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セルフラブが流行語から死語になる日を心から願うこの頃、皆さんいかがお過ごしですか?

近頃私の周りでよく耳に入ってくるのはセルフラブ。

コレが出来るか出来ないかで仕事やパートナーとの関係、お金との関係も変わってくるよ。

などという話をよく聞くし、よく私も人にしているし、なんならお仕事としてこの言葉と関わっているくらいだ。

他人事みたいに話したけどどっぷり自分事。

自分を大切にする。
自分を知る。

ご自愛や内観するなど。
ハイヤーセルフと繋がるだの、宇宙と繋がるだの自分軸で生きるだの。
今ここ
これが大切なんだなど、私の周りにはそんな言葉や会話が溢れている。

最近思う。

それだけみんな、それが出来てないんだねって。

自己実現とか、自己成長とか、自己改革とか、

自分を変えていったいどこに向かいたいんだろう。

人間って本当にいとおかし。
わらわにはよくわからぬが楽しそうじゃのお。

などと時々謎の目線になってみたり。

当たり前に戻れば良いんだ。
自分を愛するなんて普通のことやん。

「ママは自分のことが好きじゃないの?
私は私が一番好きよ。
ママはもっと自分を幸せにする事をした方が良い!
私と夜一緒に寝るとかね!」

「ママはもっと自分の才能を信じてそれを売った方が良い。」

「ママが自分を愛せてないと、私は本当に辛くて悲しい」

そう9才の娘に言われたよ。

私の娘はちゃーんと愛することを知っている。

親に愛されてないと思って生きてきた私。
私はでも愛を知っている。

知ってるのよ。
愛しか勝たん。とか愛は勝つ。
ではなくて。

そもそもこの世には愛しかない。

なんとなくそう言いきってしまいたくなる。
自己否定と孤独に押し潰されそうな夜が明けた朝。

愛という漠然とした言葉にまた希望を見いだす。

「鹿児島を世界中から愛される癒しの郷にする。」

大嫌いだ大嫌いだと言っていた鹿児島。

最近はそう思うようになりました。

それが私のセルフラブに繋がるように思っています。

親との関係も揺らぎながら
近頃は心地良い場所に向かっていってるように感じます。

自分を愛すること
自分のルーツを愛する。

それはなかなか苦しみを生む場合もあることを私は知っています。

それには意味があるんだよ。
などと言われても。

経験したこともないくせに。

と思ったり

でも、経験したことで、誰かの気持ちを少しでも理解出来る私となれていることは
何かの役にたつかもしれないと思ったりもします。

近頃、年老いた両親の関係も
穏やかなものになり
過去にあった物語は、ここに辿り着くためのただのプロローグでしかなく、よくある、生まれ変わったら○○になっていた。
というような感覚を、今世を終わらせずに体感してるようにも思うこともあります。

全ては私の1人芝居のようにも思います。

たしかに私の人生の主人公は私です。
皆が劇団地球のひとり。

時には他人ごとのような感覚になりながらも、あらすじを書いては消し書いては消し、ドラマチックな物語を書き、奇跡というこれまたよく分からない言葉を信じてみたく…いえ起こしてみたくなったり。

探究は続きます。

いつかセルフラブという言葉をわざわざ使わずとも、それが当たり前になることを願いながら

愛は完全で
愛は全体で
愛は永遠

私の大切な名前
Prem Akhila

笑っちゃうよね。本当に。

































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