7/4 雑記

 両脇を田畑に挟まれた道を毎朝自転車漕いで職場に向かっているのだが、田植えが終わったこの時期は勢いよく稲が伸びて日に日に水田の緑を濃くしていくので見ていて気持ち良い。
が、大体脇の用水路に目をやってはタニシの卵を見つけて憎悪が湧く。
ショッキングピンクの卵、あれほんと無理。
大自然の悪意を具現化したような物質だと思う。
特にこれといってトラウマなどはないはずなのに、タニシの卵を見る度に存在を許してはいけない気持ちになる。
農耕民の遺伝子が騒いでいるのか、警戒色に生物の本能が刺激されているのか分からない。
例えば家に帰ってきてPCのディスプレイの黒い画面に妙にケミカルな桃色のにタニシの卵が幾ばくか産みつけられていたら、などと考えると発狂しそうになる。浴槽とか玄関のドアとかでもかなり精神にくるものがある。
ある日朝起きたら家も町も至る所にタニシの卵が産みつけられていた、とか一種の終末である。


終末といえばこれか。

 パリが燃えている。
ラジ・リ監督の「レ・ミゼラブル」が現実化してるなぁとか思ってニュースを見ていたらもっと酷いことになっていた。
フランスはデモ好きな国というイメージがあるが、今回のはちょっと毛色が違うというか、なんか色々燃やしすぎではないか。世紀末みたいになっとる。

 暴徒が車燃やしたり図書館燃やしたり学校燃やしたりしてる映像観ると強い嫌悪感を感じる。そりゃ警官も撃つよなと妙に納得したものの、しかし考えてみると無免で車乗り回している素行の悪いガキが死んで奮起出来る人々って捨てたものではないとも思う。
回転寿司で諸々舐め回した子供がSNSで袋叩きにあっている社会と比べたら、まだ人々の間に有機的な紐帯というものが存在している共同体といえる、ような気もする。
そういえば沖縄での警察署襲撃事件があったが、あれも少年に対する警官の暴力が引き金になっていたか。社会的な貧しさと共同体の紐帯って相関関係あるんだろうな。

 このところ世界情勢の雲行きがどんどん怪しくなってきてワクワクしてきた。イギリスのEU離脱、ロシア・ウクライナの戦争、米中の緊張状態に続いてフランス国内の騒乱、ドイツの急激な経済悪化ときているので、その内本命のデカイのくるのではなかろうか。アメリカの国内内戦とかドイツ銀行破綻とか。コロナ明けて油断してるのでタイミング的にもありえるのでは。

そういえばサンフランシスコが最悪になっている、という記事が良かった。



 悪質な探偵が脳をやってしまった人達を食い物にしている、という話の続報が結構面白い。すごい事例が沢山紹介されていて、読んでいてニヤニヤしてしまう。
中でも以下の事例とかSNS感がある。

『電磁波攻撃の被害を訴えてこられたある会社の社長さんは、人徳があるため、周囲の人たちが「社長さんの言うことが妄想なわけがない」と言って、マイクロ波で人を攻撃できるとか、社長さんの妄想を肯定する情報ばかり集めてきて、にっちもさっちもいかなくなっていました。』

最悪過ぎて笑ってしまうが、多分この社長電磁波のこと以外は良い人なんだろうな。周囲の人間関係に恵まれるのも困りものである。
というか統を失っていても人間関係を維持し労働出来ているなら、この場合もはや病気ではないのではないか。

https://nikkan-spa.jp/1921130

 この記事みたいな人達と統合失調症との差異って何だろうな、というかほぼ無いんじゃないかと思うのだけれど、一方は病人として福祉の対象となり、一方は世間によくいる厄介な人になってしまうんだよな。
ここには格差のようなものがあるよな、と思うが格差で言えば以下の記事がよくまとまっていて良かった。

