おらほの「トーホク」に嵐がきたぞ〜
19日のBLAST in 宮城参戦体験について書きます。アイドルオタクになって初めての日本のアイドルのライブ参戦。日本一のテセドル嵐のライブ、一度は観てみたいな〜ということで行ってきました。
まず熱烈なアラシックの母親が「宮城に嵐が来るんだって!」と騒ぎ始め、ファンクラブに強制加入させられたところから始まります。郵便局の振り込み用紙に誰ファンだか書く必要があったため「....相葉ちゃんかな....えっマサキ?マサキってどう書くんだ....」とあやふやに書き、届いた会員証が170万番台。
えっ青森県の人口より余裕で多いですけど?何事?とチケット争奪戦の前途をさっそく不安にさせられる。(ちなみに母親がわたしの2週間前ぐらいに加入したんだけど、母親とわたしの間に5000番ほどの差が。わたしの計算が合ってればその期間は4分に1人がファンクラブに新規加入したことに?)
だってわたしが聞きし世界に誇るファンダム、カシオペア(東方神起の本国ファンクラブ)の累計人数が80万だったわけで、カシオペアはたしかウェブコミュニティ(手続き不要、無料)の非公式ファンクラブだったはずです。その人数に比較してみると改めて、有料の公式ファンクラブでのこの数字のすさまじさを感じます。これが国民的アイドルというものか....
と、前段で国民的アイドル嵐パイセンの実力に驚きを感じさせられ続けたわけですが、参戦してみるとわたしのライブの常識はやっぱり東方神起(ホミン)のライブで築かれたものだなと思い知り、いろいろカルチャーショックがあって面白かったです。
まずオープニングですが、今回のBLASTは画面にスケッチっぽいタッチのメンバーが宮城の名産品や東北の地図と共にひとりひとり映し出される内容。この笑顔たっぷりの演出にK-POPの「少女の涙に空からアイドルが次々舞い降りてくる」とか「薄暗い森の中をアイドルが全速力で駆けてくる」とか「人類が滅亡した世界で生き残りのメンバーたちが車ごと会場に突っ込んでくる」とかそういうアクションにあふれたオープニングに慣らされた自分、この時点で「へ、、平和....!!」と軽くショックを受ける(驚きのハードルが低い)。
映像が終わった途端、ステージセットの頂上に嵐が!歌い出す嵐!すかさずオペラグラスで見るわたし!この時わたしは嵐の顔をはっきり見たつもりなのです。そしてこういう演出、東方神起の日産でもあったなぁと思い出すのもつかの間、突如消える嵐!えっどこ!?すると1,2秒も空けずに目の前のサブステに相葉ちゃんがいる!!笑顔でスタンドに手を振る相葉ちゃん!!驚きによる思考停止!!相葉ちゃーーーーん!!!!気づいたら全力で手を振っていました。
かくしてものの15秒程度でわたしは理性の際まで嵐に引き込まれたわけです。始まるまではそこまでテンションが上がっていたわけじゃないんです、だって推してはないわけですから。どんな観客も感情の昂りに巻き込むような巧妙すぎるサプライズの演出にここでもかなり感銘を受けました。。
わたしが今回のライブで一番に感じた嵐とK-POPとの違いは「目線」です。
ライブが始まって早々、席が1階スタンドの上方だったわたしは嵐の姿をステージにあるビジョンで見ようとしましたが、今までにないもどかしさを感じることになりました。画面で見ても嵐の表情があんまりわからないんです。肉眼か、オペラグラスで見たほうが視認は難しくてもよっぽど面白いと感じるほどでした。なぜなら彼らはほとんどカメラアピールしないからです。カメラを見る暇があったら客席のファンのことを見ているので、結果して画面を見ていても嵐と目が合うことがほとんどありませんでした。
思えば相葉ちゃんの登場シーンでも、相葉ちゃんはファンのことを見て全力で手を振っていましたし、その時点でパフォーマンスモードでキメ顔のまま登場する韓ドルとの間に大きな違いがあったと思います。韓ドルでも同じくファンサタイムのトロッコで歌うシーンでも、見ているファンの数が違います。集中して個別のファンを見れない時でも「こっちの方」に笑顔で手を振っていて、遠い席でもコミュニケーションしている実感を得ることができます。こういう土壌の中でうちわ文化が育まれたんだろうなと。。えくそのライブDVDで、「遠い席のファンのためにカメラを見る」と語っていたれーちゃんとは真逆の、生のコミュニケーションを重んじるスタンスを感じました。
対する韓ドルですが、彼らはカメラに向けていっぱいサービスしてくれるので、オペラグラスで本人たちを見ている間に周りがキャーッ!!となって「あっ!今画面を見とけばよかったー!」と後悔したことが数え切れなくあります。。ただその分ファンを直接見ている時間は短いと思いますし、ファンサをもらえる人数も少ないです。嵐のライブが生のコミュニケーションをする場なら、韓ドルのライブは生のパフォーマンスを楽しむ場で、観客が掛け声や歌声でパフォーマンスに参加できることが大きな醍醐味なんじゃないかと思います。(あくまで重きを置く要素の話ですが。。)
ただ韓ドルの「カメラに向かってドヤる、可愛こぶる」も立派なファンサービスで、それに対してファンが「キャーッ!」て言うというのも立派な生のコミュニケーションだと思っています。支持の表明がライブ全体のコミュニケーションの大部分を占めているというか。
「あっ...!推しがカッコつけてる、、!よ、喜ばなきゃ!!」
っていう義務感に襲われたこと、韓ドルペンの皆さまはありますよね、、?
