『るろうに剣心 ─明治剣客浪漫譚─』 巻之五 感想
概要
著者:和月 伸宏
初版発行:1995年
デジタル版発行:2012年
発行所:集英社
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発行者による作品情報
感想
番外編で剣心が弥彦へのアドバイスとともに言った「活人剣は人を守るための剣で、負ければ自分は勿論守ろうとした者の命運も尽きる」「活人剣を振るう者は如何なる敗北も許されない」という言葉は言い表せない『重み』がありました。これで28歳の若造(ジャンプ漫画の主人公としては高齢な部類だが)だと言うのだから恐ろしい。
詳しくはネタバレになるので差し控えますが、「生きる重み」「守る重み」を知りすぎていると言えるほど身に染みている剣心だからこその説得力でしたね。
そして、雷十太先生の登場です。
「本来、剣は凶器、剣術は殺人術」という"真実"を認めている点、ひとりの剣客として剣術の未来を憂う気持ちがあるという点では共通する剣心と雷十太。ただし、その"真実"をわかったうえで自らに不殺を課し、活人剣という"甘っちょろい戯れ言"を新たな"真実"に変えようとする剣心と、その"真実"を笠に着て、他者を見下し虐げる大義名分に使う雷十太では相容れないのは明白。そこを軸にした対比が綺麗だと感じました。例えば物言いひとつ取っても、剣心が相手の主義主張自体は否定しないうえであくまで他者に牙を剥くことを許さないのに対して、雷十太は自分の言い分を押し通すことしか考えていない、一言で言えば「視野が狭い」。
「視野が狭い」と言うなら、由太郎に稽古をつけていないこともですね。「真古流」を復活させ、選りすぐりのものだけに純度の高い"剣術"を継がせるのであれば、後進の育成は必須のはず(それこそ竹刀剣術の根絶よりも重要)。それなのに(由太郎は「先生は真古流の勃興に忙しい」「自分がわがままを言って邪魔するわけにはいかない」とは言っていましたが)弟子に刀の持ち方すら教えていなかったのは、後先考えていなさすぎじゃないですかね…。雷十太先生だって不老不死じゃないんだから。
と思いきや、同志をけしかけて脅迫にかかるとは、なんともやることがせこい。あれだけ「愚直ながらも気骨のある武人肌」みたいな言動しておきながら。
(メタ発言になりますが)自然な流れで雷十太先生の株を雲行き怪しくしつつ、由太郎に剣心の強さを知らしめる。上手いなと思いました。
余談
「28際の若造」呼ばわりしていますが、これを書いた時点での筆者は満年齢で25歳です。ごめんなさい。
今更ですが、筆者はかつてネットカフェで徹夜して『るろうに剣心』を1巻から最終巻まで読破したことがあります(言い訳をすると、京都編くらいまで読んだら一眠りするつもりだったが、あまりの面白さに人誅編も読み進め、気づいたら朝だった)。
なので、ここからの展開も大まかなあらすじ程度は存じておりますが、紹介する巻より先のこと(たとえばこの記事では6巻以降のネタバレ)は言わないつもりです。「もうとっくの昔に完結したし、実写映画化もされた漫画のネタバレを気にする人もいないだろう」と思うかもしれませんが、あしからず。
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