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入院日記7。

人生というものを40年超歩んで来て、それはまあ別に取り立てて華やかなことなんか全然ないのですけれども、しかしどんな人生にも山があって谷があってそこには皆それなりの起伏というモノが存在していると思うのですよね。

私にとっての山はやはりどうしてもいかんともしがたく「子どもの病気」がそれに該当するのであって、世の中には難しい病気で長く入院しているだとか、自宅にあっても色々と特別な医療機器の必要な子があるのは知ってはいたのだけれど、それが我が子として生まれて来るなんて、多少は考えた事はあるけれど、やはり現実にあることとしては具体的に想像していなかった。

そして、その治療とその延長線上にある『いつもの生活』がここまで険しいものだとも思っていなかった。

最低でも月に1回の通院
毎日の服薬とバイタルの計測
24時間の在宅酸素療法
訪問看護と訪問リハビリ
各保育施設との頻回な打合せと面談
各種福祉手続のために役所へお百度詣り

あとは何より入院と手術。うちの4歳は中長期的な生存のために外科手術が必須事項で、乳児期から今まで予定の手術を越えて来て現在、外科こそ直近に予定はされていないけれど、これから先も検査の入院はある。あとは今後手術で作り上げた色々が故障してくる未来は高い確率で既に予測されているもので先々外科手術は、あるのだろうなやっぱり。

そしてこの入院というのがまた、親の方も割と辛いのですよね。

当然一番辛いのは、楽しみにしていた幼稚園をお休みして病棟に幽閉されている4歳だし、痛い思いをするのも、不自由な思いをするのも4歳。今回既に7日目を迎えているこの検査入院のための病棟生活で4歳は、もうすっかり卒業していた『夜泣き』をするようになり、お隣の赤ちゃんのママが

「夜、ウチの子煩いと思うんですけれど…」

ととても気にしてくれていたのを上書きして有り余る音量で

「もうイヤだっていってるでショ!」

大変に具体的な文句と共に大声で泣きわめき、絵に描いたような『お互い様』の構図を作り上げてくれたと言うか、いやむしろこっちの方が身体がでかい分声も大きくて断然迷惑だったというか、「イヤだっていってるでショ!」なんて言われたって今回は予定のカテーテル検査のための入院であって、間に手術とICUを挟んで耐久2ヶ月入院コースとかではないのだから頑張れとしか言いようがないというか。

とにかく子どもに寄り添って付き添って24時間、病棟で共に過ごす親と言うのはなかなか昭和の野球部的な趣のあるキツさなのですよ。ただこれは病院によって色々で、場所によっては親御さんは面会時間のみ付き添いという病院もあるし、一応

「病棟入院中は出来たら親御さんが24時間付き添ってくださいね、ひとつ頼みます」

という方針である4歳のかかりつけ病院も、PICU・小児集中治療室に子が入室している間は11時から20時までの面会付き添いが原則になる。それだって過去、あれは2度目の大きな手術の後

(オッ、この首から出ているのは何ですか?)

なんてどこまでも澄んだ瞳の無垢な表情で、CVC(中心静脈カテーテル、仮に患児が引き抜いた場合大事故で重大インシデント、担当看護師は相当の始末書を書くことになり、挙句会議で血祭りにあげられるとかないとか)を引っこ抜くことを試みるような粗暴な患児であった当時1歳半の4歳を預けた時には

「お母さん、4歳ちゃんが寝るまでちょーっといてもらえますか…」

今や病棟の若手育成の要である中堅どころの当時だって相当にしっかり者であった担当ナースにそう言われたもので、結局PICUを出て一般病棟に移るまで毎日面会時間いっぱい朝から夜までずうっと、この子がCVCとかAラインとかその手の

「抜くの、ダメ、ゼッタイ」

の色々を引っ張ったりしないよう、寂しいだの退屈だの言わないよう、ひたすら横に付き添っていたし、面会最終の20時を過ぎて大きなベッドの上に残される我が子と、その晩に夜勤を担当してくれるナースの

