在外事務所でもしっかりと日本だった。
ある日の昼食。同僚と外へ。何気ない日のこと。
こんな話を聞く。
なんでうちの組織ってこんなに日本的なんですかね。驚きました。東京からこんなに離れて海外で働いているのに事務所の中は独特の空間というか、まんま日本ですよね。
協力隊だと事務所の中のことはわからないじゃないですか。外から見ると、海外で働いていて、風通しがよくて、柔軟な考え方ができて、そういう仕事をするんだと思っていたんですよ。だから余計に入ってびっくりしました。
という話。
さらに話は続く。
とはいってもこういう話を職員の人にすることもないですよね。我々は期限付きで働いているわけだし、もしそこでめんどくさいやつだなんて思われたら次の面接なんかの時に引っかかっても嫌ですしね。
確かに。。
しかも会社の方は、何か改善点があれば言ってね、みたいな優しいことを言うけど、それってただのアリバイ作りで本当には聞いてないよね。会社のシステムとして、その個人の不満を吸い上げて改善する構造になっていないよね。
そうですね。
例えば、契約が終わる時に引き継ぎや起きた問題点や、それをもとにした改善点を書いて提出するわけですよ。そういうことは個人レベルでちゃんとやっているわけですよ。だけど、次にいった職場でも同じ問題が起きてる。何も進んでいない。何年同じ議論をやっているんだって。自分が学んだこと、書いたこと、共有したことはその職場かぎりでありがとうで終わって、結局何にも使われていない。あれってなんなんでしょうね。
そうだね。。
しかもこんな会話が今この瞬間にもあらゆるところでおきているんでしょうね。何十年も。。
そして、もっと怖いのはね、中途で入ってくる人や、新しくこういった環境に驚く人もいるじゃないですか。それが、2、3年もするとすっかりその組織の考え方に染まっているわけです。
まぁまぁ、めんどくさいけどやらないといけないんだからさ、、、みたいな感じで。多少の不満はあるのかもしれないけどすっかりと飼い慣らされ、それが当たり前になり、最初に感じた違和感には蓋をしてしまっている。しっかりとその堅牢なシステムを構築する側に回ってしまっているんだ。もっと言えば、システムは違和感を持った人間が来たとしても、システムが許可するやり方以外のやり方を不正解とすることによって矯正し続けることで、その人間をシステムの正解を生む人間にすっかりと変えてしまうんだ。そして、正解を与えられた人間はまるで初めからそうであったかのように従順な人間になっている。
これを僕は個人の努力が足りない、という言葉では済ますことができないように思う。このシステムにはなにかどこか大きな欠陥があるのではないか。ただ、それを見つけること、変えようとすることは大きな危険を伴う。組織に抹殺され、そのような人間がいたことすら無くなってしまう可能性もあるのだから。そう、やはりこのシステムには何も欠陥などないのだ。あってはならないのだ。
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