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Photo by
kohrogi
たそがれに寄せて(31)「池のほとりで」
本家のSさんは鯉がご自慢だった。裏山から清水を引き込んだ前庭の宏大な池を悠々と泳ぐ鯉は本当に見事だった。そのSさんが大晦日の晩、心臓発作で突然亡くなってしまった。享年七十歳。
翌年の盆の入りの日、西駒ヶ岳に陽が沈み、空が黄金色から茜色に変わる頃、温厚だったSさんの人柄を偲んで郵便局の昔の仲間たちが三三、五五と集まって来た。
迎え火も焚き終わり、供養の膳の用意が出来るまで、池のほとりでおしゃべりをしていた数人の中の一人が突然、「水が濁っているじゃねえけ。これじゃ局長さんの自慢の鯉が台なしじゃ!」と叫んだ。
鯉の冬眠を妨げないためと思うが、Sさんは冬が近づくと裏山に登って水路を調整して池に入る水量を絞り、春になると再び水量を増していた。
Sさんの死があまりにも突然だったこともあって、家族にとっては鯉のことなどすっかり忘れていた、というのが正直なところだろう。池が濁ってしまったのも無理からぬ話だった。
「台無しじゃ!」のひと声で、この連中は、我に返ったように裏山の中腹目指して歩き始めた。しばらく探した末、水流の調整口が見つかった。といっても大したものではない。山を駆け降りてくる清水をプロックでいくつかの方向に分けているに過ぎない。
「あっちだ。こっちだ!」と、ブロックを動かしているうちに水は突如、池に向かってほとばしるように流れ始めた。
この時、私はSさんが帰って来たんだ、やっぱり鯉のことが一番気がかりだったんだ、と思った。
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