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入院日記2。


統計学上とかそんな厳密に考えずとも、確実に明白なことではあるのやけれど、うちの4歳のような子どもは世間ではごく少数派のはずなのですよね。

例えば4歳は、親もいい加減忘れてしまいそうな複数の病名の持ち主なのだけれど、それが起きる可能性は数万人にひとりとか、今現在4歳は『医療的ケア児』と呼ばれる子どもなのですけれど、それは今現在日本には2万人程度しかいないとか。しかしそれに対して

総務省の統計では2021年時点で子どもの数は1493万人
同年の出生数は84万人

ということなのだから、子どもの自体が国内の少数派になろうとしている世の中の、その中でもかなり稀有な存在であると言わざるを得ないというのか、確かに街中ではぜんぜん見ないのよな。酸素ボンベの子も、気管切開している子も、小児用の車いすの子も。仮に出会う事があると、うちの4歳なんかすごい気軽に片手を上げて挨拶する。

(ヨッ!なかまたち)

その筈なのだけれどまず、この手の、高度医療の介入なしには生存それ自体が、何なら出生後数時間も生きられませんが?という子は大体が新生児集中治療室・NICUに搬送され、そこでそのまま長く暮して育ち、その後は外科的処置の必要な子は手術室の扉を潜りそこで命を繋いで、幼児期は長く小児病棟を出たり入ったりしていずれ

『普通の世界』の中で生きる

それが可能な身体と状態が整うまでは、ひたすら病院の中で育つもの。でもそうやってその後、山盛りの病院物品と家庭用とはいえ結構巨大な医療機器をたずさえて自宅に戻ったところで、そもそもが色々と脆弱にできている子ども達はそうそうお外に出して遊ばせるなんてことができない。あんまり外に出していると諸々の医療機器のバッテリーが上がるというのもある、ウチの場合はボンベの残量が時間の経過とともに心もとなくなるし、あれは結構焦る。

それだからせいぜい同じような状況と状態にある子どもの集まるデイサービスとか、リハビリの施設とか、そのくらいしか外の世界との接面というのかな、それを持つことが出来ないまま育つものなのですよね。そしてそうなると面白いことに

『目の前の世界こそが世界だ』

そう思うようになるのですよね、そしてそれは平たく言うと

『世界は先天性疾患児と、それに伴う障害のある子であふれている』

そういう感覚を持つに至るということで、人間て、というか私って目の前にあるものがすべてとしか思わへん非常に単純な生き物であるのだよなと思う。例えば私の近くには4歳のような心臓疾患児の子が多くて、心臓のオペの術式のひとつである『フォンタン手術と』いうものでカタチ作る『上大静脈と下大静脈を肺動脈に繋いで肺に直接静脈血を流す』なんてフクザツカイキな肺循環も

「えっ、こんなんフツーにメジャーな手術やんな?ウチの子もそうやし。別に珍しいことないやんな?」

そう思っているフシはあるし、4歳のいつもお世話になっている大学病院では、小児心臓外科と小児脳外科が同じ看護チームの担当になるのでお部屋も一緒になる事が多いのだけれど、水頭症の子も二分脊椎の子も、とにかく車椅子とか歩行用の装具を持っている子も普通に4歳のお友達なのであって、彼らが個人所有している特別な装備も

「アレはなかなか良い車椅子やねえ」

身体の状態に合わせたオーダーメイドの小児用の車いす、一般にバギーと呼んでいるのかな、それに対して少し拘って改造したりパーツを入れ替えた車のような印象があるだけで過去に「あれはなにかしらん」と彼らに失礼極まりない程不躾な目線を送っていた自分のことなんかすっかり忘れて、それを周囲に対して異質なものだとはひとつも思わなくなった。ええやん、それめっちゃかっこいいやん。

そんなだから、去年、4歳の人生にとって最大の難所になった心臓の手術を終えて自宅に帰り、それから2ヶ月待って幼稚園に酸素ボンベ付きで入園した時、勿論嬉しかった事は嬉しかったしそれを可能にしてくださった関係各所には地面にアタマをこすりつけて御礼申し上げたい所存ではあったのだけれど、そして4歳もお友達がたくさんいて滑り台もお砂場もある、色彩が鮮やかで賑やかで平和な、レスピレーターのアラーム音なんかひとつもしない幼稚園がすぐに大好きになったのだけれど。ひとつの、当たり前のことに私は慄いた。

4歳のような子がひとりもいてない。

殆どが健常児の健康な子どもの中に明らかに障害のある子を1人混入させることは、実際どんなにそれが歓迎されてクラスのお友達が少し不思議な医療機器を携えている4歳を自分たちのお友達として屈託なく受け入れてくれていようと親は何ていうのかなあ、いつも緊張しているというか、自分がおかしなことをして、先方に無理を言って、ウチの子が孤立したりしないようにと背筋をぴんとのばしていないといけない。そういう感覚で過ごす日々で、いつもなんだか背中が痛い。最適解を常に探し続けていい加減アタマも痛い。そういうのって、あなたにわかってもらえるだろうか。

