6/26 雑記

びしょびしょになったビーバーが可愛い。
可愛すぎて見ていると胸が苦しくなる。恋かもしれない。

 ビーバーのイメージが刷新されてしまった。
今までビーバーという文字列を目にしても「女性器のスラングだよな」とか「アルゼンチンで害獣扱いされて殺されまくってるやつ?」とか、そんな印象しかなったけど、動いてるビーバーは可愛いにも程があるな。
あたしもビショビショになったビーバーに餌をねだられたい。

ここ最近は引用した動画の「長崎バイオパーク公式」をずっと見ている。ビーバーの動画に至っては繰り返し見ている。恐らくメンタルの芯の部分が疲れている。勉強のストレスが限界に近いのかもしれない。
それにしてもずんぐりむっくりした動物、カピバラとかマーモットとかバクとかの可愛らしさは異常。

 長崎バイオパークは客と動物の距離が近く、檻に入れられてない動物も多いので動物園特有の憂鬱さ(あれはあれで良いものだけど)がなくて非常に情操に良い。出来ることなら月一くらいで通いたいが、おっさんが一人で出入り出来るような施設ではないんだよなぁ。

動物系の動画だとオールマイティ・ラボも良い。

とにかく口が悪い解説がハマる。ダチョウかペリカン辺りの動画から見始めると捗る。


 ロシア絡みのニュースを漁っていたら嫌すぎる記事が出てきた。

ロシアの刑務所、カースト制度が生じているらしい。
『受刑者は、大まかに4つの階級に分類される。カースト制度さながらに、上の階級に昇格することは不可能に等しいが、下の階級に降格することは至って容易だ。下の階級に転落することへの恐怖は、刑務所内のあらゆる人間関係に影響を及ぼす。その4つの階級は、それぞれ「盗賊」「男」「雄ヤギ」「雄鶏」という隠語で呼ばれている。』

マチズモ濃度が上限を振り切ってる世界観過ぎて、この時点で読んでいると胸やけがするが「雄鶏」に関する記載が更に酷い。

『雄鶏たちは、刑務所内で誰もが嫌がる仕事を押し付けられる。便器の掃除や、他の受刑者の下着の洗濯などをさせられるほか、しばしば性奴隷として扱われるのだ。
この階級は、刑務所における不可触民のような存在だ。他の階級の受刑者は、性行為以外で雄鶏と接触すべきではないとされている。』

 世界観が怖すぎる。
マチズモが上限を突破すると同性間の性行為が逆に承認されるという謎の現象である。身分差によってそれが許されている、というのは何だか日本の戦国時代っぽくもある。
ロシアの国家自体は同性愛に対してかなり頑なな態度を示していたと思うのだが、どういうことなのか。同性愛と同性間の性行為が区別されているのか。レイプが必ずしも性的快感を求めるために行われるわけでないように。独特の奥行きがありそうである。全く知りたくない。

 恐いもの見たさで更に検索すると以下のような記事が出てくる。

刑務所内のカースト、四つどころではなかった。

『「ペトゥーフ(雄鶏)」または「オプーシェンヌイ(堕落した人)」自身も、他のカーストとの接触を避けなければならない。他のカーストの人々が通るときは、壁を向いて直立し、やり過ごさなければならない。』

どちらにせよ「雄鶏」の境遇は悲惨である。

 ロシアの刑務所というとドストエフスキーやソルジェニーツィンを思い出すが、彼らが描き出していたムショ暮らしもまたかなり最悪だったけれど、100年以上を経てもかなり最悪らしい。
しかし長々と続いているだけに興味深い文化も発生している。

刺青でイコノロジー出来るんだ…という素朴な驚きがある。

咽かえるほどのロシア臭よ。


 以前いた職場で私が割とよく本を読む方だと知った同僚が「読書の習慣をつけたいのだけど何を読んだらいい?」と聞いてきたので、「何でもいいから薄くて最後まで全部読めるものから読めば?(星新一の短編集とか)」と返した。
数日後その同僚がウキウキしながら「アドバイス通りに本買ったよ!」と報告してきて、どんな本か尋ねたところゴリゴリの自己啓発本を買っていたことが判明し、非常にガッカリした覚えがある。