「この子…ぜったい夜中暴れるな…」

そんな未来を予測した瞳の哀しそうな色も申し訳ないやら辛いやらで、だったらPICUの床で寝ますよ私はと思ったものだった。そんなことだから夜間の付き添いが無いからと言って一概にそれが楽だとは言い切れない。

そして今回の『検査入院付き添い』

ぷりぷりに元気な状態の4歳児を引き連れて、普段の生活をそのまま病棟に移築したような生活は、病児と共に歩んで早4年4ヶ月、医療的ケア児の母として5年目であるとはいえやや辛い。だって朝起きてまず一番に叫ぶのが

「おさんぽいきたーい」

なのだから。散歩て、一体どこ行くつもりですか。

大体散歩と言っても別に病棟の外に出られるわけもない。主治医にお願いすれば今回本人はとても元気なのだから階下のコンビニ程度なら子連れで行っても良いのかもしれないけれど、それでうっかり風邪でも拾ってこようものなら、このご時世、抗原検査からのPCR、その間絶対部屋から出ないでくださいと室内に軟禁されて挙句

「それならおってもしゃあないし、もう帰ってええよ」

検査はまた今度なんて決定が下されかねない。ここまで1週間、検査前にただ体から抗凝固剤を抜くために点滴に繋がれて頑張ってきたのに、そんなことになったら自分としては甲子園を目前にして部内の暴力沙汰で出場辞退に追い込まれる高校球児くらいいたたまれない。

それだから、今回の入院ではひたすら、もう朝から晩まで点滴台と酸素ボンベを抱えて4歳と病棟を歩き回り、ある日なんかそう広い訳ではない病棟内のお散歩だけで1万歩を歩いていた。4歳の心臓疾患って今更だけれど、実は誤診なのではないのやろうか。そして時間が来たら配膳車でガラゴロと運ばれてくる食事をさせて、服薬をさせて、また遊ばせる。病棟にある小さなお風呂は朝一番の予約制。

お風呂には日のあるうちに入れて、あとはプレイルームで遊んで夜は、この病院の場合は同じ部屋の同じベッドの隙間で眠るかもしくは別の簡易ベッドで、これは別料金。消灯の後は看護師さんが点滴の確認に来るので2時間ごとに一緒に起きたり寝ていたり。今回はまだ夜間の栄養注入や服薬が無いのでまだ楽な方。そんな書き方をすると

(わりと普通の生活では)

という印象を書いた私ですらうけるのだけれど、親のお風呂であるとか食事の時間についての記述がないことにお気づきでしょうか、無いんですよこれが。

というのは嘘です。でもうちの4歳は特に入院中はとても不安の強い

『母子分離不可』

というタイプの子になるために全然そばを離れられず、トイレは一緒に入ることになるし食事は私が階下のコンビニに買いに行くとそれも不安がるし、付き添い食というのも頼めるけれどそれを確実にいつも食べる時間があるとは限らない、それで食料を帰宅した時にまとめて持ってくるのが大原則になるのだけれど、それを

「4さいもそれがいい」

と言って横から取られる。そしてお風呂はこれもまた不安が強い4歳を1人にできないがために、子どもの入浴の時間に秒で自分も洗う。しかしこれだと頭を洗う余裕が無い、故に付き添いを交代して家に帰った時に5分でシャワーを浴びる、じゃあ家に帰れない日はどうするのかと聞いてはいけない、頭は大体いつもやや痒いです。

それでもこれは自宅が病院とそう遠くない距離にあって、夫が何とか夕方の数時間の付き添いを交代できるからこそ使えるワザなのであって、24時間、1分も帰宅の叶わないタイプの入院生活を余儀なくされていたら多分死んでいた…というほどの事もないけれどかなり詰んでいたと思う。というのも自宅にはあと2人、13歳と10歳というそれなりに大きくはあるものの、それが新学期の直前に

