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ノラネコちゃんと私と娘と。

「意識がないということは、意識がないということなんです」

この手の言い回しを、今うちのもうすぐ13歳になるウチの息子は大変に好む、というか面白がっているのだ。でも私は笑えない、私個人としては、ある事象がもうそれ以上の事でしかない時、他にもうどう説明しろというのだという時に人はどうしてもこういう言い方をしてしまうのではないかなと思うのだけれど。

特に最近は10歳の娘と4歳の娘との姉妹喧嘩、それこそフードコートのお子様ラーメンセットについていたような、どう見ても100円以上に見えないオモチャとか金色の折り紙1枚なんかをめぐる諍いが熾烈を極め、それがあまりにも騒々しいもので、ついそういう言い方になる。

「止めろって言うことは、止めろって事なんだよッ!」

まあ、やめない。母親の私もまさか6歳も年が離れているのにこんなしょっちゅう喧嘩をする姉妹に仕上がるとは思わなかった。学年の中ではひときわ背が高くて見た目はとても大人びている10歳の娘は実際のところ年よりずっと幼いところがあるし、一方の4歳の娘は、この子は心臓の病気があって普段酸素のホースをずるずると引きずりながらそれでも元気に生きている子だけれど、その前提条件に反して気が強すぎる。最近は家族限定で手が出るので本当に本気で困っている。

「病気の子は、障害のある子は、人の痛みがわかる子」だなんて清いことを言ったひとがいたけれどアレはうちの子に限っては虚構のなにかやな。

今の娘の人生訓はきっと「目には目を」だと思う、ハンムラビ幼児だ、多分人の痛みなんかまだひとつも分かっていない。

この4歳の娘が大人しく静かで好戦的でなかったのなんて、最近では1年前の手術の後くらいだ。

それは意識のない状態だったからなのだけれど。



去年の2月の末、心臓の手術の後に結構な命の危機の中にあった4歳の方の娘は、当時は3歳だったけれど、とにかく今は状態が悪いというので暫くの間強い鎮静と麻酔を使ってこんこんと眠り、ひとまず最高グレードの危機を脱した後、ゆっくりと少しずつ薬の量を減らして、覚醒を促していく過程を辿ると、そういう方向を取りましょうと主治医から説明を受けていた。

その筈が娘はこの時、待てど暮らせど全く目を覚ましてはくれなかった。

麻酔というものは人類にとって未だ謎の部分の多いものらしい。例えば治療や手術のために人に強い麻酔を使ったとして、それが体から綺麗に抜けてその人がはっきりと意識をとりもどし、明確に自分を取り戻すのは一体いつなのかと聞かれてもそれは専門医にとってすら

「…それは、本人次第といいますか」

謎であるという世界なのだそう。それはちょっとええリストランテでソムリエがうやうやしくうっすらとホコリをかぶった緑の瓶を取り出して厳かに語る「飲み頃はワインがきめるのです」のようなごく曖昧な、あなたまかせの世界であって、この時の4歳も麻酔をやめて鎮静を徐々に減らして数日、シリンジポンプから注入される薬の量はかなり少なくなっているはずなのに、指先がほんのすこし動き、瞼を軽く痙攣させる程度で、少しも目を覚まそうとしてくれなかった。

当時、覚醒しない娘の傍らに毎日面会に通っていた私は、娘の身柄を預けた高度医療の楼閣の中の小部屋では唯一のシロウトで、この時の娘は体を微かに動かす事すら「いま、それはちょっと」という状態だったもので、目やにのついた顔ひとつ拭いてやることもできず、じゃあ親の私は一体何をしてあげられるのかを考えて、うんと考えて、絵本を読んでやることにしたのだった。

それは、この時主治医をしていた小児心臓外科医の先生が

「できるだけ話しかけてあげてください、お母さんの声には絶対に反応しています」

と言ったから。実際、私が来ると脈拍や血圧が安定するという現象は起きていた。そしてこれに反して主治医が入室して娘に近づくと

「僕が行くと血圧が上がるんですよ。もしかして怒ってる?」

と言っていた。医師所見では「意識が無いというのは意識が無いということなんです」と言う訳ではないのらしい。

ただ「話しかけて」と言っても人工呼吸器を挿管されて唸ることもしない娘を前に「今日のウチのご飯唐揚げだよ」とか「おにいちゃんがまた傘と水筒なくしてんで」とかつぶやいていてもなんだか淋しいし、それに近くにいる看護師さんに対して我が家の夕飯の献立とかこの子の兄のやらかし放題の日常を語るのも気恥ずかしい。それで絵本を読んでやることにしたのだった。

それで、あのアラーム音以外は静寂なICUで読み聞かせる本、それはどんなものが良いだろうと考えて私は、あの時の娘はまだ目は固く閉じていたので、できたら文字の多い、お話がそこにあるものが良いだろうけれど、かと言って当時娘はまだ3歳、もし私の声がその耳に本当に届いているのだとしたら、あまり長くて難解すぎるのもちょっと本人が嫌かもしれない。

あと『できるだけ感傷的ではないものを』。

この時の絵本の選定にはそれが一番重要だった。

絵本というジャンルの書籍には、読み聞かせている大人に向けて色々を投げかけて問うて来るものがある。

愛とか世界とか命とか死とか。

例えばうちの本棚には佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』がある。誰もが知っている通りのとても素敵な作品だけれどこの時ばかりはダメだった、本当に素晴らしい絵本なのだけれどICUという人の生死の交差する場所で100万回生きるとか死ぬとかちょっとこう何て言うのか剣呑すぎる。

