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「さるかに合戦」の違和感とその裏側にある真実

「さるかに合戦」については昔から違和感を感じていた。
その最大の理由は蟹の仲間のラインナップである。蟹の仲間は、蜂、栗、牛糞、臼である。
もうどこから言及していいのか分からないくらい奇妙な面々だ。
まず仲間のうち生物が蜂しかいないという事実に恐れ慄く。

仲間にライオンとか虎とか強そうなのを連れてこいとは言わない。でも譲れないラインとして生物であるというところはぜひ守っていただきたい。

このささやかな望みさえ叶えられないのは切なすぎて震える。ライクア西野カナである。

何も年収1000万以上、一部上場企業に勤めていて、身長175センチ以上、35歳未満長男はNGなどという高望みな条件を課していない。
こっちは男の人なら誰でもいいくらいな条件しか出してはいないのだ。どう考えても慎ましやかな条件だ。
しかしそんな中で紹介されたのは、二足で立てるレッサーパンダの風太くんだったという時くらいの衝撃である。

蟹の仲間はそれくらいのインパクトがある。
もう一度言うが、蜂、栗、牛糞、臼である。共通点すら見出せない上に強そうでもない。文字通り烏合の衆である。

そしてこの4者のなかでももっとも気になるのが牛糞だ。糞とは破壊的である。気にしないではいられないし、あえて触れないと不自然であるくらいの圧倒的うんちである。

しかも500歩くらい譲ってまだ犬の糞なら分かる。犬の糞でも十分嫌だが、犬の糞はわりと身近なのでなんとか気持ち的に持ち堪えることはできるかもしれない。

それが牛糞である。牧場関係者でなければ、牛糞というワードに一生に一度も出会わない可能性すらある。

うんちはうんちでも、なぜよりによって牛糞?これは「さるかに合戦」を読む人が全員強く思うことだということに異論はまずないだろう。

栗はまあいい。牛糞のことを語った後にもはや栗について何かを言う気にもなれないし、栗ですらまともに思えてきた。

いや、でも一つだけつっこみたい。栗は己の持つもので、唯一武器になりそうなイガを使わずに、囲炉裏で身体を焼き猿にぶつかるという自爆作戦をとる。

誰もがここで「イガで刺さんのかーい!」と心の中でつっこみを入れるだろう。
身体を焼いてまでボケてくる栗には熱い芸人魂を感じる。


そして臼だ。臼は重いしこの面子の中だったらまあ役には立ちそうである。しかし、臼と言えば杵である。このコンビは盤石だったはずだ。どちらかがいなかったら成り立たない二人だ。臼があっての杵であるし、その逆も真理。

しかし蟹に助太刀して猿と戦うということで、仲違いしてしまったのだろう。

きっとこんなやりとりがあったはずだ。杵は猿との戦いに懐疑的で「ヘイ、兄弟。こんな戦いはバカげている。蟹ボーイと蜂と栗と牛シットだけが仲間で、ファッキン猿に立ち向かおうなんて無理だぜ。こっちが負けることは目に見えてる。悪いが俺は降りさせてもらうぜ。」とでも言ったのだろう。

臼は「杵よ、お前がそんなマザファッカ野郎だとは思わなかったぜ。オーケー、今日でコンビは解散だ。お前とはこれからもいい餅をつけると思っていたが、とんだ大間違いだったようだな。俺はあのクソファッキン猿が気に入らねえ。一人でも戦うぜ。あばよ。」などと臼と杵は袂をわかってしまったのだろう。

この戦いは蟹サイドに分が悪いことは明らかなので戦いに参加しないという杵の気持ちは分かる。
杵が盟友の臼との別れを選ばなければいけないくらい、蟹の仲間のメンバーになることは不利益だ。

しかし私はここで猿を討伐する時の蟹の仲間が蜂と栗と牛糞と臼だった理由に気が付いた。

それは蜂と栗と牛糞と臼は蟹と、マリアナ海溝くらい深い信頼関係にあるからだ。
親友、いや心友といってもいい存在だからだ。

あの極悪なファッキン猿に立ち向かうには勇気がいる。ファッキン猿は他人のおむすびをだましとり、その上で柿まで奪い、あろうことか熟れていない柿を投げつけてくるくらいのサイコパス野郎だ。普通ならことを構えたくない。

でも親友である蟹のためならと、蜂と栗と牛糞と臼は立ち上がってくれる。共に困難に立ち向かう、これが本物の仲間である。

蟹がどのようにして、蜂や栗や牛糞や臼と出会い、どうやって親交を深めていったのかはわりと謎ではある。普通に生活していたなら出会わないメンバーである。

「原宿文化大学理工学部応用科学科持田教授ゼミ32期生、この出会いは奇跡、出会いに感謝 #奇跡 #奇跡の出会い #その奇跡の出会いに感謝 #いつもは恥ずかしくて言わないけど #みんないつもありがとう」とかツイートする大学生たちの5億倍くらいは奇跡の邂逅である。

蟹たちはmixiのコミュニティのオフ会かなんかで出会ったのだろうか?ナイトプールに繰り出したり、パジャマパーティーをしたり、グランピングをしたり、代々木上原のおしゃれカフェでなんかすごいラテみたいなものを飲んだりしているうちに互いの気持ちが近づいていったのかもしれない。そんな中で蜂や栗や牛糞や臼は、蟹のために巨悪と戦ってくれるくらいの存在となったのだろう。

蟹は入江コネクションのような人脈をもっているわけではないと思われる。
ただ蟹は本物の仲間をもっている。ライクア斎藤佑樹である。

そう「さるかに合戦」は仲間の大切さを教えてくれる昔話だったのだ。
仲間はお金では買えないかけがえのない存在である。損得感情を抜きにして動いてくれるのは、本物の仲間だけである。


猿は蟹からおむすびや柿など、大切なものを奪い去ってしまう。

ただ猿は蟹の一番大切なものは奪えなかった。
それは仲間である。本物の仲間はそう簡単には奪い去ることなんてできないのだ。

そしてその本物の友情は悪辣非道な猿を懲らしめるという結果を勝ち取るのだ。
蟹には本物の仲間がいる。これが「さるかに合戦」の真理だ。

選んだりランダムされた人生を共に生きてる蟹と蜂と栗と牛糞と臼に幸あれ。

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