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『王様戦隊キングオージャー』 第46話「命の美しさを知れ」 感想


概要

放送局:テレビ朝日系列
放送日時:2024年1月28日(日曜日) 9時30分~10時00分

脚本:高野 水登
監督:加藤 弘之
アクション監督:渡辺 淳
特撮監督:佛田 洋 (特撮研究所)

番組公式サイト リンク

感想

 突如イシャバーナを襲うグローディ。死者を蘇らせ、戦わせておきながらゴーマヒルビル…抜け駆けしやがって」と先に逝った仲間に愚痴るグローディ天野(ミノンガンが含まれていないのは死んでいないからでしょうか)。ジェラミーが言う通り「物語にも書きたくない邪悪」です(他作品ではこの手のキャラは多い気もしますが…)。
 両親の仇でもあり、生命を冒涜する存在でもあるグローディに対して、"王の証の力"を使うヒメノ様。その力は文字通り「命を刈り取る鎌」です某死神漫画に出ていました?鎌で斬りつけたグローディはもちろん、斬撃の余波を食らった樹木まで枯れる(=生命を刈られた)始末。「生命を救う」のが使命のヒメノ様からすればまさに「グローディにしか使いたくない"醜い力"」でしょう。
 あっけなく倒されたグローディ…と思いきや、大量のシュゴッドソウルを吐き出して蘇りました。つまり彼はギラと同じくシュゴッドを食べた人間というわけです。それも大量に食べたことによって自我を失い殺戮本能のみが残った、ある意味ではギラ以上の生物兵器。やはり一筋縄ではいかない難敵です。

 グローディの攻略法を考える中での各々の言動は胸に刺さるものがありました。
 まずはラクレスがジェラミーに聞いた「"永遠の命"は本当に幸せか?」という問い。彼自身、特に"神の怒り"によって多くの"死"を見てきただけに、不老不死であるがゆえ自分とは比にならないほどの死や争い、別れを見た経験もあるジェラミーに対して、純粋な疑問とある種の憐憫があってのことでしょう。ラクレスの優しさが伺えます。
 続いてギラの「好きで不死身になったわけじゃないよ!」とヒメノ様の「…その台詞、二度と言うな」というやりとり。ギラ自身父親から生物兵器にされる過程で不死身になった身体。さらに言えば"不死身"ということは「みんなと別れ、自分だけが生き残る時が来る」ということ(ヒメノ曰く「自然治癒能力が異常に高いだけ」とのことですが…)。その時、優しいギラくんが耐えられるでしょうか…。他方、ヒメノ様も医者として多くの"死"を見てきた身。言い換えれば「救えなかった無念」に立ち会った立場(それも、両親を救えなかった過去を持つ)。そんな彼女からすれば、得た過程はともかく「死なない」(少なくとも「自然死・病死しない」)という能力は羨ましいもの、まさに「医療の夢」。双方の気持ちがわかるだけに、胸が痛くなるやりとりです。

 そしてグローディとの再戦。ゾンビ兵は他に任せ、ヒメノとジェラミーは彼に立ち向かいます。その中でグローディに伝えた"診断結果"「あなたは既に死んでいる」。なんと天野さんグローディの本体は既に死んでいて、自身の能力によって"生きた屍"として動いていたのでした。そしてその身体でほしいままに暴れるグローディを見てヒメノが下した結論は「"死の克服"は"医療の夢"ではない」「"死"があるから"生きること"は美しい」。ジェラミーも言ったように、「"物語"には"結末"が必要」。"死"という"終わり"があるからこそ、その時後悔しないために、生きとし生けるものはその"生命"を懸命に燃やし、生きる。それこそが生きることの醍醐味です。"医者"として"生命""死"に向き合ってきたヒメノと、"永遠の命"を持つゆえに孤独を味わってきたジェラミーが言うからこそ、この言葉には重厚な説得力がありました。
 そして、ジェラミーから刈り取った"永遠の命"をグローディに"移植"し、その"命"を刈り取ることで彼を葬り去ろうという算段です。「再生するなら再生の限界を超えるまで攻撃すればいいじゃない」という攻略方法はよく見ますが、ある意味その"逆"ですね。「限界を設定してそれを突破させればいいじゃない」ってことです。

 ところが、一筋縄ではいかない一流なのがグローディ。「神にでもなった気分だ」と呟き、大量のセミシュゴッド(ゾンビ)を召喚。再び"神の怒り"を起こそうとするのでした。どうする王様戦隊。

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