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挨拶することから学んだ、ささやかだけどすごく大事なこと。

私は普通に生きていて、大それたことは何もなし得ずにここまでの人生を送ってきた。
そして、これからの人生もひっそりと自分の仕事と子育てを全うするように努力して日々を過ごしていくと思う。

若い頃は何者かになりたい、功をなして自分の名を多くの人に知ってもらいたいとか、何かで立派な成果をあげて有名になりたいと漠然と思っていた。

しかし、それができるのは一部の特別な才能があり、かつ人並み以上の努力ができる人にのみ許される望みなのだと歳を取り知ってしまった。

それを知った時は、自分って普通にしか生きられないのかとがっかりもしたが、今では自分の周りの人に少しでも役に立つ人生であればそれはそれで素晴らしいものであると思えている。
自分もだいぶ長く生きてきて、こんな境地に達するのだと感じ、人って変わっていくものだと実感する。

しかしそんなささやかに生きている私でも、些細なことで人の役に立って嬉しいなと思えることがある。
身の丈に応じた、人の役に立てる経験というのも貴重だと思った出来事を書いていきたい。

私の自宅のすぐ隣には空手の道場がある。
私の住んでいる周辺は、少子化の世の中であることが信じられないくらい子どもが多いので、門下生は子どもが中心である。
小学生くらいの子が道場に通う様子をよく見る。

中には3歳くらいの小さな子が、かなり大きめの道着を着て道場に入っていくようなところも目にしていて微笑ましい。

夕方に道場の前を通ると、子どもたちの掛け声が聞こえてきてなかなか活気がある様子だ。

そしてここの道場がすごいなと思えるのは、門下生である子どもたちが、必ず近所の人に挨拶をするところである。

家の近くを歩いていると、道着を着た子どもたちが「こんにちは!」と挨拶をしてくれる。挨拶が普通にできることってすごくいいなと私は思っているので、私も必ず大きな声「こんにちは」と道場の門下生の子どもたちに返すことにしている。

そんなことを繰り返していたら、ある時、道場の前にいた道着を着た大人に声をかけられた。
その人は「いつも子どもたちに挨拶を返してくださってありがとうございます」と言うのだ。

私がよほど不思議そうな顔をしていたらしく、その道着を着た人は慌てて「私はここの道場の師範をしています。そこで、地域の人には挨拶をちゃんとするようにと子どもたちに教えてるんです。ただ子どもたちが挨拶してもなかなか挨拶を返してくれる人がいなくて。そんな中で毎回挨拶を返してくれる人はほんと有り難くて、いつかお礼を言おうと思ってたんです」と言うのだ。

そういうことかと私は納得し、ただ挨拶を返しただけなのに、誰かのためになっていたのかと心がほんわかした気持ちになった。
子どもたちが喜んでくれるならいくらでも挨拶をしたい。挨拶くらいなら私でもできる。

私みたいに平凡に生きていて、特にすごいことはできなくても、当たり前のことをやっていれば人から感謝されるんだと嬉しい気持ちがした。

そしてこの時思い出したのは、私は昔は挨拶をそれほど重要視してなかったということだ。

私が挨拶の大切さに気が付いたのは、就職してしばらくたってからである。挨拶の威力を思い知った経験があったので、挨拶を大事にしている。もしその経験がなければ、空手道場の子どもたちに挨拶を返していないかもしれない。
今回、嬉しい気持ちになれたのはそんな経験があったからなのだなとなんだか不思議な気持ちがした。

挨拶が大事だと思ったのはこんな経験をしたからである。

それは私が就職して職場に入って3年目くらいに、10歳くらい上の先輩と二人で仕事をすることになった時のことだ。
その当時、職場にいる時間の大半はその先輩と協力して業務をこなしていたので、その仕事のやり方から学ぶことが多かった。

その先輩(生田さん)は、すごく挨拶をする人だった。しかも特に積極的に挨拶をしようとするのが、クレーマーと呼ばれるようなお客さんにである。
生田さんはクレーマーと呼ばれるようなお客さんが職場に入って来るとすぐに気が付き、かなり遠い場所にいても急いで近づいて挨拶をしに行く。

私の職場で働いている人は、クレーマーと呼ばれるようなお客さんとはさりげなく距離をとり、関わらないようにしようとする傾向があるので、わざわざ近づいていき挨拶をするという行動に驚いた。

生田さんは、その場でしなければいけない業務をほって置いても、何を優先しても飛んでいくように挨拶に行く。最初のころは私は、わざわざめんどくさい人に挨拶に行かなくていいから、やるべきことをやって欲しいなと思っていた。

しかし、クレーマーと呼ばれるような人に挨拶に行くことはとても意味があることだと、だんだん分かってきたのである。

生田さんが先手を打って挨拶に行き、ほんの数分世間話をすれば、クレーマーと呼ばれるような人は機嫌よく帰って行くのだ。
私の職場ではクレーマーと呼ばれような人はふらっとやってきて、目についた従業員に難癖をつけて通常の業務ができないような状況にするという行動をとることが多い。

しかし生田さんが対応するとご機嫌で帰って行く。
生田さんになぜクレーマーと呼ばれるような人に積極的に挨拶をしに行くか聞いてみたことがある。
そうすると生田さんは「あの人たちはクレーマーじゃないよ。ちょっと寂しかったり、人より繊細でいろいろ気になっちゃったり、かまって欲しい気持ちが強いだけの人たちだよ。ほんとはどの人もクレームなんて言いたくないんだよ。みんないい人たちだよ」と言う。

みんないい人たちなのかと半信半疑ながら、生田さんが対応すればクレームがないので、私も生田さんのやり方を実践するようにしてみた。

私もクレーマーと呼ばれるような人に積極的に挨拶をしに行くようにした。
そうするとその人たちは、その時に気になっていることや、悩みなどを打ち明けてくれる。
それによってどんなことがその人にとって嫌なことなのか分かるので、前もって対応ができる。これがクレームを生まない秘訣なのかなと思った。
クレーマーと呼ばれるような人の考え方や性格や特徴などを知っておけば、こちらが先手を取って対処できる。クレーマーと呼ばれるような人は、話を聞いて欲しい人が多いので、こちらが歩み寄ればどんどん自分の話をしてくれる。

そして話を聞いてその人を理解すると、その人が嫌だとかめんどくさいとか負の感情が消える。知らないことは怖いことだが、知ってしまえばこの人はこういう人なんだと愛着も湧いてくる。

私は何年かかかったが、生田さんのようにクレーマーと言われる人も「みんないい人」と思えるようになれた。

そしてその出発点はなんら難しいことではなく「挨拶をする」ということなのである。
挨拶をすることからコミュニケーションが始まり、相互理解に繋がる。私はそんなことを身をもって体験したので、挨拶の大切さだけは分かっているつもりだ。

何か立派なことを成し遂げることは、これから先もきっと私にはできない。しかし挨拶をするというささやかなことを続けて、ちょっとでも周りの人を喜ばせることができたら、それも価値のある人生なのではないかと思っている。  

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