 もう十年以上前から世間や社会に対して斜に構えて衒学的な陰口を叩く陰キャ共(すなわち私)がネット上で語っていたことをデータを元に解説している。
白い饅頭的なアレが頻りに喧伝するところの所謂「可哀相ランキング」ってのはこの政治的社会的リソースである共感の分配における優先順位のことと言える。
共感と表裏一体を為して重視されているのが「関心」であり、SNS風に言えばインプレッションであるけれど、この関心についての本で面白そうなのがあった。
試験が終わったら買って読む。



今週は北海道が熱い。

この心意気が大事


 そういやちょっと前にソロキャンプやってた女性にしつこく話しかける男の動画が晒されていて、マナーがどうとか人々の怒りの感情を掻き立てて、そしてあっさり忘れ去られていたが、この手の動画って告発としての側面だけではなく、一種のエンタメであるよな。
貧乏人にとっては怒りは娯楽!という身も蓋もないことを言ってるわけではない。他人の交尾チャレンジ失敗の様子ってコンテンツ性あるよなぁ、と思う。これはこれで最悪だけど。
上記の動画を眺めていて、小学校低学年の頃に飼っていたカブトムシを兄と一緒に観察していた時のことを思い出した。オスがメスにのしかかり生殖器官を挿入しようとしてメスに嫌がられ振り落とされる様を見て、兄と私はヘラヘラ笑っていたっけなぁ。
そんな感じで交尾チャレンジ失敗系の動画を観ると、何だかちょっと懐かしいおかしみを感じてしまう。


交尾チャレンジ失敗、というとこの記事が面白かった。

 『逆にこう聞きたいです。私のような世間から引退した人間がお金を払うこと以外で、若い女性と仲良くなれますか? 』

こういうのどうしたらいいんだろうな。
解決が無いからこそ極端な反応を引き起こす類の問題ではないか。欲望そのものを悪しきものと断じたりする論調を生み出しそうだ。

 大きく歳が開いた他者との間の親密な関係性を望むのって、直感的に不道徳と感じるのだけれど、これ何をもってそう判断しているんだろう。ヤバいとは思うものの、昨今の世間一般の言論の風潮を鑑みれば端的に言ってエイジズムの趣があるのは否定できないし、属性関係なく個々人の関係として考えると非難される謂れなど全く見当たらない。むしろボーダーレスでダイバージェンシーでインクルーシブな感じがするので奨励されてもおかしくないような。
であるにも関わらず、世の中は二十代との性行為を熱望する七十代の人間に対して奇異な目を向けるし、また本人もその由来が分からないルールを内面化していたりする。この辺をうまく説明している文化人類学や社会科学系の本があったら読んでみたい。


 私もいい歳になったので、ここ最近は「人間は中高年になると前頭葉が萎縮して感情的になりやすくなる」的な話を度々思い出して恐怖を感じている。
良質な映画観てホロリときても、それが単に良い作品であるから感情が揺さぶられたのか、前頭葉が駄目になったからそうなっているのか、自身ではまぁ分からない。恐ろしいことだと思う。
ビジネス周りでアンガーマネジメントなどと言われ始めたのはもう十年近く前で、最近ではそこに心理的安全性などというワードも加わっており、加齢により情緒にガタがきている人々の生きづらさややり辛さは加速しているに違いない。脳の一部が物理的に萎縮しているにも関わらず、己の感情を管理し周囲のメンタルに配慮せよ、というのは「鬱は甘え」的な話とどう違うのか。
 前頭葉の萎縮は前頭側頭葉変性症といった認知症の一種として認知されているものの、世を行き交う中高年の脳内で日々着実に進行しているものとして扱われてはいない。扱われたところで結構どうしようもないが。
この加齢によって生じる自身を管理する能力の劣化というのが病気として扱われる日ってそのうちやってくるのだろうか。
脳の萎縮によって周囲の心理的安全性に対して配慮出来なくなり、職場に居場所がなくなってしまう人、というのはこれからどんどん出てきそうな気がするけれど。
どうなんでしょうね。



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