10/1 『傷つきやすいアメリカの大学生たち:大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体』

買って積んでいたがようやく読んだ。
ジャニーズ絡みでキャンセルカルチャーが盛り上がっていたので丁度良かろうと。

この本は米国の大学におけるキャンセルカルチャー(この本ではコールアウトカルチャーと記載)の始まりと、それがどのような考えの元引き起こされ拡散したのか、そしてその考えがどのように醸成されたのか、この辺りを考察した本である。
私が観測する限りでは日本の大学では米国のそれと同様な事態は起きていないが、市場ではそれに類するものが度々生じてきた。ファミマの「お母さん食堂」とか小山田圭吾とか♯MeToo周りのアレとか、大体フェミニズムかポリコレが絡んでいたが、そういった事例を眺めていた時に何となく感じていた嫌な感じの正体が本書ではうまく言語化されている。

キャンセルカルチャーを発生させている物の考え方、背後にある価値観を大きく三つに分類しており、それは以下のようなものだ。
『困難な経験は人を弱くする』
『常に自分の感情を信じよ』
『人生は善人と悪人の戦いである』
これらを具体的な事例を上げながら説明しているのがこの本の導入となる。そしてその分析からなぜそのような価値観が運動が生じる規模まで広がったのか、その文化的社会的要因の考察が行われるのがこの本の中盤。
要因としては、政治状況の二極化、昨今の学生が大学入学前の時点でメンタルヘルスに問題を抱えてる割合が多い事、大学という場の企業化、子育てにおける考え方の変化、平等を求める機運の高まりなど。
終盤ではそれら要因を踏まえた今後の対応策が語られる。

読んでみた感想としては間違った真理の分類までは結構楽しく読めたのだが、中盤以降は正直あんまりな印象。
キャンセルカルチャーの根本にあるのが間違った真理であるというのは良いとしても、要因の分析から終盤の対応策の提言に至るまでがなんというか嫌な既視感がある。
三つの間違った真理の逆を訴えればキャンセルカルチャー的なものは根本から否定できるわけだが、それはそれで躊躇いを感じざる得ない。
『困難は人を脆弱にする』を逆にすると『困難は人を強くする』となるのだろうが、これはこれでシバキ主義めいてくるし、「なぁに、かえって免疫がつく」というネットミームが過る。
『常に自分の感情を信じよ』の逆は『自分の感情を疑え』だとすれば、内面化されたインターネットから「冷笑!」という非難が聞こえてくる(「冷笑」の何が悪いのか今だ私にはさっぱり分からんが)。そもそも政治的運動って感情と切り離したら成立しないというか、運動は大衆の感情のうねりの中で生じるものであろう。
『人生は善人と悪人の戦いである』の逆は『人生は善人と悪人の戦いではない』つまり二元論的な考え方の放棄であるが、これに関しては大いに同意する。とはいえインプレッションや影響力が重視される時代において、物事を二元論に基づいて示すことで生じる「分かり易さ」というのは物凄く効果的で、これはこの本でも述べられている通り人間の本能に訴えるものがあるので否定することはとても難しい。

また間違った真理が受け入れられる要因として、現代の若者は昔の若者よりも成長がゆっくりしている、つまり一昔前の二十歳と今の二十歳では内面的な成熟の度合いが異なる、というのが挙げられていたのだが端的に言ってしまえばガキっぽいと言っているに等しい。20年以上前からオタク周りの言論で散々語られてきた「成熟」の議論を彷彿とさせる。
間違った真理が広がる要因、その対応策を眺めていると「うーん昭和」という感想がどうしても出てきてしまうし、そこで用いられている言葉を平易で俗っぽいものに置き換えていくと巷の飲み屋でおっさんが酔ってくだ巻いてる時に語る話の内容とさほど変わらないものに思えてくる。

この本の著者は自身たちをリベラル(進歩主義)だと自称しており、保守的価値観に基づいた言説ではないというエクスキューズを入れているが、今のご時世はかつて保守がいた立場にリベラルが置かれている、的なことをエマニュエル・トッドが何かの記事で語っていたように思う。機能しているといっても良いかもしれない。これは政治的、文化的言説においても割と同様の傾向がある。スティーブ・ジョブズはヒッピー上がりだったけれど、すでにかつての進歩主義者達は今の社会で十分に地位も影響力も持っているし、戦後の学生運動以降社会中心部(地理的には都市近郊、文化的には主要メディア)は十分にリベラル化されてしまっている。今やゴリゴリの保守の方が珍しく最先端で過激だったりする。
そのような状況の中で自称リベラルな人たちが学生たちや子供達にとって模範とすべき態度や好ましい育成環境の類型を自分達の生まれ育った時代、過去に求めるというのは、どうなんだろうな。
真理に時代は関係ない、と言えるほど人間社会を信じられるものだろうか。

キャンセルカルチャー周りの言説を考える上ではよくまとまっていて、章ごとに内容のまとめを設けるなど構成も親切で分かり易いが、分かり易いが故に警戒してしまう。
本としては面白いんだけどね。


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