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たそがれに寄せて(終章)「あげはの蝶」

 七月三一日、私を可愛がってくれた親戚の長老、U伯父が九二才で急逝した。八月一日、通夜から戻ると、息子が「病院から電話があった」と言う。母の容体が暫く前から日ごとに悪くなっていることは十分承知していた。

 まさか、黒い服で病院に駆けつけるわけにも行かぬので、軽装に着替えてから息子の運転で病院に行った。母は正に虫の息である。

 平成六年八月二日の早暁、母は逝った。
 享年八十四才。

 二日の日は、ほぼ丸一日U伯父の葬儀に付き合い、三日の朝、妻と二人で火葬場に行き、荼毘に付した。母の死に顔は、写真にして遺影として飾りたい位美しく澄んでいた。お骨が上がる迄の間、母は父と一番親しい従兄弟だった U伯父に伴われて父のところに行き、伯父のとりなしで和解するのかしら、などと下らぬことを考えていた。

午後、母の実家の菩提寺である大森の寺に行き、弔った。参列者は妻と私、甥にあたるS氏夫妻、それに母の身内のGさん母娘の六人である。

 経が終わり、寺の裏手の丘の中腹にある墓地に納骨した。眼下の景色は、今でこそ家やビルが立て混み雑然としているが、昔は江戸前の海を一望のもとに見渡せる一等地だったに違いない。

 埋葬が終わった正にその時、石碑の後ろから大きな黄色のあげはの蝶が舞い上がり、海の方を目指して飛び去って行った。人は死ぬとその魂は蝶と化して飛び去る、という話は聞いたことがある。

 ゆらゆらと舞う蝶の姿を見ながら、私にはこの話が本当のことのように思えてきた。

 振り返って見れば二年八ヶ月におよぶ寝たきりの病床生活であった。今や、母の魂は不自由な肉体から解放され、娘時代を過ごした大森の町の空を自在に飛び回るのであろう。「良かったね、お母さん」私は心の中でつぶやき、寺を後にした。

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