ハラスメントとラベルの関係

#metoo  以降、世のおじさま方は戦々恐々とした日々をお過ごしかと存じます。あれ言ったらパワハラ、それ言ったらセクハラ、フォローの飲み会はアルハラ、ハラスメントって言われないかハラハラハラハラしていらっしゃるでしょう。
ので、ハラスメントについてちょっと考えてみたことを書いてみます。

Harassment、語意はいやがらせ。そこにセクシュアルがつけば性的いやがらせ、権力が介在すれば権力的いやがらせ、酒の席の強要が加われば、酒の介在したいやがらせになるわけです。

女の子や部下がいやがらせだと感じる瞬間がわからない、という方が戦々恐々とされている、とおもうのですが、逆のパターンで考えてみましょう。
「あの脂ぎったハゲは気持ち悪い、生理的に受け付けない。」これ、立派なセクハラです。
「あの時代の人たちはみんな女をモノとしか見ていないから私たちみんなをいやらしい目で見ているに違いない。」これも僕はセクハラに該当すると思います。
「うちの部長高卒だから、頭悪いの隠すので必死なのよ。」これ悪質なハラスメントです。

上記でわかるとおり、問題点は人物の「ラベル」に対する評価でしかない、という点です。「脂っぽい」「禿げている」「何年生まれの世代」「学歴」、これらのラベルが人物に対して全く影響を与えていないか、と言えばそうではないでしょう。ですが、人物の全体を捉える基準にはならない、という点が重要なのです。

このラベルでの判断は大変楽です。YES/NOが明確で。こいつはいい大学を出ている。いい努力をしたはずだ。こいつはいい年をして独身だ。遊んでいるか、臆病なチキンに違いない。こいつはいい年して独身だ。男のつかないはねっ帰りに違いない。つまりは結果からの類推であり、結果が物語っている、と主張できるわけです。

ならば、禿げていることも結果が物語っている事でしょうか?太って脂ぎっていることも?あいつは禿げているから気持ちの悪いスケベなはずだ。 あいつは太って脂ぎっているから不精もののサボり魔のはずだ。それがすべてではないですよね?反対側に立てば、そこで断じないでくれよ、と思うわけです。

人の内心などわからない。これは真理です。故に、相手の事を知るために交流を積み重ねていく。
ここでラベルの情報のみにとらわれると、ラベルの情報を裏付ける要素のみを探してしまう結果になり、相手にラベル通りであることを強要するようになります。
ここに至ってハラスメントが発生するわけです。

さて、ハラスメントと言われないためにすること。いろいろ書きましたが単純な話です。
相手が嫌がっているかどうかをちゃんと見る事。嫌がっていたら、ごめんねと謝って違う切り口から交流を図ることです。

改めてになりますが、人の内心や真実を測るマニュアルなんてありません。だからこそ人と人の交流や出会いは楽しい。ラベルでの分類に必死になるより、その「人」を知ったほうが、何倍も楽しいと思うんですけれど、いかがでしょう、皆様。

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