だからとなのに

男性と女性をどこまで意識したらいいのか。

それが女なのよ、と言ってくる女性が多い。意外と女性が自分で女性をラベリングしてるんですよね。

そしてそれはまた、それが女だからなぁ、と男性が言うのとは違う響きがある。

僕はその一言(それが女なのよ)が発せられた瞬間その人からは心のシャッターが閉じてしまう。

その人は理由にならないものを理由にできる特殊能力の持ち主で、話し合いで何かを解決するという考えがないからだ。

そのひとことからわかるはずがないと思うかもしれないが、それは氷山の一角を見ているようなものだ。

その一言の水面下にはその考えを補強するものが堅牢な構造でもって作られている。

言葉というのは考えの一部を表現しているものだから、その一言がでたことの裏には膨大な背景がある。

言葉だけがパッと出てしまうことなんてないのだ。

だからこそ、発する言葉には気を付けないといけない。自分の一部しか表現されていないということと言葉の持つ意味合いが人によって違う、というこの2点によって

伝わる意味はほとんど反対にまでなってしまうことがあるかもしれない。

少し話がそれるが、男には別のものがつく。「くせに」がつく。

男のくせに優柔不断、男のくせに細かい。男のくせに、男のくせに。

なぜか、男は自由度が限られてしまっているように感じる。

この話は男と女の話をしているのではない。

あのひとは男だから、ということも、女のくせにということもあるだろう。

そういうことではなくて。

「男/女」+「だから/なのに」には何の意味もなしていないということだ。

そこには説得力のある理由がないということがここでの最も大事なことだ。

ただ、その人にはそういった特性がある、というだけじゃ何がダメなんだろう。

結果的にその人が男性だったり、女性だったりするだけなんじゃないだろうか。

男を男として扱おうとしたり、女を女として扱おうとするからなんか自分の考えとの齟齬が出てくるんじゃないだろうか。

まぁ、この考え方が「男性的」といわれればそれまでとも思うのですが。

ただ、自分のなかで「普通に」考えるってそういうことなんだな、と思うこの頃です。

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