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日常が教えてくれること

私は、魑魅魍魎も眠りにつくような、夜と朝の狭間の時が大好きだ。

誰にも邪魔をされないような気持ちにもなり、そして美しい世界を見せてくれる時でもあるからだ。

規則正しいリズムを作ることがあまり得意でない私は、部屋にカーテンをつけていない。

理由は、陽が沈んだり、陽が昇ったりすることを感じることで身体をリセット出来るように思うからだ。

これは、18才の頃に気づいたことで、その当時の仕事が不規則で朝起きることがとても辛く非常に困っていた時だ。
ある日疲れ果ててカーテンも締めずに寝ていたのだが、翌朝、朝陽で目覚めるととても心地良く目覚めることが出来たのだ。

太陽すげー

と妙に感心したことを覚えている。

夜の仕事をはじめるようになって、朝方に出勤ラッシュに逆らいながら家路につくようになり、今度は強度の高い遮光カーテンの中で眠りにつくようになった。
お日様っていつみたっけ?
とネオンで日焼けしたダミ声で眠たそうに過ごす時を長く過ごしていた。

どちらも好きだけど、朝から夜に変わるときより、夜から朝に変わる時間の方が好き。

そんな狭間時間を経て、地元の砂浜に車を走らせることが多い。

雨の日でも、曇りの日でも、なんとなく思いついた時に砂浜から見える景色を眺めにいく。

日の出を見れる時もあれば、雲で隠れている時もある。

それぞれの唯一無二の景色を見せてくれる。

美しくない日はない。
どんな時もそこからの景色は美しい。

と言いたいが、そんな日ばかりではない。

舌打ちしたくなる日もある。
いや、舌打ちしている。
チッ朝陽をみたかったのに、なんで雨なんだよ。くそっ!

と。

でもそんな終わりを感じないような、雨が続いていた翌日の晴れの朝、ただ美しいというのとは違う、それは強烈な印象を与えてくれる特別な景色を見せてくれる日もある。

光が見える日は、海の上を通る光の道に向かって歩いていく。

光の道から目線を反らすと光の道は逃げる。
今度は私が逃げるとすれすれのところを追ってくる。

光から目を反らさなければ、どこから向かっても光の道が繋がる。

ずっと光の道の先にある、強く輝く光ばかり見ていると、眩しさで見ているのがきつくなってくる。

波に揺られながゆらゆらと続く、近くの光を見てるくらいが心地よかったりする。

そんなことを日常やっていると、近頃は光が見えない日でもその向こうに光があるという確信が芽生えるようになってきた。

だいたい今日はあの辺りに太陽がいるな。

と誰に話すわけでもなく、ひとり満足したり。

少しニヤニヤしながら雨空を眺めてみたり。

光が出てくる方向も季節の流れとともに変わる。

同じ場所から見る景色は、一度として同じ日はない。

わからないことは、自然に聞けば良いんだよ。

そう娘が言っていた。

本当にそうだな。

教えてくれてありがとう。

Prem Akhila










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