それでこの時は

『ノラネコぐんだんぱんこうじょう』
『ノラネコぐんだんそらをとぶ』
『ノラネコきしゃぽっぽ』

娘にウケが良くてよく笑ったものを選び、看護師さんに言われたオムツだとかガーゼの肌掛けだとかそういうモノと一緒にカバンに詰めて持って行き、面会時間一杯ずっと読んで聞かせていた。

『ノラネコぐんだん』というのは、もう10年程続く白泉社の絵本シリーズで、8匹の黄色いネコたちが、ワンワンちゃんというパン工場を経営していたり、機関車のオーナーであったり、セスナ機を所有していたりする…なんか富豪?そういうひと?いや犬か。とにかくそのワンワンちゃんの工場に勝手に忍び込んで適当な配合で巨大なパンを焼き工場を吹っ飛ばしたり、ワンワンちゃんの所有している機関車を勝手に運行させて道中火室にトウモロコシを詰め込んで大爆発、列車事故を起こしたり、飛行機をこっそり拝借して飛行場を飛び立ち燃料不足で無人島に不時着、1年間遭難したりと、とにかく碌な事をしない話で、この本を好きだという大体の子ども達はそうだと思うけれど、どの本でも毎回起きる大爆発

『ドッカ―ン』

この見開きのページが娘は大好きで、その1ページ前からもう我慢できずにゲラゲラ笑う。

8匹のネコたちはいつも湧き上がる己の好奇心と食欲に大変に従順で、大体ろくでもない事をしでかし、失敗し、大爆発を起こし、最終的に酷く叱られる。たとえば『ノラネコぐんだんそらをとぶ』では

「あなたたちは、いちねんまえにかってにひこうきをそうじゅうしてこんなことになっていいとおもっているのですか」

「では、わるいことをしたとおもいますか」

飛行機のオーナーであるワンワンちゃんにその窃盗?強盗?行為を大変に叱られるのだけれど、なにせ懲りないネコ達なもので

「いいとおもっていませんニャー」

「おもいますニャー」

一応正座で反省の弁を述べてはいるものの、本当はぜんぜん反省なんかしていない、お説教が終ればとっとと8匹揃って帰ろうとする。無反省で無遠慮で傍若無人。ときたま海に落ちてしまったペンギンの子を助けようとしたり腹ペコの子ザルに食事をふるまったりはする優しさはあるものの、人(犬)の店に夜中に忍び込むし、そこでいろいろ破壊するし、商売道具は持ち出すし、飛行機だとか機関車だとか相当に高額なものを勝手に拝借して遁走するし。とにかくこの絵本は

キツネが「ニンゲンは本当によいものかしら」と問いかけてもこないし
ひとりぼっちの象が自分の居場所を探す旅もしないし
小さな魚たちが力を合わせて大きな魚を追い払ったりもしない。

ただいたずらで、いちいちやる事が酷くて、一切の反省をしないネコが失敗する話なのだ。ひとつも教訓的でないし、とりたてて教育的でもない。

でも私はこのふてぶてしいネコ達の話を人工呼吸器のアラーム音が鳴り続けるICUの個室で物言わぬ娘を相手に何度も読み聞かせては、たまに自分でフフフと笑ったりして、それで少しだけ、ほんの少しだけれど元気になったりしていた。

ノラネコ達はいつもワンワンちゃんの持ち物や、やっていることが羨ましくて道具や場所を勝手に拝借して見よう見まねでやってみて全然上手くいっていないのに「かんたんだったね」と自信満々、本当に自由気まま、小さな子ども一緒、というよりうちの娘にそっくりだ。だからきっと私はふてぶてしくて悪戯なこのネコ達が好きなのだろう。

それで私の愛するふてぶてしいネコにそっくりな娘は、この読み聞かせが功を奏し、読み聞かせを始めた数日後にはぱっちりと目をあけて…という事は一切なく、やっとその瞼を薄く開けてくれたのは小児病棟のPICUに引っ越しをしてから、言葉を発し明確に意思を示したのは更にそれから1ヶ月以上たった一般病棟の病床に移ってからだった。

当然、ICUでせっせと『ノラネコぐんだんそらをとぶ』なんて絵本を読んでいた母親のことは一切覚えていない。覚えていないけれど、一時はもう以前の、自立歩行して自力で食事を摂れる、そんな状態には戻らないのではないかと心配された体は今、殆ど問題なく歩き話食事も自力食べられる、傍目には普通の子どもと全然変わらない状態になった。

そして今日も元気に姉と、黄色いネコぬいぐるみを巡って熾烈な姉妹喧嘩をし、さっき姉の長く垂らしている髪の毛を力任せに引っ張った。

「アンタはどうしてお姉ちゃんにそんな意地悪するの!そんなこと幼稚園お友達にしてみな、みんなに嫌われちゃうよ!こんなことしていいと思ってんの!?」

小さな掌に姉の長い髪の長い抜け毛が数本握られているような容赦ない引っ張り方をしたらしい4歳の方の娘を私が鼻息荒く怒ると、この娘はいかにも「だって悪い事なんかしていないもん」という、たいへんにふてぶてしい顔をしながらこう言うのだ。

「おもっていません、ニャー!」



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