人は油ささずに大人になれない
10代の頃は、30代や40代の人がとても大人に見えた。
今、自分がそれくらいの歳になっているということにまず驚く。
そして、その時に思っていたような大人にまったくなれていないことにさらに驚く。
精神的に10代のころからそんなに変わっていないような気がするのだ。
10代の頃、大人とはもっと老成しているものだと思っていた。
また、大人になったら、英語が話せるようになったり、投資で稼げるようになったり、手品ができるようになったり、中小企業診断士になったり、かまどに火を起こせるようになったりとできることが増えるものだと思っていた。
しかし、私はわりと日常を漫然と生きてしまっている。
日々、スキルアップするなんてとてもではなく、大人になったからといってできるようになったことは少ない。
若い頃は、私はもっといろんなことができる立派な大人になるものだと思い込んでいたが、全然そうはならなかった。
現実は厳しい。私は理想的な大人になれなかったなという思いを漠然と持ち続けている。
ただそうは言っても、それなりの人生経験は積んできた。
ほんの少しは大人になって、できるようになったこともなくはない。
先日、セルフのガソリンスタンドで給油している時にふとそう思ったのだ。
私はもともと給油について、苦手意識が強かった。
免許を取り立ての頃は、ガソリンスタンドに行って給油するということは一大事業と言っても差し支えないくらい、私にとってプロジェクトXであった。
まずガソリンスタンドに行こうとすると、気持ちが焦るので自分の乗っている車の給油口が左側面なのか右側面なのか、どちらにあるかということについて、突発的な健忘症になる。
だから、ガソリンスタンドに行く前には、一度どこかで車を停車して、給油口が左右どちらにあるか確認していた。そして「給油口は右、給油口は右、給油口は右」と唱えながらガソリンスタンドへと車を進めるのだ。
無事にガソリンスタンドに入ってからも、難関はいくつか待ち受けている。まず、給油口を開けるレバーが分からなくなるという問題が発生する。
そしてガソリンスタンドあるあるの定番中の定番であるボンネットを開けてしまうという行為に及んでしまう。
私は慌ててあたふたするのだが、ガソリンスタンドの店員さんにとっては、この間違いは見飽きた光景であろう。
店員さんは「またボンネット開けちゃう客が来たよ、ガソリンスタンドにわか乙」と呆れているに違いない。
店員さんがそう呆れていると想像すればするほどはずかしくなって動揺がさらに大きくなり、どっと汗が吹き出す。
完全に主導権はガソリンスタンド側に奪われた。試合の流れはガソリンスタンドサイドに完全に傾いている。
ワンナウト一塁でヒットエンドランを仕掛けるも、三振ゲッツーになりチェンジになった時くらい、勢いを相手にもっていかれている。
「窓ガラスは拭きますか?灰皿などゴミはありますか?」など矢継ぎ早に質問をされるが、劣勢に立たされている私はまともな受け答えができようはずもない。「ダイジョブデス、ダイジョブデス」と顔中から汗を吹き出しつつ、蚊の鳴くような声で答える。
そして全身に汗をびっしょりかいて、どうしようこのままじゃ風邪ひいちゃう、と思い浮かぶくらいになってようやく給油が終了する。
ガソリンスタンドから出る時に、「この道を右か左かどちらに車、出しますか?」と店員さんに聞かれるが、心が折られきっている私には判断する気力がない。
右でも左でももうどっちでもいい、もうどうにでもなれいという気持ちである。
右とか左とかで争うのはもうやめにしようよ、僕は誰とも傷つけあうのはまっぴらごめんなんだよ。右も左も僕には関係のないことだよ。
そんな感情に支配されていた。
そしてガソリンスタンドの店員さんには「ドッチデモイイデス…オマカセシマス…」と気が付けば口走っていた。
帰る方向を伝えることさえできない客に、店員さんは困惑して「どっち方面ですか?どこに向かうんですか?」と聞いてくれるが私は「オウチデス…オウチニカエリマス」と言うしかできない。
店員さんはさらに困り顔である。
とりあえず出やすい左に誘導してくれた。
このようにガソリンスタンドは私にとって天敵であった。車に乗っていてガソリンのメーターが半分を切ってくると、キリキリと腹痛がするようになっていたほどだ。
どうかそれ以上ガソリンよ減らないでくれと神さまに祈る気持ちで運転をしていた。
しかし、給油への苦手意識が克服できた出来事があったのだ。
それはある時、間違えてセルフのガソリンスタンドに入ってしまった時のことだ。
入ってしまったガソリンスタンドがセルフであると気がつき愕然として、膝から崩れ落ちそうになる私。
店員さんが給油してくれるガソリンスタンドですらまともに振る舞えないのに、セルフとはハードルが高過ぎる。
スーパーサイヤ人の群れに放り込まれたヤムチャのように私は慄き震えていると、見かねた店員さんが奥から出てきてくれた。
そして優しく手取り足取り、セルフでの給油の仕方を教えてくれたのだ。セルフ給油の店だというのに、迷惑な客だっただろう。
しかし奥から出てきた店員さんは、嫌な顔一つ見せずに丁寧にやり方をレクチャーしてくれた。この時の店員さんは、すごく控えめに言って救世主そのものだった。
その店員さんは、ついでに給油口が左右どちらにあるか、車内ですぐに分かる裏技も教えてくれた。そのおかげでガソリンスタンドに行く前に、停車して確認する必要も無くなった。
この日を境に、私の給油ライフは一変したのである。
これ以来、私はその間違えて入ってしまったセルフのガソリンスタンドで必ず給油することにした。
優しい店員さんに教えてもらった通りにすれば、間違いなく動揺なく給油できるからである。
ガソリンがなくなりそうになるたびにそのガソリンスタンドに行き、セルフで給油することを繰り返した。
そうすると自信が付いてきて、他のセルフのガソリンスタンドでも給油できるようになった。
いつものところでないガソリンスタンドは、給油機の使い方が若干違うことも多かったが、それでも私はなんとか対応できるようになっていったのである。
そして今はなんの迷いや焦りもなく、一人前にどこのガソリンスタンドでも給油できるようになっている。
私も少しずつではあるが大人になっている。
大人になるってどういうこと?外面良くして35歳を過ぎた頃オレたちどんな顔?かっこいい大人になれてるの?と私も20代の頃はよく考えていたものだ。
少なくとも給油できる顔にはなっている。給油できる大人にはなっている。
セルフで給油さえできれば、もはやかっこいい大人になれてると言ってもいいのではないか?
あの頃の未来に僕らは立っているのではないだろうか?
私は階段を登りきってしまって、もうシンデレラでなくなったのではないだろうか?
先日セルフ給油しながら、しみじみと考え、私も大人になったと感慨深かった。
ただその感慨も簡単にぶち壊される。
昨日の夜、私が楽しみにとっておいていた湖池屋のポテトチップス神のり塩味を、私がいない時に妻と娘が二人で食べ切ってしまっていた事実を知った。
私は大いに嘆き悲しんだが、妻や娘にそのことをはっきり言うと逆ギレされる可能性大なので、気持ちを押し隠したまま人知れず枕に涙して、しばらく悔しさから眠れなかったという出来事があった。
ただ朝起きて冷静になってみると、ポテトチップス一袋でここまで取り乱すなんて、私は大人にはまだほど遠いなと考え直すこととなった。
ポテトチップスに一喜一憂するなど、まだまだ精神的に子どもだと痛感したのである、
あの頃は子どもだったと懐かしく、振り向く日はまだまだ遠そうである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?