思うからと。

 4歳は4歳なもので、おヘソまる出しのタコ踊りの理由をここまで明確に説明できてはいないのだけれど、大体を要約するとそういうことのよう。この4歳は件のひとつ年上のお姉ちゃま程はしっかりしていないしあと1年の歳月をかけてもあれを目指すのは難しそうだ、けれど4歳は自分と同じように1人きりのPICU入院を経験することになった子の気持ちはとてもよく分かっていて、それを思いやりたいという気持ちはちゃんとあるのらしい。

 女王の風格よ。

 きっと、それぞれに鍛えている筋肉が違うということなのだ。

 4歳は生え抜きのプロ病児だ。今や点滴台は自分で押して運ぶし、輸液ポンプが閉塞したら勝手に停止ボタンを押しアラーム音を止めるし、ナースコールのボタンを押す手つきはたいへん鮮やか。

 さて昨日は中秋の名月、病棟の子ども達と4歳はお月様の見える窓を探して歩いた。ぐるりとロの字になっている建物の外にやっとみつけた廊下の窓のブラインドの隙間から見えた白くひかる月を、4歳のように終生病院通いの続く子も、明日退院して普通の世界に戻るお友達も、抗がん剤をあと何クールか頑張らないといけない子も、ひとりで頑張っている子も、しっかりしている子も甘えん坊も、みんな寂しい中のうつくしい思い出として覚えていられるといいねと、思ったことでした。

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