 また更に前の職場の話である。私が新卒で入った会社で一人一人同期の前で自己紹介をする機会があり、その内の見るからにオタクっぽい男が自己紹介をするにあたって「部屋に本が沢山あります!500冊くらいあります!」と自慢していて、当時ほそぼそとガルシア・マルケスの著作を読み進めていた私は彼から何か得る物があるかもしれないと期待していた。が、そのオタクっぽい男がいう本とは全てライトノベルであったことが分かり、「ライトノベルを本にカウントする文化」に初めて触れて「マジか」と愕然とした。

 何の話をしているかというと、本好きの業の話である。
自己啓発本もライトノベルも本であるし、それが純文学や哲学や歴史や社会科学の書籍よりも価値が劣るかというとそういうわけでもない。極端に言ってしまえば、どれも等しく紙についたインクの染みである。
であるにも関わらず、何となく下に見てしまう傾向ってあるんだよな。

 自称読書家、自称本好きが某大ヒットした自己啓発本を推す人間を小馬鹿にする界隈を覗いてしまって、そのムーブは私も覚えがあるのであまり悪くは言えないが、まぁそれでもよい事ではないよなぁとは思う。妙な気まずさがある。
そもそも考えてみると所謂読書家の読書というのは少なからず自己目的化している節があり、それがエンタメとしての読書や実用的あるいは自己実現を目的とした読書よりも上等であるかどうかは疑問が生じるところではある。
本読むと何が良いってもっと沢山の本を読めるようになることだよね!と真顔で言ってのける人間よりは、明確に目標持って本読んでる人間の方がまだ正気ではないか。

あるいは教養を積む、そしてそれを良いこととして捉える、何だったら読書は現代に生きる人間として優れた行動の表れである、みたいな考え方って分かり易くの教養主義的であり、外部の知的な権威を頼りにした小物仕草に外ならない。実にさもしい。というか教養主義を支えていたものなんて既に死んで腐臭を放っているよな。死骸を崇めるな。
また別の切り口から批判するなら、非実用的な目的をもたぬ読書という行為の賞賛、それ自体が文化資本の見せつけであって、それを持たぬ側に対するマウントであったり、他の資本を持たぬ自身に対する慰めや埋め合わせであったりする可能性もあるだろう。
あまりに意地の悪い穿った見方ではあるが、この辺を想うと読書家も本好きもロクな者ではあるまい。
何にせよ紙についたインクの染みを目で追うだけで上等な何者かになりえると考えているなら大間違いだよ。

読書が学びの基礎であり、学びというものが個々人がその有限な生を乗り越えるために、自身をより自由に解き放つためにあるのだとしたら、よく本を読む者ほど多くの観念に囚われない姿勢を見せて欲しいものだなぁと思う。なかなかそのようになれないからこその業ではあるのだが。


出産12回って凄すぎる。産む才能がある。育てる才能が伴って無さそうだけど。
記事読んでいて「マシーンじゃん」って思いました。

なんかどうにも気持ち悪いショッキングな事件起こるのって大体神戸・大阪が多い気がしてならない。
かつての日本の中心であり、その周縁に多くの被差別部落を抱えた土地の歴史がそうさせているのかなぁ、とこれはこれで政治的に正しくない感想を抱いてしまう。

そんなことを言い出すとケチのつけようがない土地など日本中、世界中探しても見つかるわけがないんだよな。人類史は悪の歴史ですからね。生は悪い。


youtubeに テアトルアカデミーなる会社の「シニア声優大募集!」の広告が出てきて、勝手に色々察して恐怖に震えている。
これ氷河期世代の箸にも棒にも掛からないタイプの終わり切った中年のオタクを捕まえて、その親の年金で声優になるためのカリキュラム受けさせるとか、そういう実に悪すぎる商いではなかろうか。
「自宅で」とついてる辺り、逃げ場がなくなった中高年引きこもりをタゲっているのかしら。


試験まで二ヵ月切った。
動物の動画見て癒されている暇はないし、日記書いてる場合じゃない。
にも拘わらず遅々として進まず。
もう駄目かもわからんね。


お金ほしい。お金ください。