「お母さん、実は体育館シューズが結構前から無いのです」

などと言うてくる人達なもので、帰らない訳にはいかんのです。そして季節は新年度、1学期の最初の日、私が2時間程の一時帰宅を果たすとそこには恐ろしい量の

(これ全部書いて翌週の頭に子どもに持たせてくださいね、PTAのことと、健康に関する調査と、各種健康診断の問診票、新学期初めの懇談会と、HPに写真を掲載していいかとかそういうの)

所謂新学期のお手紙ですね、それが2人分、リビングのテーブルの上に山盛り積まれていた。

この時ほど私は、春休みと新学期に丁度またがる期間に4歳の入院を決定してしまった己のアホさを呪ったことがない(だって新学期、早く幼稚園に行かせてあげたかったのだもの)。あといいかげん『自宅から学校の略地図を書いてください』というあの文化は滅んでくれないだろうか、私の描く地図でひとが我が家に正確にたどり着くなんて絶対に思えないのだけれど。

とにかくそういうモノをかき分けてやり過ごして力業で全てを踏破するものが、私の付き添い入院なのであって、それはひとえに私の自宅と病院が割と近距離にあるとか、4歳の医療的なケアが私1人で手に負えるタイプのものであるとか、夫が仕事時間を何とか調整できるタイプの就業をしていて一瞬でも付き添いの交代ができるとか、うちの4歳が末っ子で上の子ども達がもう既にちょっと大きいとか、あとこれはかなり重要なのですけれど、自分の身体がかなり頑丈でタフであると、そういう条件がいくつも重なったためにそれを乗り越え続けられているというもので、『あなたもやりましょう』なんてことは一切思わない。

大体、以前何回か大きなお腹で付き添い入院をしていたママを見た時には眩暈がしたものだし。月曜の朝、病棟から出勤する長期入院中のお友達のパパを見た時には別段良い意味では無くため息が出た。

実際子どもの付き添い入院は過酷だと思う。そもそも普通に1人分しかない病室のスペースに親子2人を詰め込んで、親は食事もお風呂もままなりませんという生活がまともなことだとは思わない。特に突発的な事故や病気で突然生活に『入院』が入り込んで来たご家庭にはかなりキツイと思うし是正はしていくべきだろうなとは思うのだけれど、私は多分この先この付き添い入院を4歳本人がもうそれこそ

「ママ、もう1人で大丈夫やから、小さい子じゃあるまいし」

というまではやってしまうような気がする。それは先天性疾患児というやや特殊な状況にあるうちの4歳についてはこの『入院』というものが突発事故的非日常ではなく『生活』の一部であるからこそ生まれて来た結論ではある。

「赤ちゃんは本来であれば家庭の中で育つものですが、お子さんは特別な病気があって今はそれがかないません。それなら、せめて家庭と近い環境で、出来ることなら親御さんの側で育つのが一番いいのじゃないかなあと僕は思うんです」

はじめての付き添い入院の直前、NICUから小児病棟に病床を移す際に、それが自分にやり切れるものなのか、あとの2人の子どもはどうするのか、色々を逡巡してそこに踏み切れないでいた私に新生児科医の先生の仰ったひとこと。これがすべての軸になってしまっているので、これはこれでもう致し方ない。

まあでも、常に人手不足の感の否めない小児病棟にもう少し看護師さんが潤沢にいてくれたらなあとは思う、あと保育士さんがもっといてくれたらなあとか、お風呂の数を増やしてくれないかなあとか、朝ベーグル屋さんが病棟の前に来ないかなあとか、ドトールが小児病棟に出張販売に来ないかなあとか、そういうのは色々と思うのだけれど、それでも、やっぱり。

で、それって何ですか?諦観?それとも愛情?責任?と聞かれたら、その辺は私にもまだよくわからない。


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