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[miwa] 頭の中のおしゃべりが止まらない人へ

執筆者:miwa|エンパス気質の元SE

”大多数の科学者たちが、アインシュタインのようにクリエイティブでない理由は、「頭の使い方を知らないから」というよりは、「頭の活動の止め方を知らないから」、ということが言えないでしょうか?"
by エックハルト・トール「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」

これは、私が現在進行形で繰り返し読み続けている本の引用です。
最近、インドのあきこさんも紹介していた動画がありましたが、ベストセラーの有名な本だそうです。

この本が伝えてくれる大切なことは
「思考は自分ではない」
「思考と感情は別物で、思考がウソ、感情が本物である」ということです。
「頭の中で考えていることは全て偽りの自分」であり「感情こそが、ほんとうの自分」と気づくことが、
頭の中の声の支配から抜け出す第一歩だと記されています。

ネドじゅんさんの右脳と左脳の話も、エックハルト・トールさんと同じ概念をわかりやすく表現されていると私は思います。

この本を勧めてくれた人から「エゴが強いと読むことすらできないよ!」と言われて読み始めたのですが、本当に大変でした。
読んでも頭に全然入らない。読み始めるとすぐに違うことを考え始めてしまい、目で文章をなぞっているだけ。そして、すぐに本を閉じたくなってしまうのです。
ただ読み切るだけなのに、とっても時間がかかりました。

ヒィヒィ言いながら2周読んでも、内容が全然腑に落ちていない。
それが自分でも悔しくて、自分で朗読をしてボイスレコーダーに録音し、イヤホンで聞きつつ目で文章を追う、寝るときは録音を聞き流しながら寝る、などを試してなんとか3周、4周に突入しました。

するとだんだんと、読むことが楽になってきたのを感じました。
読むたびに気づきが増えて、冷静になり、心が落ち着くのを感じました。
驚いたのは、私がある出来事で動揺していて、波動が下がってるなーと思っていたときです。なかなか調子が戻らず悩んでいました。
それがこの本を読んでいたら、自分の乱れていた氣のようなものが、すーっと整ったような気がしたんです。(なんとなくですが)

この本を紹介してくれた人に、
「この本は波動が強いからね」と言われていたのを思い出しました。
だから「常に読んでおくように」とも言われたのか〜、と納得しました。
本を読むだけでも気が整うこともあるんですね。


私自身、この本に書かれていることは理解できるようでよくわからない、といった感じでしたが、

「今ここに意識をむける」
「頭の中の声はみんな嘘なの」
「こっちに意識を集中すると余計なこと考える暇なんてないでしょ?」
「呼吸に意識を向けて」
「心地よさを感じて、味わって」

こういった表現を日常のいろいろな場面で何度も目にしたり耳にしていたことに気づき、その共通点に気づくようになりました。
みんなどうやったら思考や左脳が静かになるか、感情や右脳が優位になるかを言い方を変えながら懸命に伝えてくれていたんだな、と改めて感じました。

けれども、思考は簡単には止まりません。

そんな時、
本で読んだだけでは腑に落ちていなかった
「エゴとほんとうの自分の違い」
を一番実感したのが、この本を紹介してくれた人に教えてもらったあるテストです。

だらんと腕を下げた状態で、頭の中で「腕、上がれ!」と叫んでみてください。

頭の中で何度も叫んでも、腕は動きませんよね?

では、腕を上げているのは一体誰なのでしょうか?

「腕、上がれ!」と叫んだ頭の中の声は、果たして力があるのでしょうか?

やってみたいことを思いついた次の瞬間に、
「いい歳してみっともないからやめときなよ」と囁きだす頭の中の声は、果たして従うべきものなのでしょうか?

体は寝ている間にも心臓を動かし、必要なものを全身の臓器に送り、不要なものを排出しています。これらはみんな頭の中の声が指示を出しているのでしょうか?
胸がぎゅ〜っと締め付けられたり、ワクワクドキドキ、涙がポロポロ、顔が真っ赤になるのは、頭の中の声の指示なのでしょうか?

頭の中の声とはどこか違う存在がいることを、自分の本質を、感じることはできませんか?


私はこの話を聞いて、頭の中の声って、全然大したことないじゃん!と衝撃が走りました。
大事にすべきは自分の本質の方だったと。
この時から、思考と自分との一体化状態から少し抜けることができ始めました。

ですがそこに一瞬気づいただけでは、この頭の中の声がやむことはなく、すぐまた元の状態に戻ろうとしてしまいます。

もののけ姫をご存知の方(少ないかも)限定ですが、祟神になった乙事主の体に潜り込んでしまったサンをアシタカが一瞬見つけるものの、サンはまたすぐあのウネウネに飲み込まれてしまう、あのシーンを思い浮かべてみてください。暴走したエゴは、あの体にまとわりついてしまったミミズ状のものによく似ていて、とても強力です。まずはこのミミズ状の動きを少しでも鈍らせる必要があります。

九死に一生をせずに自らの力でさとりをひらく(思考活動を止める)ということは、

ほんとうの自分と繋がったまま生きていくということは、

海で溺れかけながらも自力で泳いで岩壁をよじ登り、陸に上がるようなもの
だ、と私は思っています。

思考活動をやめることは、全くもって簡単なことじゃなかった、、、
と現在進行形で身をもって体感しています。

海で溺れかけていたとして、そこに家族や両親や仕事などに対する
依存心、情、執着が、自分の肩にのしかかっていたらどうなりますか?
体はより重たく、泳ぎきるどころか沈んでしまいます。
全て抱えながら、岩壁をよじ登れますか?
みんなが手放せと言っているのはこの重りのことです。
絶対に手放してはいけないと思い込んでいるものを、一旦手放すことかもしれません。

誰かが助けてくれることをあまり期待しないでください。
陸にいる人が、こっちだよと教えてあげることはできても、あまりにも重たい人は引っ張り上げることができないからです。


ですが、たくさんの重りを勇気を振り絞って手放して、懸命に行動し続ける人には、梯子のような応援ツールが現れるかもしれません。
5 space companyでは、思考活動の止め方について、こっちが登りやすいよ、ここに足をかけるといいよ、とあくまでもセッショニストそれぞれがたどってきた道を元にアドバイスすることはできます。
ですが登るのはあなたの力です。
大丈夫です。
あなたは登ることができると私たちは強く信じていつもここにいます。

私もまだよじ登っている途中です。
その過程で得たことを、少し共有できたらいいなと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
そして、この話を教えてくれた人に出会えたこと、この本やその他のいろいろな考え方に出会えたご縁にとても感謝し、これも偶然ではなく意味のあることなんだろうと感じています。

miwa


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