それまで病院の病気の世界に居た時はごく普通の子だったはずの4歳がここではかなり特別で異質な、そしていくらか配慮を貰わないと他のお友達とは一緒に楽しく過ごせない子になってしまうのだから。この180度の世界の転換よ。

幼稚園に初登園した6月のあの日に

「酸素ボンベの子も、人工呼吸器の子も、バギーに乗ってる子もおらへん」

と思ってしまった私は、我が子の『普通の幼稚園』の入園と同時に『障害児のママ』として社会に正式にデビューして今日のここまで、もう同じような子どもの親御さんがそうするように鋭意、役所病院保育施設に色々の書類を出して、感染症の関係ではいち早く「うちはしばらく休園します」と指針を出して、加配について相談をして、病院幼稚園他通所施設訪問看護と連携をとる調整役を果たして、とにかく必死に、一生懸命やってきたのですけれど、それがこの子の母である自分の使命だものと思っているのですけれど。

なんか、ちょっと疲れた。

これ例えば、4歳のような子が多勢を占める世の中だったら、まあそんな事があったら社会は社会として成り立たないのだからあくまで仮に、そうだとしたらやらなくていいことって多いのだろうな。『障害』とはある部分では、数の理論なのだ。

『人は障害児として生まれるのではない、障害児になるのだ』

あるひとつの社会の少数派として、身体脆弱な存在として、いざ普通の世の中に船出したらその瞬間にウチの子は障害児になりましたと言ってしまったら、それは言葉が過ぎというものやろうか。

せやから、数の理論が障害を産むという極論オブ極論をまかり通らせるとですね、今4歳児を連れて検査入院2日目ですけれど、ここでは4歳は普通の子になるのですよね。そして生活自体は付き添い入院なもので、相当に過負荷ではあるのやけれど、これは『過負荷』ね、カフカではないですよ。

「人生の意味とは、それが終わるということです」

なんて小児病棟でひとことでも言おうモンならここにある小児科医全員にリットマンの聴診器で殴られてしまう。ここは鋭意子どもの命を救う場所であるので。まあそうではあるのだけれど、あのいつもの

「少数派の、障害児の親としてちゃんとしておかな、色々の配慮が貰えなくなるかもしれんのやし、理不尽があったら険の無い風に意見もせなあかん、しかしそれで後ろ指刺されるような事もあかん、これはなにより4歳のためなのやから」

と思って背筋をピンと伸ばしている感じがここであまりはない。今、わたし、完全なる猫背、ああ、ごめんなさい昼の検温すんの忘れてた。

そんな親の内面というのか精神的な休養状態はさておいて4歳は

「おふろいや、はいらない」

今は来週の心臓カテーテル検査の準備として、体内の抗凝固剤を抜き、その代わりにヘパリンを点滴をしている状態でやっている事と言えばただそれだけなので、お風呂にも入れる。それでママが熾烈なお風呂時間争奪戦で昼の枠を勝ち取ったのだし、さあ入ろうよと言うているのに

「ひだりてがいたいからはいらへん」

点滴のルートを採っている左手にお水がかかると絶対痛いはずやし入らんと強固に言い張って、それは看護師さんがビニールでぐるぐる巻きにしてくれるのやから平気よと言っても、4歳には今この小児病棟に在るもののすべてが、プレイルーム以外は、何一つ信じられへんということらしく絶対に承服してくれず、結局横抱きにして無理やり風呂に連れて行って無理やり洗った。だって、あんたすぐアタマ痒くなるやん。

しかしこの4歳からすれば、自分は生まれた時から自分なのであって、それ以外のなにものでもないのだから、病院にいようと、幼稚園にいようと、街中に、家にいようと私は私よとそういうことのようで、装具をつけている子もつけていない子も、酸素の子もそうでない子もさして変わらないのらしい、せやったら病院はイヤよな、仲良くしてくれるお友達はおるけれど、にぃにもねぇねもいないし、お外にはいけないし、病院のご飯は前からそうやけれどこの子の口には会わないし、お陰で昨日は自宅で私に変わって家事をしながら留守番をしてくれている母が私に、と作ってくれたお弁当のハンバーグを全部4歳に取られた。それで

「ほしたらママは何を食べたらええのよ」

私が訴えたら

「そしたら、このみどりのママにあげるわ」

オクラの和え物を指さした。オクラかあ、別に好きやけどさあ、ハンバーグと等価交換てことになるんかこれは。入院2日目、主治医は忙しい人でこの日は一瞬ちらりと姿を見ただけで、昨日ひたすら4歳が訴えていた

「せんせいがかえっていいよっていったら、かえる」

は実現しないまま。夜21時消灯を前にお布団にころりと横になった4歳は、10歳の姉が妹を不憫に思って「4歳ちゃんに特別に貸してあげる」と言って私に持たせてくれたピクミンのぬいぐるみを抱いて

「あしたはかえろな?」

と言った。帰りません。

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