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広島カープ いつか活躍して欲しいある選手のこと
広島カープでずっと前から応援している選手がいる。それは広島のプリンスこと堂林翔太選手である。堂林翔太選手は2009年にドラフト2位で、広島カープにやってきた。
堂林翔太選手は高校時代に中京大中京のエースとして夏の甲子園を制覇している。ただし、優勝した瞬間はマウンドにはいなかった。
なぜなら「日本文理の夏はまだ終わらなーい!」で有名な第91回夏の甲子園、9回の裏の日本文理高校の脅威の追い上げで打たれた投手だからである。
投手交代をして中京大中京が逃げ切ったが、クールなイメージだった堂林翔太選手が悔し涙を流している姿が印象的であった。
そんな甲子園優勝投手でありながら、悲劇のヒーローのような雰囲気をまとう選手がカープに入ってきたのである。
野手としてプロに入り、2012年にはサードでほぼスタメンになった。低反発球時代としてはなかなかの14本塁打を記録した。イケメンだということもあり広島のプリンスとして、女性ファンがかなりついた。
この頃は筒香と並び称されて、どちらが次の球界のスラッガーになるかという議論すらあった。
でもシーズンオフには、マツダスタジアム内で堂林翔太選手三振展といって、堂林選手が2012年にした150の三振の瞬間の写真を展示されるという、謎の球団からのいじりがあった。
正統派ヒーローのようでありながら、このようなイロモノ的な扱いを球団公式で受けるというのも堂林翔太選手らしいが。
2013年は7番の背番号をもらう。カープは背番号を大切にしていて、名選手が付けていた伝統の背番号を簡単に引き継がせないところがある。
年俸がなかなか上がらないので、背番号に価値を付けて、それをうやうやしくあげることで、選手にカープにいることを納得させているのでは、と勘繰ってしまうほどである。
堂林翔太選手は、背番号を大切にしているカープから良い番号を若くしてもらうくらい期待されていたのである。実質一年間しか活躍していない選手に、野村謙二郎選手がつけて以来誰も付けられなかった7番を与えるのは異例である。
しかし、なんとなくこの辺りからカープファン達から不安の声が上がってきていたのも事実である。堂林本当に大丈夫か、と。いい選手だけど7番は重すぎやしないかと。
多くのファンの予想通り、堂林翔太選手はその後苦しんだ。打てなくなった。そしてサードの守備ができなくなった。私はきっと送球イップスにかかったんだろうと思っている。
外野手に転向したが相変わらず打撃はパッとしない。代走で試合にでることはあったがカープファンはホームランバッターとしての堂林翔太選手を見たい。
そんな振るわないシーズンが続いたが、突然2020年のシーズン序盤、何かに取り憑かれたかのように打ち始めた。
そしてもうできないと思われていたサードで出場することすら増えてきた。ファン達はついに堂林が覚醒した!と嬉し涙を流した。
ファンは真面目に努力をしていたにも関わらず、結果がともわなくて苦しんでいた堂林翔太選手の姿を良く知っていたので、感動はひとしおであった。
しかし、シーズン中盤に調子を大きく落とし、ほとんど打てなくなってしまった。そして調子が再浮上することなく、そのままシーズンは終わってしまった。
2020年の序盤の覚醒のことがあり、2021年シーズンも大いに期待されてスタートした。
しかし今のところ活躍していないどころか、サードは林選手、外野手では宇草選手、坂倉選手などの若手の台頭があり試合に出ることさえできなくなっている。
もう活躍するのは厳しいのではないかという目で見られていて、限界説も囁かれている。
でも30歳を過ぎてから最盛期を迎えた西武や中日で活躍した和田選手のような例もある。
いつか堂林翔太選手が4番打者になりホームランを打ちまくってくれる日を夢見ている。
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