むしろ韓ドルのライブに慣らされたわたしにとって今回のライブ参戦は「ど、どこでキャーッて言えばいいの!?」という思いを抱え続けたことでちょっと不完全燃焼感もあったりします。センステでかっこよくフォーメーションダンスするメンバーに「今カメラ見てよー!!」ともどかしく思ったりもしましたが、自分がいつも韓ドルのライブで見ていたものが全てじゃなかったんだ、と気が付かされたことでこういう分析を自分なりにするに至り、とても興味深かったです。
そんな目線の差は演出にも表れていると思いました。
今回話題の5人一緒に飛んでくるフライング装置だってファンとメンバーの距離を縮めるための発想だったのでしょうが(事実ステージを遠く離れスタンドに肉薄する飛び方でした)、飛びながらニコニコファンサービスするアイドルは初めて見たのでここでもカルチャーショックを受けました。我らがえっせむエンタ(事務所)もフライングは大好きですが、あまりステージを離れる飛び方はしないですし、あくまで「演出としてかっこいい」から飛んでる感じなので、ファンサービスはしないです。。
特に松潤のソロでの単独飛行は圧巻で、勢いよく頭から滑空して何度も何度もお客さんに迫っていました。パフォーマンスとしても息を飲みましたし、ほんとあの距離で松潤と対峙するお客さんは死ぬんじゃないのか、、と遠目に心配しちゃいました。エンターテイメントとコミュニケーションの両立、ほんとムービングステージを考案した人らしい見事なステージだったと思います。
他にもびっくりしたのが水が燃えてる噴水だったんですがあれも報道見たらメンバーの考案だったみたいですね。ほんとエンターテイメント、ひいてはファンを喜ばせることに貪欲な人たちだなあ....と。ステージを通して、おせっかいすぎるけど、韓ドルも1回見に来ればいいのに...ぜったい勉強になるのに....と思ったりしました。
以上、韓ドルオタクから見たビックリ嵐のコンサートでした。
さて、ライブ開催発表直後からホテルの予約システムがサーバーダウンするなど、話題に尽きない今回のライブですが、いつになく人が溢れてごったがえすシルバーウィークの仙台で、これは単なるアイドルのイベントではなく地域を巻き込んだ「祭り」だと感じました。
嵐が来たのは宮城県ですが、彼らは何度も「東北」と「被災地」に言及しました。わたしの勤め先は青森なのですが、東京と仙台ぐらい離れたこの地でも嵐のコンサートは大きな話題でした。その事を思い出し、ツアーロゴに描かれた東北地方の姿を見てわたしは「嵐が東北に来たんだ」と実感しました。
東北地方は国土の1/5を占める広大な地域です。
田舎といえど「○○が来るぞ!」というだけで、昔話でしか聞かないような町を挙げてのお祭り騒ぎをこれほどまでに起こせる人間が、果たして彼ら以外にこの現代に存在するだろうかと思います。まさに恐るべし国民的アイドル。また、そのネームバリューにふさわしいライブの魅力には日本の威信すら感じました。
また、会場内での「復興応援市場」と称した屋台村の設置や、地元の高校生との合唱、仙台の伝統舞踊「雀踊り」など、コンサート自体が地元を元気にする気遣いがたくさん見られる素晴らしいものでした。(むすび丸も出てきたしね!)
ただ、それだけに「東北」「被災地」を称しながら、宮城県しかフィーチャーされないことに多少の違和感もありました。
前述のように東北地方は広大です。その広大な地域を近代以降、一括りに「東北」たらしめたものは「貧しさ」や「田舎さ」といった共通するイメージだったと考えます。それは作物の育たない過酷な気象条件や、度重なる自然災害によるものが大きく、東北地方は常にそのイメージと戦ってきました。しかし、東日本大震災の莫大な被害は東北地方を一挙に「被災地」と呼ばせるほどのインパクトをもって襲いかかってきてしまいました。
東北地方は日本の中で「被災地」の一色で塗りつぶされてしまったのでは、とわたしは恐れています。
当然のことながら被災地は宮城県だけではなく、福島、岩手、青森の広域に渡りますし、何なら東北だけでもありません。(かつてJYJが同じように茨城県で復興支援コンサートをしたことがありましたね。。)
同じく、東北は全ての地域が被災地というわけではありません。
今回のライブは、宮城県知事に復興支援目的で嵐が誘致されて実現したもので、宮城県に集中した内容になったことは当然のことだと理解しています。
ただ、今回のライブに参戦した他地域の方や、これをきっかけに被災地を思い出した方には、「宮城県の被災地」だけでなく、「宮城県以外の被災地」「被災地の東北」「被災地以外の東北」についても考えていただけたら、東北人として本当に嬉しいなあと思いました。
とりとめがなくなったのでこの辺でやめようと思います。
いろいろ勝手なことを言いましたが、わたし自身、被災県出身でも震災から4年も経つと記憶も意識もどんどん薄れてきていました。
BLASTに参戦したことで、隣で頑張っている人たちがいること、その人たちと一緒に頑張らなければならないということ、そしてその頑張りを応援している人がたくさんいることを改めて気づかせてもらいました。そしてそれをこんな形で届けてくれるアイドルが、この国にいてくれてよかったとすら思います。
最後になりますが
嵐のメンバーの皆さん。
地域に元気を本当にありがとうございました。
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